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四
しおりを挟む「あ、ああああっ! おかあさま、おかあさま!」
喉を枯らすほど叫んだ姉は、母に抱きつこうと手を伸ばしかける。が、そこで脇に立つ伯爵に気づく。目を剥き、母の体を突き飛ばして逃げ出す。
「いやよ! いや! しにたくない、シェリー! シェリー、何を突っ立ってるの!」
芋虫のように地を履い、無様に逃げ出した姉が泣きながらシェリーに縋り付く。
顔面を血と涙と涎で汚し、泣き叫ぶ姉を見下ろしたシェリーは、この悍ましい空間の中、ぼんやりと逃避するかのように呟く心の声を聞いた。
ああ、久々に選んだ洋服が早々に汚れてしまった。折角、五年ぶりに新しい服を貰えたのに。
汚れを気にして身を引くシェリーに、姉は尚も縋り付く。
「シェリー! しぇりー、なんとかしてよ! あんたの馬鹿力なんて、こんな時くらいしか役に立たないんだから!」
あ、と思った。
思ってしまった。
————この人は、命の危機に瀕してすら私を軽んじるのだ、と。
それが姉だけの責任だとは、シェリーにはどうしても思えない。後妻としてノーランド家に入った母が自分の娘である姉とシェリーに差をつけ、そうすることで姉を躾けやすくしようとしたのは母だ。
昔、まだ姉がこれほど酷くなかった頃に、優しくしてもらった記憶がある。それを母によって捻じ曲げられ、矯正できないほどに歪んでしまった。言わば、姉も母の被害者である。だからこれまでは我慢してきた。
でも、もう無理だった。
死の淵に立ってまで目を覚ませないのなら、姉に期待できることなど一つもない。
伯爵は先程、姉と母の名を口にした。断罪されるべきはその二人だと、はっきりと明言した。
ならばシェリーはこの場では部外者だ。このあと殺されるにしても、今この場での、彼の手による殺戮の対象に、シェリーは入っていない。
母が死に、姉もじきに死ぬ。もう、この二人に蔑まれ、虐げられる時間はやってこない。
そう思うと、何だかとても晴れやかな気分だった。
シェリーは軽やかに踵を返し、伯爵へと視線を向けると、それまで強張っていた顔に笑みを浮かべてみせた。
「伯爵様は、肉団子はお好きですか?」
「……嫌いではないよ。子供の頃はよく食べた」
シェリーの言わんとするところが分かっているのだろう。伯爵は静かに笑うと、片手で部屋の隅に在るクローゼットを指し示し、踠き苦しむ姉を楽しそうに見下ろした。
シェリーは足元に纏わりつく姉を蹴り飛ばしながらクローゼットへと歩みを進め、扉を開ける。
そこには、金槌や鋸、大振りの包丁などが並んでいた。
シェリーは今までで最も幸福で、最も充実した気持ちで口元を綻ばす。並んだ凶器を指先で愛しげに撫で、包丁を手に取る。地を這う姉の後を追い、その美しく嫋やかな髪を掴んだ。
姉も、シェリーが何をするつもりなのか気づいたようだ。
ひ、と喉を痙攣らせる音が聞こえた。
「いや、いやよ、シェリー、どうして、やめて、」
「随分と生きがいいのね、お姉様」
「やめて! 謝るわ、これからはあんたにもちゃんと、ねえ、シェリー! やめてったら!」
涙声で叫ぶ姉に、シェリーは躊躇うことなく包丁を振り下ろした。
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