8 / 23
三話 〈2〉
しおりを挟む
私にはそれが出来るだけの力がなかった。だから、ある日天啓のように降りてきた『物語』の存在によって、自分がいかに無力で無価値で、どうしようもないくだらない存在であるかを知ってしまった時、己の衝動に抗うことすらできなかったのだ。
この世が作り物の嘘っぱちなのだとしたら、どれだけ頑張ろうともこの先の未来が決まってしまっているのだとしたら、私の生きてきた意味などなくなってしまう。
否。そもそも意味などなかったのだ。
全てが無意味で、無駄で、無価値な塵に見えた。このまま気に食わないものは全て壊して、そして自分も死んでしまおうと、愚かなことを本気で考えた。
きっとあの時ロバートが来てくれなかったなら、私は衝動のままに実行していたことだろう。
ロバートがいてくれて本当によかった。まさか、あの状況からロバートと婚約を結ぶことになるだなんて思ってはいなかったけれど、今となってはこの道が最良だったと確信している。
今や学園でも『完璧な淑女』などと呼ばれているけれど、私は王妃になるにはあまりに実力不足だ。
寝食を削って勉強に励んで成績を保ち、家名と立場だけで交友関係を結び、幾人もの侍女に手をかけてもらってようやくそれらしい美貌を保っているような、そんな期待外れの女だ。
クロスタレー公爵家のアマリリス様のように一度見聞きすれば全てを覚えてしまうような並外れた才や、ミガマイン伯爵家のエリーシャ様のように男女問わず周囲を虜にする魅力的で輝かしい美貌と愛嬌を備えているわけでもない。
本当の私を知れば、きっと誰もががっかりするだろう。
何せ、私は百年に一人の天才と持て囃された稀代の魔導師である父を持ちながら、防御魔法しか使うことができないような出来損ないだ。
誰も彼もが、私がローヴァデイン公爵家の令嬢で、学園では一見優秀な成績を収めているから評価してくれているに過ぎない。
無力な私が積み上げたものはあまりにも脆く、容易く崩れてしまうものだ。
それを思うたび、私は薄氷の上を歩いているような気分になる。
足元から凍りつくような不安を和らげることができるのは、ロバートの隣にいる時だけだ。
彼の前では、私は公爵家の令嬢でも宮廷魔道師団長の娘でもなく、『幼馴染のマリー』でいられる。そう居ても許される。
それがどれほど嬉しく、愛おしいことか、ロバートはきっと理解していないだろう。そして、私がどれほど彼のことを好きなのかも。
ロバートは私のことを『好き』だと言ってくれるけれど、彼の『好き』には情念がない、と思う。
当然だろう。彼はあくまでも仲の良い幼馴染を哀れに思って、助けるために婚約を結んでくれただけなのだから。
そんな望みを抱くこと自体、ロバートの親切に対して失礼な話だった。
劇的な愛情など有り得ないし、それでも別に構わなかった。例え恋人のような情熱は向けられなくとも、家族として共にあれるのなら、こんなに嬉しいことはない。
そう思っているのに度々確認してしまうのは、私が弱くて狡いからだ。ロバートの声音に恋情を感じ取れたら、と期待する度にこの口は勝手な問いを言葉にしてしまう。
「ねえ、ロバート。私のこと、好き?」
「もちろん、好きだよ」
ロバートは何度聞いても、必ず笑顔と共に答えてくれる。それが間違いなく本心だということは、婚約者としての付き合いが長くなる内に自然と理解した。彼は一つも嘘を付いてはいないし、本当に私のことが『好き』なのだ。
その『好き』が、犬や猫に向ける親しみと同じであることに気づいていないだけで。
ロバートは、私が彼を好きかどうか、一度として聞いてきたことはない。多分、興味がないのだと思う。
私がロバートを好きかどうかなんてどうでもよくて、確かめる必要すらなくて、私はただ仲の良い幼馴染だから彼の隣にいることを許されているのだ。
ロバートがいつか、本物の恋に落ちる相手が出てきてしまったらどうしよう。
ロバートが愛するような女性だ、きっと私よりも何倍も素晴らしい人に違いない。そんな素敵で魅力的な女性が現れたら、きっと私なんかでは敵うわけがない。
────ごめんね、マリー。僕が本当に愛してるのは彼女なんだ。でも、君が大切なのも本当だよ。幽閉されて餓死だなんて辛いもの、これからも僕の妻として安全に暮らしてね。
美しく聡明な女性と寄り添い合うロバートにそんなことを言われる光景を夢に見ては、夜中に飛び起きてしまう。薄暗い部屋で一人汗を拭って、喧しく騒ぎ立てる心臓を押さえつける時、私はいつだって自己嫌悪に苛まれる。
ロバートのそばにいられるだけでいい。私の理性はそう言っている。でも、私の本能は、本当の心は、ずっと叫んでいるのだ。
私だけを見て、私だけを愛して、他の誰にも心を奪われないで欲しい。
そう出来るだけの魅力も持ち合わせていないくせに、なんて馬鹿なことを。愚かな自分にほとほと呆れ果ててしまう。
せめてこんな馬鹿げた本音を悟られないよう、私は今日もマリーディア・ローヴァデインとして精一杯の完璧な仮面を被って日々をやり過ごしている。それだけが、私に残された唯一の矜持だ。
この世が作り物の嘘っぱちなのだとしたら、どれだけ頑張ろうともこの先の未来が決まってしまっているのだとしたら、私の生きてきた意味などなくなってしまう。
否。そもそも意味などなかったのだ。
全てが無意味で、無駄で、無価値な塵に見えた。このまま気に食わないものは全て壊して、そして自分も死んでしまおうと、愚かなことを本気で考えた。
きっとあの時ロバートが来てくれなかったなら、私は衝動のままに実行していたことだろう。
ロバートがいてくれて本当によかった。まさか、あの状況からロバートと婚約を結ぶことになるだなんて思ってはいなかったけれど、今となってはこの道が最良だったと確信している。
今や学園でも『完璧な淑女』などと呼ばれているけれど、私は王妃になるにはあまりに実力不足だ。
寝食を削って勉強に励んで成績を保ち、家名と立場だけで交友関係を結び、幾人もの侍女に手をかけてもらってようやくそれらしい美貌を保っているような、そんな期待外れの女だ。
クロスタレー公爵家のアマリリス様のように一度見聞きすれば全てを覚えてしまうような並外れた才や、ミガマイン伯爵家のエリーシャ様のように男女問わず周囲を虜にする魅力的で輝かしい美貌と愛嬌を備えているわけでもない。
本当の私を知れば、きっと誰もががっかりするだろう。
何せ、私は百年に一人の天才と持て囃された稀代の魔導師である父を持ちながら、防御魔法しか使うことができないような出来損ないだ。
誰も彼もが、私がローヴァデイン公爵家の令嬢で、学園では一見優秀な成績を収めているから評価してくれているに過ぎない。
無力な私が積み上げたものはあまりにも脆く、容易く崩れてしまうものだ。
それを思うたび、私は薄氷の上を歩いているような気分になる。
足元から凍りつくような不安を和らげることができるのは、ロバートの隣にいる時だけだ。
彼の前では、私は公爵家の令嬢でも宮廷魔道師団長の娘でもなく、『幼馴染のマリー』でいられる。そう居ても許される。
それがどれほど嬉しく、愛おしいことか、ロバートはきっと理解していないだろう。そして、私がどれほど彼のことを好きなのかも。
ロバートは私のことを『好き』だと言ってくれるけれど、彼の『好き』には情念がない、と思う。
当然だろう。彼はあくまでも仲の良い幼馴染を哀れに思って、助けるために婚約を結んでくれただけなのだから。
そんな望みを抱くこと自体、ロバートの親切に対して失礼な話だった。
劇的な愛情など有り得ないし、それでも別に構わなかった。例え恋人のような情熱は向けられなくとも、家族として共にあれるのなら、こんなに嬉しいことはない。
そう思っているのに度々確認してしまうのは、私が弱くて狡いからだ。ロバートの声音に恋情を感じ取れたら、と期待する度にこの口は勝手な問いを言葉にしてしまう。
「ねえ、ロバート。私のこと、好き?」
「もちろん、好きだよ」
ロバートは何度聞いても、必ず笑顔と共に答えてくれる。それが間違いなく本心だということは、婚約者としての付き合いが長くなる内に自然と理解した。彼は一つも嘘を付いてはいないし、本当に私のことが『好き』なのだ。
その『好き』が、犬や猫に向ける親しみと同じであることに気づいていないだけで。
ロバートは、私が彼を好きかどうか、一度として聞いてきたことはない。多分、興味がないのだと思う。
私がロバートを好きかどうかなんてどうでもよくて、確かめる必要すらなくて、私はただ仲の良い幼馴染だから彼の隣にいることを許されているのだ。
ロバートがいつか、本物の恋に落ちる相手が出てきてしまったらどうしよう。
ロバートが愛するような女性だ、きっと私よりも何倍も素晴らしい人に違いない。そんな素敵で魅力的な女性が現れたら、きっと私なんかでは敵うわけがない。
────ごめんね、マリー。僕が本当に愛してるのは彼女なんだ。でも、君が大切なのも本当だよ。幽閉されて餓死だなんて辛いもの、これからも僕の妻として安全に暮らしてね。
美しく聡明な女性と寄り添い合うロバートにそんなことを言われる光景を夢に見ては、夜中に飛び起きてしまう。薄暗い部屋で一人汗を拭って、喧しく騒ぎ立てる心臓を押さえつける時、私はいつだって自己嫌悪に苛まれる。
ロバートのそばにいられるだけでいい。私の理性はそう言っている。でも、私の本能は、本当の心は、ずっと叫んでいるのだ。
私だけを見て、私だけを愛して、他の誰にも心を奪われないで欲しい。
そう出来るだけの魅力も持ち合わせていないくせに、なんて馬鹿なことを。愚かな自分にほとほと呆れ果ててしまう。
せめてこんな馬鹿げた本音を悟られないよう、私は今日もマリーディア・ローヴァデインとして精一杯の完璧な仮面を被って日々をやり過ごしている。それだけが、私に残された唯一の矜持だ。
11
お気に入りに追加
758
あなたにおすすめの小説
【完結】伯爵の愛は狂い咲く
白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。
実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。
だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。
仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ!
そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。
両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。
「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、
その渦に巻き込んでいくのだった…
アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。
異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点)
《完結しました》
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
【完結】捨てられ正妃は思い出す。
なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」
そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。
人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。
正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。
人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。
再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。
デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。
確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。
––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––
他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。
前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。
彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。
【完結】偽り神官様は恋をする
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
魔女(女)であるのにも関わらず、神官(男)だと偽り過ごすルナード。神官長でルナードの祖父マカリーが、婚約者としてディアルディと言う女性を連れて来た。
ルナードは、マカリーの策略を怪しむも婚約を承諾する。
ディアルディも秘密を持っていたそれは、ルナードと同じく性別を偽っていたのだった!
そして、婚約した事により自分の出生に関わるある事が、明かされていく――。
ドキドキ台詞――。
ルナード 「いいか。私のモノではないけど、彼女は私の婚約者だ。次に触れたら命はないと思え!」
ディアルディ 「つまり、君と結婚してもいいと思っているって事。君は、神官を続けたいんだよね?」
マカリー 「将来の事だ。事が解決したら私は本当に二人が結婚してもいいと思っている。今からそれぞれ、伴侶を探すのも大変だろう?」
転生おばさんは有能な侍女
吉田ルネ
恋愛
五十四才の人生あきらめモードのおばさんが転生した先は、可憐なお嬢さまの侍女でした
え? 婚約者が浮気? え? 国家転覆の陰謀?
転生おばさんは忙しい
そして、新しい恋の予感……
てへ
豊富な(?)人生経験をもとに、お嬢さまをおたすけするぞ!
[完]巻き戻りの第二王太子妃は親友の幸せだけを祈りたい!
小葉石
恋愛
クワーロジット王国滅亡の日、冷酷なクワーロジット王太子は第二王太子妃を捨てた。
その日、捨てられたラシーリア第二王太子妃は絶対絶命の危機に面していた。反王政の貴族の罠に嵌り全ての罪を着せられ、迫り来る騎士達の剣が振り下ろされた時、ラシーリア第二王太子妃は親友であったシェルツ第一王太子妃に庇われ共に絶命する。
絶命したラシーリアが目覚めれば王宮に上がる朝だった…
二度目の巻き戻りの生を実感するも、親友も王太子も自分が知る彼らではなく、二度と巻き込まれなくて良いように、王太子には自分からは関わらず、庇ってくれた親友の幸せだけを願って………
けれど、あれ?おかしな方向に向かっている…?
シェルツ 第一王太子妃
ラシーリア 第二王太子妃
エルレント クワーロジット王国王太子
自己肯定感の低い令嬢が策士な騎士の溺愛に絡め取られるまで
嘉月
恋愛
平凡より少し劣る頭の出来と、ぱっとしない容姿。
誰にも望まれず、夜会ではいつも壁の花になる。
でもそんな事、気にしたこともなかった。だって、人と話すのも目立つのも好きではないのだもの。
このまま実家でのんびりと一生を生きていくのだと信じていた。
そんな拗らせ内気令嬢が策士な騎士の罠に掛かるまでの恋物語
執筆済みで完結確約です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる