上 下
4 / 102

第二話 〈2〉

しおりを挟む

 ロレリッタ公爵家では使用人に三段階の階級と出身での区分があるが、俺はそのどれにも当てはまっていない。元より長く仕えていた使用人たちは、最初こそいい顔をしなかったし、なんなら陰湿な虐めもなかったこともなくはなかったが、俺の方が陰湿だったので最終的には互いに干渉しない方向で平和に過ごすことになった。
 お嬢様にキレ散らかしたのに何故か許された挙句、専属執事になっている俺と関わりたくない、という思いもあるのだろう。それに、我儘で癇癪持ちのお嬢様の世話を誰かに押し付けられるのなら、正直それが一番有難いと思っているのだ。

 そういう訳で、俺はお嬢様の私室に入る権利まで与えられている。流石に屋敷内で抱えている訳にもいかず、それなりのエスコートと共に部屋へと戻ったお嬢様は、汗を流すための湯浴みを終えると、立ったまま魔導書に目を通す俺の側までやってきて、何故か勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

「ねえ、ヒョロガリ」

 このページ読み終わるまで待てんかな、と思いつつスルーする俺の横で、お嬢様は意気揚々と続ける。

「平民のあいだではお前みたいなのをヒョロガリって呼ぶんでしょ? 今メイドにきいたわ、みんなお前のことをひょろひょろのたよりない男だと思っているのよ! これからみんなでヒョロガリって呼んであげるわ、うふふ、お前にはおにあいのあだ名ね!」
「お嬢様は一人では何も出来ないようでいらっしゃる」
「はあ? なに? 負けおしみ?」
「使用人如きを相手にしてもお仲間を作らないと勝った気になれないとは、なんとも嘆かわしい物ですね、お嬢様。身体だけでなく心にも脂肪がついているようで」

 さらさらに乾かしてもらった髪を何故かせっせこと縦ロールにしているお嬢様は、俺が本を閉じて目を向けるのと同時に、ぎくりとしたように足を引いた。

「な、何よ、お前が口答えをするのがわるいのよ、大体お前が先に言い出したのよ! デブというのは悪口なのでしょ! だったら私がお前の悪口を言ってもかまわないはずだわ!」
「ええ、そうです。おっしゃる通りですとも。デブは悪口ですし、ヒョロガリも悪口です。そしてお嬢様はデブですし、私はヒョロガリです。それは覆らない事実です」
「なら私だってお前をヒョロガリと呼ぶわ!」
「構いませんよ。お嬢様が一人で、ご自分の責任でおっしゃるならね」
「悪口にせきにんなんていらないわよ!」
「いいえ、要ります」

 綺麗に巻かれた縦ロールが揺れている。クロワッサンはベーコンのサンドイッチにすると美味しい。誰かクロワッサンを作ってくれないものだろうか。

「私は私の責任と首をかけて、お嬢様をデブの豚のボンレスハム呼ばわりしているのです。そこには他の誰も関わりません。私は私の意志と覚悟でもって、お嬢様はデブであるという事実を突きつけているのです。いつかお嬢様が立派に成長し、ヒョロガリの雑魚なんぞ小指一つで吹き飛ばせる時になった時に首をぶった切られても構わないと思って言っています。王国中の人間がお嬢様の味方になり、お嬢様を信奉し、馬鹿にしたものは首を刎ねよ、と法で定まったとしても、その時にお嬢様がデブであるならば、私ははっきりと言います。お嬢様はデブでいらっしゃる、と」
「なんの話かわからないのだけどバカにされてるのは分かるわ、お前、」
「私はお嬢様のように仲間を作らなければ人の悪口も言えないような、矮小でみみっちい人間ではないので、例え神様がお嬢様をほっそりとしていて麗しい姫君、と断言したとしても言います。お嬢様はデブです」
「分かったわ! お前、デブだと言い返すためだけにその訳の分からないことを言ってるわね!?」
「九割はそうです」
「いちわりは何よ!?」
「それはご自分の胸に聞いて下さいませ」

 俺は何も考えていないので、なんか適当にいい感じの補完をしておいてくれ。強いて言うなら、悪口くらい一人で言え、という教えである。三十路が子供相手に言っている時点で説教を受けるべきは俺であるが、分かった上で棚に上げておいた。大人はずるいのだ。
 ずるい大人に振り回され、訳の分からない理屈で丸め込まれそうになったお嬢様は、ぽかん、と口を開けた後、数秒をかけて怒りのボルテージを上げていき、パンパンの頬が真っ赤になると同時に叫んだ。

「お前なんか、お前なんかおとうさまに言ってクビにしてやるわ!」

 暴れるミートボール。暴れて当然の理由であるのでそれなりに宥めつつ、最終的に機嫌を取るのが面倒になった俺はにんまりと、わざとらしいまでにあくどい笑みを浮かべてみせる。

「それは出来ませんね。私はお父様の弱みを握っているのです」
「な、な、なんですって……!? あのこうけつなおとうさまに、弱みなんてあるはずないわ!」
「それがあるのですよ、お嬢様はご存知ないかもしれませんがね。ふふ、ロレリッタ公爵家は既に私の手中、お嬢様は黙ってボンレスハムを脱却する他ないのです」

 当然、嘘である。一介の貧民に弱みを握らせるような当主なら、公爵家はとっくに没落しているだろう。『お嬢様に嫌われたくない』というのが弱みかもしれないが、そんなものはあってないような弱みだ。
 本当に悩んでいるのだとしても、俺のような馬鹿げた主張のイカれポンチなどすぐさまクビにして、新しい下僕を雇うべきである。
 まあ、俺の魔力がいずれお嬢様の役に立つ、と思っているからこそ、そばに置いているのだろうが。

 そんな思惑など露知らず、俺の言葉を鵜呑みにして青ざめたお嬢様は、そのまま黙り込んでしまった。真偽を確かめるようにメイドを見やるが、旦那様の専属使用人でもない彼女に真相が分かるはずもない。
 というか、メイドの方まで俺の嘘を信じているようだった。変な噂が広まりそうだな。

 震えるお嬢様と共に、来客の対応をしている旦那様を待つこと三十分。何やら覚悟を決めた顔で部屋を出たお嬢様は、旦那様の胸に飛び込むと、涙をこぼさないように堪えつつ、真っ直ぐな目を向けて宣言した。

「わたくしが、わたくしが必ずや、お父さまをあの男の魔の手から助け出してみせますわ!」

 堂々たる宣言に、以前適当に打ち合わせた嘘が使われたと察した旦那様は、騙されているとは言え覚悟を決めた娘の成長の喜びから、目元をそっと押さえた。父親ってのは娘に対してはどうにもアホになるらしい。
 それとなく話を誘導し、諸悪の根源である極悪執事を倒すには、お嬢様が完全無欠の素晴らしい聖女になる他ない、というような方向へまとめていく。三文芝居もいいところである。

 頼んだよリザ、とやや熱の入った演技で娘を抱きしめた旦那様にキスをしてもらってから、お嬢様ははしたないことに俺を指差して叫んだ。

「見てらっしゃい、ウスノロ!! 今にお前をこの家から追い出してやるわ!!」
「ええ、どうぞ私をぎゃふんと言わせてみてください。楽しみにしていますよ」
「ぎゃ、ぎゃふん?」
「『一言も言い返せません、降参です』というような意味です」
「そう! ではウスノロ、いつかお前に〝ぎゃふん〟と言わせてやりますわ!! かくごしておきなさい!!」

 これで九歳。ちょっとアホすぎやしないかと心配になるお嬢様であった。






『……なんだろう、俺が知ってる公爵家と随分様子が違うな』
『そうなのか? 俺が来てから大体こんな感じだぞ』
『旦那……様はもっと厳格で威圧的で、流石にそんなアホ、いや、抜けた、ああ、ええと、馬鹿、違う、あー……そんな方では無かったと思うんだが』
『オブラート破れまくってるぞ』
『ヒデヒサは、何か、特別な力でもあるのかもしれないな』
『たとえば? 他人をアホにする力とか?』

 邪悪にも程があるな。国家転覆が容易いのでは?
 夜食のパンを摘みつつ魔導書の続きを読む俺の脳内に、カコリスの苦笑いが響く。否定してくれないのかよ。

 カコリスにとっては思い出したくもないほど悍ましい記憶が詰まる公爵家は、記憶を疑いたくなるほどにアホな方向へまっしぐらに突っ走っているようである。このままアホすぎて聖女になれませんでした、とかになったら面白いかもな、なんて思いつつ、念話を切った。

 ところで、向こうのハーレムにはまた一人美女が増えたらしい。最終的にサッカーでも出来そうな気がしてきたな。



しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】婚約破棄は受けますが、妹との結婚は無理ですよ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:305pt お気に入り:421

【完結】ストーカーに召喚されて溺愛されてます!?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:175

あたしは推し活をしているだけでストーカーではない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

推しの悪役令嬢を幸せにします!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:209

私の婚約者は6人目の攻略対象者でした

恋愛 / 完結 24h.ポイント:440pt お気に入り:413

【完結】聖女と共に暴れます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:142pt お気に入り:420

私の婚活事情〜副社長の策に嵌まるまで〜

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:65

【完結】真実の愛を見つけてしまいました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:156pt お気に入り:159

【完結】要らない私は消えます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:866pt お気に入り:6,115

処理中です...