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最強の護衛

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 馬車の旅は予定通り順調に進み、途中の宿場で何泊かしながら、マーテル領の領館へと到着した。
 そこそこ大所帯の隊列だからか、リデルが思っていたより時間がかかるようだ。
 でも――旅行には行ったことがないし、これはそんな物見遊山の旅ではないけれど、リデルにとっては、何もかもが初めての経験で、その行先とか目的をさておけば、旅自体はとても楽しかった。
 これまでもずっとそばにいてくれた侍女や護衛騎士たちだけど、短い間でもこうして一緒に旅をしてると、なんだか不思議な連帯感のようなものまで感じられて。――我ながら単純だと思う。
 だが、これまで自室にこもってばかり、家族としか交流してこなかったリデルにとって、それは貴重な体験だった。

 そうして次の朝、領館を出発したリデルたち一行は、笑顔で歓迎してくれた領民たちに、涙で見送られた。
 そうしてその日のうちに国境を越え、ついにエグデス大公の待つサルファン宮殿へと到着した。



「ようこそ、サルファン公国へ」

 煌びやかな宮殿の前でリデルを待ち構えていたのは、大仰にそう腕を広げたエグデス大公だった。
 うわー……つるっつるのピッカピカ……。は! ダメダメ!
 つい輝く頭に目がいってしまったリデルは、慌ててそこから目を逸らした。改めて全体に目を向けると、ぶよぶ……んん、恰幅の良い体格ですね!と、リデルは呆気にとられ、ポカンと開けてしまいそうになった口元を引き締める。

 背はそう高くなく、その傍らに控えるラグラン侯の方が頭ひとつ高い。面積、てか体積? は多分エグデス大公の方が大きいけど。……歳は確か、四十歳? くらいだったよね? 
 顔立ちは悪くないのだけれど、日頃から飽食に任せた怠惰な生活送っているのだろう。その弛んだ体型と覇気のない濁った目のせいで、実年齢よりずっと老けて見えた。五十に差し掛かったマーテルの方が、断然若々しい。

「サルファン公国元首、エグデスにございまする。リデル殿下には、遠路遥々よくぞお越しくださいました。このエグデス、殿下のご到着を心よりお待ちしておりましたぞ! ささ、どうぞこちらへ」

 いきなり至近距離に詰めてきて、エスコートのつもりなのか馴れ馴れしくその手を差し出してくる。

 見た目がどうこうというより、一昨年から飢饉が続くこの切迫した状況で、自分だけがこんなにでっぷり太っている君主ってどうなの? と、リデルは目の前の脂下がった中年男への生理的嫌悪感に身震いがした。
 差し出されたその手を、取るべきなのだろうけど――。

「お出迎え恐れ入ります。エグデス大公。――我がジャスリーガルの宝珠は慣れぬ旅路にお疲れのご様子。まずはゆるりとお休みになれる部屋へお連れしたいのですが?」

 いつの間にか隣に立っていたマーテル卿がそう告げて、逡巡していたリデルの手を掬いとる。
 その後ろには、ジャスリーガルから付き従ってきた侍女たちと、その一行を守るように囲むリデルの護衛騎士たち。
 その圧に気押されるように、エグデス大公は後ずさる。マーテルが威圧香気を発したわけでもないのに。彼のアルファとしてのランクはあまり高くなさそうだ。

「……そうですか。それはさぞお疲れでしょう。すぐにお部屋に案内いたします。もちろん、リデル殿下にはこの宮殿で二番目に良い部屋をご用意しておりますぞ。我が大公妃に相応しい豪華な部屋を」

 一瞬浮かべた忌々しげな表情を引っ込めて、エグデスはどこか小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、恭しく頭を下げて見せた。
 二番目に。って……ここで一番偉いのはお前じゃない。と言いたいのだろうけど。器の小さい男だな。
 親子ほど歳の違う結婚相手に、そんなつまらないマウントをとってきた男は、リデルから一瞬たりとも目を離さず、全身を舐め回すように粘ついた視線を這わせる。
 その下品な視線に寒気がしたが、リデルは勇気を振り絞り、伏せていた目を上げた。

「ありがとう。――よろしく、エグデス大公」

 ――おもねる必要もへりくだる必要もないわ。微笑みも、甘い声もいらない。ただまっすぐ相手の目を見なさい。堂々とね。それだけで勝負はつくから――

 エグデス大公に会ったらどう接するべきか聞いた時、ミリアムはそう答えた。
 真正面から見据え、つと顎を上げたリデルが冷たくそう発すれば、

 「こ……こちらこそ、よろしくお願いいたします。――麗しき『雪の華』よ」

 エグデス公は顔を赤らめ、呆けたようにうっとりと、その氷のオメガに見惚れていた。
 


 エグデス公自らリデルのために用意されたという部屋まで案内してくると、部屋の前で、今宵は歓迎の宴を催しますので、ぜひお出ましを。と迫ってくる。
 とにかく早く帰ってほしくて、リデルが仕方なく小さく頷けば、

「御足労痛み入ります。大公閣下」

 マーテルは間髪入れずに口先だけでそう礼を言い、大公との間に身体を割り込ませリデルと侍女を中へと促した。もちろん先に扉を開け、中の確認は済ませている。

「それでは、どうぞゆるりとお寛ぎくださいませ。リデル殿下」

 マーテルは礼儀正しくそう腰を折り、リデルが部屋に入るや否や、まだその場にいたエグデス公の目の前で扉を閉めた。
 中に入ったリデルは、ようやくホッと息をつく。マーテルと護衛騎士たちは、部屋の外で仁王立ちとなり大公を阻んでいることだろう。

 先にマーテルがざっと確認はしたようだが――侍女たちは中に入るとすぐに、いくつかある部屋の隅々まで、怪しいところがないか確認している。
 全体的に無駄にギラギラしたこの宮殿の中にある、二番目に立派だというこの部屋もなんだか趣味が悪くて落ち着かない。お金はかかってそうだけど。
 着いて早々、ずっと引きこもっていた王宮の自室が懐かしくなる。ここにはみゃーちゃんもいないし――まぁ、ずっといるわけじゃないしね。ほんの数日間のことだ。我慢我慢。

 そうため息をついたリデルをソファに促し、安全確認が終わったのか、ライラがお茶を淹れてくれ、そのタイミングでようやくマーテルが部屋に入ってきた。

「やれやれ、全くあの厚かましいヒヒジジイめが! 未練たらしく部屋の前からなかなか動こうとしませんでな。護衛騎士の配置を指示する振りをして、扉の前から追いやりました。――まったく気持ちの悪い!」

 声大きいよ、マーテル! とハラハラしつつも、彼が気持ちを代弁してくれたおかげで、胸のモヤモヤが晴れ、身内だけの空間になったからか、緊張で強張っていた体の力も自然に抜けた。

「なぁにが、二番目に良い部屋だ。は! 成金趣味まる出しではないか! ――あの国宝級のサール・ファウヌ宮を潰して、こんなくだらぬ張りぼて宮殿を建てるなど……つくづく度し難い男よ」

 いつも通りのマーテルの歯に衣着せぬ悪口雑言が、いっそ心地よい。
 ライラはしょうがない人ですね。という様子で苦笑しつつも、そんなマーテルの発言を許している。きっと見張りがついている気配はなかったのだろう。こちらとしては敵陣真っ只中の心構えだけど――サルファン側はあまり警戒してないようだ。

 この場所に元々あったサール・ファウヌの皇宮は、石造が基本の西側諸国と違って、豊富な山林資源を生かした木造の宮殿で、歴史ある荘厳な建物だったと聞いた。
 確かに、サルファン公国に入ってからの風景は、自然に溶け込むような調和の取れた美しい世界で――独特の様式の建物も、街並みも、いつまでもずっと眺めていられた。その皇宮ならば、この国でも最高峰の建築だったろうに。と、残念に思う。ここにきたばかりの自分がそう思うくらいなのだから、この国の民はどれほど、辛く悲しいことだっただろう。
 
「私はこのあと輸送隊と共に出発し領地へと戻りますが――何かありましたらいつでも、すぐに、馳せ参じますぞ、殿下。どうぞ、お心やすらかにお過ごしくだされ」

 それでも、万が一にも聞かれてはいけないことは、口に出来ない。それはリデルへの、マーテルの精一杯の励ましだった。もちろん『すぐに助けに参りますからな!』の意だ。

 身一つで良いと言われても、王弟の輿入れとなれば、ジャスリーガルの威信を損なわぬようそれなりの嫁入り支度は必要だ。加えて見知らぬ国に嫁ぐ王弟オメガのためにと、侍女や侍従、医師、使用人に及ぶまで、数多くの人員も伴ってきた。
 そしてその一団を警護してきた王国騎士団は、空になったその馬車に載せられるだけ糧食を乗せ、それを運ぶ輸送部隊として帰途につく。それがサルファンからの支援の第一陣となり、婚儀が無事終わりリデルが正式に大公妃になればすぐに、第二陣の輸送隊が送られる。 
 それが二国間で交わされた婚姻に関する条件だった。

 婚儀は、五日後に行われる。
 もちろん、リデルとエグデス大公の婚儀など、はなから認めるつもりのないジャスリーガルは、それまでにサルファンを陥落するつもりでいる。
 この五日間で決着をつけなくてはならないのだから、少しの猶予もないとわかっている。この作戦にマーテル領の領兵の協力は不可欠で、それを指揮するマーテルはすぐにでも戻る必要があることも。
 でも――。

「もう帰るの? マーテル」

 分かってはいても――リデルはなんだか急に心細くなって。ついそんな言葉が溢れてしまった。
 
「はい。殿下には何人もの優秀な護衛騎士がついておりますゆえ。――本当は、儂がここまでお供する必要はなかったのですがな。ついしゃしゃり出て、着いてきてしまいました」

 マーテルはおどけるようにそう言って、笑った。

「ありがとう。マーテル」

 小さな頃から、マーテルには心配ばかりかけてるな。と思う。
 マーテルは、ソファに腰掛けたリデルの足元に跪き、その固く乾いた手を、膝に乗せていたリデルの手に重ねる。――もう、ここまで近づかれて、手を握られても怖くない。昔みたいに肩車されるのは、ちょっと怖いかもしれないけどね。

「リデル殿下。きっと――何もかも、良い方に動き出します。長く厳しい冬を越えるからこそ、雪解けが大いなる恵みをもたらすのです。『春は、シルフィーの背を追いかけてくる』……我がジャスリーガルの宝珠よ。いずれまた」

 包んでいたリデルの手をぎゅっと握ってから、マーテルは立ち上がった。
 ~雪解けが大いなる恵みをもたらす。の文言は、ジャスリーガルの諺のようなものだ。今は辛くとも、いつかは良くなるよ。という励ましの意味の。
 『春は、シルフィーの背を追いかけてくる』は、王子の冒険譚『道標のシルフィー』に出てくる一節だ。雪山を跳ねるように降りてくるシルフィーの背を、目覚めた春が追いかけてくる。ジャスリーガルで、春は幸せの象徴だ。
 それってどういう意味?――その一説の意味を問うた幼いリデルに、

『それは追いかけるものではなく、追ってくるもの。自分の進むべき道を進めば、自ずとついてくる。そういうものです』

 マーテルはそう答えた。その時は、よくわからなかったけれど――。

 そうして、ふとドアの前で立ち止まった彼は、

「そうそう、言い忘れておりましたが――御者を務めていた騎士は、新入りですがですぞ。ぜひ近くに置かれるがよい。では」

 そう告げて、部屋を出て行った。
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 ときどき何話か遡って読み返し、誤字脱字、文章の不備等気づいたものは訂正しています。(それでもまだある気がする……。毎話更新を追ってくださってる読者様、いろいろ不備だらけですみません(;ω;)) 何か変なとこがあればお知らせくださると嬉しいです。もちろん感想もv v v どうぞよろしくお願いいたします。
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