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三話 〈2〉

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 私にはそれが出来るだけの力がなかった。だから、ある日天啓のように降りてきた『物語』の存在によって、自分がいかに無力で無価値で、どうしようもないくだらない存在であるかを知ってしまった時、己の衝動に抗うことすらできなかったのだ。

 この世が作り物の嘘っぱちなのだとしたら、どれだけ頑張ろうともこの先の未来が決まってしまっているのだとしたら、私の生きてきた意味などなくなってしまう。
 否。そもそも意味などなかったのだ。
 全てが無意味で、無駄で、無価値な塵に見えた。このまま気に食わないものは全て壊して、そして自分も死んでしまおうと、愚かなことを本気で考えた。

 きっとあの時ロバートが来てくれなかったなら、私は衝動のままに実行していたことだろう。
 ロバートがいてくれて本当によかった。まさか、あの状況からロバートと婚約を結ぶことになるだなんて思ってはいなかったけれど、今となってはこの道が最良だったと確信している。

 今や学園でも『完璧な淑女』などと呼ばれているけれど、私は王妃になるにはあまりに実力不足だ。
 寝食を削って勉強に励んで成績を保ち、家名と立場だけで交友関係を結び、幾人もの侍女に手をかけてもらってようやくそれらしい美貌を保っているような、そんな期待外れの女だ。

 クロスタレー公爵家のアマリリス様のように一度見聞きすれば全てを覚えてしまうような並外れた才や、ミガマイン伯爵家のエリーシャ様のように男女問わず周囲を虜にする魅力的で輝かしい美貌と愛嬌を備えているわけでもない。

 本当の私を知れば、きっと誰もががっかりするだろう。
 何せ、私は百年に一人の天才と持て囃された稀代の魔導師である父を持ちながら、防御魔法しか使うことができないような出来損ないだ。
 誰も彼もが、私がローヴァデイン公爵家の令嬢で、学園では一見優秀な成績を収めているから評価してくれているに過ぎない。

 無力な私が積み上げたものはあまりにも脆く、容易く崩れてしまうものだ。
 それを思うたび、私は薄氷の上を歩いているような気分になる。

 足元から凍りつくような不安を和らげることができるのは、ロバートの隣にいる時だけだ。
 彼の前では、私は公爵家の令嬢でも宮廷魔道師団長の娘でもなく、『幼馴染のマリー』でいられる。そう居ても許される。
 それがどれほど嬉しく、愛おしいことか、ロバートはきっと理解していないだろう。そして、私がどれほど彼のことを好きなのかも。

 ロバートは私のことを『好き』だと言ってくれるけれど、彼の『好き』には情念がない、と思う。
 当然だろう。彼はあくまでも仲の良い幼馴染を哀れに思って、助けるために婚約を結んでくれただけなのだから。
 そんな望みを抱くこと自体、ロバートの親切に対して失礼な話だった。

 劇的な愛情など有り得ないし、それでも別に構わなかった。例え恋人のような情熱は向けられなくとも、家族として共にあれるのなら、こんなに嬉しいことはない。
 そう思っているのに度々確認してしまうのは、私が弱くて狡いからだ。ロバートの声音に恋情を感じ取れたら、と期待する度にこの口は勝手な問いを言葉にしてしまう。

「ねえ、ロバート。私のこと、好き?」
「もちろん、好きだよ」

 ロバートは何度聞いても、必ず笑顔と共に答えてくれる。それが間違いなく本心だということは、婚約者としての付き合いが長くなる内に自然と理解した。彼は一つも嘘を付いてはいないし、本当に私のことが『好き』なのだ。
 その『好き』が、犬や猫に向ける親しみと同じであることに気づいていないだけで。

 ロバートは、私が彼を好きかどうか、一度として聞いてきたことはない。多分、興味がないのだと思う。
 私がロバートを好きかどうかなんてどうでもよくて、確かめる必要すらなくて、私はただ仲の良い幼馴染だから彼の隣にいることを許されているのだ。

 ロバートがいつか、本物の恋に落ちる相手が出てきてしまったらどうしよう。
 ロバートが愛するような女性だ、きっと私よりも何倍も素晴らしい人に違いない。そんな素敵で魅力的な女性が現れたら、きっと私なんかでは敵うわけがない。


 ────ごめんね、マリー。僕が本当に愛してるのは彼女なんだ。でも、君が大切なのも本当だよ。幽閉されて餓死だなんて辛いもの、これからも僕の妻として安全に暮らしてね。


 美しく聡明な女性と寄り添い合うロバートにそんなことを言われる光景を夢に見ては、夜中に飛び起きてしまう。薄暗い部屋で一人汗を拭って、喧しく騒ぎ立てる心臓を押さえつける時、私はいつだって自己嫌悪に苛まれる。

 ロバートのそばにいられるだけでいい。私の理性はそう言っている。でも、私の本能は、本当の心は、ずっと叫んでいるのだ。

 私だけを見て、私だけを愛して、他の誰にも心を奪われないで欲しい。

 そう出来るだけの魅力も持ち合わせていないくせに、なんて馬鹿なことを。愚かな自分にほとほと呆れ果ててしまう。
 せめてこんな馬鹿げた本音を悟られないよう、私は今日もマリーディア・ローヴァデインとして精一杯の完璧な仮面を被って日々をやり過ごしている。それだけが、私に残された唯一の矜持だ。


 
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