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十八
しおりを挟む堪らなく幸せな時間だった。同時に、どうしようもなく悲しくもあったけれど。
次の日。ハルヨシの部屋で目覚めたシェリーは涙の残る頬を拭って、顔を洗いに出た。
ベッドには既にハルヨシの姿はない。隣で眠られていたらそれはそれで困ってしまうし、照れてしまうから別に構わないけれど、少しだけ寂しかった。
「おはよう、シェリー」
「あ、お、おはよう、ございます……」
「身体は辛くない? 不調があるようなら、回復するまで待つからね」
あんなことをした翌日だというのに、ハルヨシは既にいつもの調子を取り戻していた。
動揺していた様子など最早微塵も見えない。なんだか、自分だけが意識してしまっているようで余計に恥ずかしくなったシェリーは、消え入るような声で大丈夫です、とだけ返した。
顔を洗い、服を着替えてから朝食の準備をする。大丈夫、と答えたからには、ハルヨシはきっと、今日にでも殺して貰おうとするだろう。
これが最後の食事になるかもしれない。そう思うと、シェリーはどうしても、いつものように対面で食べる気にはなれなかった。
配膳を終え、腰掛けたハルヨシの隣に座ると、彼は僅かに身体を強張らせた。
「……ハルヨシ様?」
「うん?」
首を傾げて見せる彼が、僅かに椅子を横にずらしたのを、シェリーははっきりと見た。
隣に座るハルヨシの顔を覗き込む。彼は分かりやすく顔ごと視線を逸らすと、所在無さげに林檎を齧った。
あからさまなその態度に、思わず笑みが溢れる。
「……良かった、私だけ、気にしているのかと思いました」
「頑張って取り繕ってたんだよ。百も超えてるのに、情けないだろう、こんなのは」
どこか拗ねた様子で呟いたハルヨシは、笑みを浮かべるシェリーに目を向けると、彼女の瞳が幸福そうに輝いているのを見て、溜息を落とした。
「……愛される、というのはこうも緊張するものなんだな」
「そう、でしょうか」
「ああ。私を愛してくれたのなんて、それこそ母くらいの者だったが……それとも違う感じだ」
ぼんやりと呟く彼が、これまで何一つ動揺することなくシェリーを脱がせたり、身体に触れたり出来たのは、薄々察していても実感がまるで無かったからだろう。
彼は度々、興味の有無が激しく切り替わることがあった。感情のスイッチを切り替えるかのように話を飛ばしたり、急に距離を詰めてきたり、かと思えば大した感慨もなさそうにしたり。元々の性質がそういうものなのだろうが、それは周りに対してだけでなく、彼自身の感情に対しても同じようだった。
実感してしまった途端、狼狽えたり、困ったように首を傾げたりするハルヨシの姿を、もっと見ていたい。そう、心から思う。
けれども、それは望めないことなのだ。幸せに浸るシェリーの心に、ハルヨシの問いが刺さった。
「それで、いつにしようか」
「……夕日が沈む頃に」
先延ばしにしようとした訳ではない。けれども、彼を殺さなければならないのだとしたら、あの燃えるような赤い空の下が良いと思ったのだ。
シェリーの返答に、ハルヨシは頷いた。楽しみにしてるよ、とまるで逢瀬の約束でもするかのように笑いながら。
最後の日だ。この日を、最上の物に出来るよう、精一杯努力しよう、とシェリーは決意した。
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