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いざ、サルファンへ
しおりを挟むサルファンへと旅立つ朝。
頬に触れる冷気に、リデルはふわふわとした雪貂の襟飾りに首をすくめた。
本格な冬ともなれば、ジャスリーガル王国は灰色の重い空と雪に包まれ、陽が差す日はめっきり少なくなる。何年振りかで城外に出たのが、よく晴れたこの朝でよかったなと思う。
王宮前の広場には、ジャスリーガル王家の紋章入りの馬車。その後ろには、嫁入仕度の荷が長く連なり、馬に乗った護衛騎士たちがそれらを守るように配置されている。
真っ白なふわふわもこももの防寒着に身を包んだリデルは、兄王と王妃らに見送られ、付き従う侍女たちと共に、ゆっくりと宮殿前の階段を降りる。
その下で、リデルを待ち構えていた人影は――。
「マーテル卿……?」
思わず呟いたリデルに、
「ご機嫌うるわしゅう。我がジャスリーガルの宝珠よ。――これより、このテレンス・マーテルが王弟殿下をお護りし、必ずや無事にサルファン公国まで送り届けまする」
騎士団長時代を彷彿とさせる儀礼用の軍服に身を包み、彼の生涯の友といえる名剣ランドルフを佩いた歴戦の勇士『不屈のマーテル』は、膝をつき、その手を差し出した。
確かに『最強の護衛』には違いない。……か?
いや、でも! どっちかというと過去形じゃない? そりゃ、元騎士団長だし、『不屈のマーテル』だし? 今でもその強さは全然衰えてないけど! でも、今の最強は間違いなくレックス様だから!!!
と、勝手に勘違いしていたガッカリよりも、『最強』の称号はレックス様以外に譲れない! というオタク魂の声の方が、脳内では大きかった。
ここ数日、リデルはレックス様のお姿を全く拝めていなかった。サルファンとの謁見の場にも、彼の姿はなかった。でもそれは、この後の流れを考えれば当然のことなのだ。
リデルがサルファンの宮殿に入ったら――機を見てジャスリーガルはサルファン公国に攻め入る。
水面下では、そのための準備は着々と進んでいるはずだ。そしてできればその前に、サーベントからの輸送隊を襲ったのはサルファン公国の手の者である。という証拠も握っておきたいところ。
戦の準備と、内通者の捜査。どちらも喫緊の課題で、騎士団長は今、めちゃくちゃ忙しいはずだった。
何でレックス様が一緒に来てくれるかもしれないなんて、一瞬でも思っちゃったかな? と反省しつつ――リデルは差し出されたその手を見つめる。
王宮内では決して必要以上に近づいてこなかったマーテルだが、ここから先は違う。今までのような距離感では護れない。この手は、そういうことだ。と覚悟を決める。
「よろしく頼む。マーテル」
震えないように気をつけながら、リデルは、深い皺と古傷が刻まれた無骨なマーテルの手に、自らの柔い手を預けた。
「お任せを」
そうニヤリと古傷を歪め微笑む老将は、掴んだその手をぐっと引いて、周囲に睨みを効かせながら馬車へとエスコートする。
スマートさには欠けるけれど……これ以上ないほど頼りがいのあるエスコートかもしれない。
リデルはなんだか可笑しくなってきて、アルファに手を取られている緊張もいつのまにかほぐれていた。
いらない記憶は、蓋をして埋めて、忘れてしまえても、身体に刻みつけられた恐怖は、いまだに消えてはくれない。ならばこうして――少しずつでも慣らしながら上書きしてゆくのが正解なのかもしれないと、そう思う。
振り向けば、寄り添い、心配げにこちらを見つめている王と王妃の姿。
大丈夫だよ。ありがとう。きっと、絶対に、うまく行くから。ちゃんとここに、帰ってくるから。
リデルはそう安心させるように、目を細め口端を上げて見せた。
透き通るように晴れた空の下、ゆく手を眺めれば、遥か遠くユレクミアの山肌はもう白く染まっている。
最後にレックス騎士団長の眩しくもかっこいいお姿を目に焼きつけてから行きたかったな……。
そんな未練がましい思いが過ぎり、馬車の踏み板に掛けた足が止まる。
そのときふと、風に乗ったあの甘い香りが鼻先を掠めたような気がして――リデルは思わず周囲を見渡したけれど。
その姿は、どこにもなかった。
揺れることなくスムーズに走り出した馬車内には、リデルとその侍女二人、そしてマーテルの四人。
ジャスリーガル国は険しいユレクミア山脈を北壁とし、その壁は緩やかに蛇行し東側のマーテル領まで続いている。その山脈の稜線を国境線とする国土の北半分には、山裾から南向きに開けた穀倉地帯が広がっており、雪解け水の湧水に恵まれたその平野にはいくつかの有力貴族の領地が連なっていて、王都はその平野部の南東に位置する。
サルファン公国は、その王都から東へまっすぐ進んだマーテル領の向こう側。王都とマーテル領を繋ぐ街道は、その間に山も大きな川もないため、東へ進む最短ルートだ。道は広く平らかに整備されており、馬車も馬もスムーズに進める。
「わざわざ、迎えにきてくれたんだね。ありがとう、マーテル」
春夏は王都で過ごす貴族や諸侯らは、冬になる前に自領に戻り、領地で越冬するのが一般的だ。マーテル領に差し掛かってから合流しても良かったのに。と、なんだか申し訳なく思う。
「なんのなんの。――今や、国内の治安は悪くなる一方。王都ですら安全とは言えなくなりました。嘆かわしいことですがな。王都から同行し、儂がしっかりと目を光らせている。というアピールはしておいた方が良いでしょう? 内にも外にも」
街道は盗賊たちが跋扈しており、商隊などは言わずもがなだが、諸侯らの自領との行き来さえも、護衛の数を増やし用心をしているという。
確かにそのアピールは効果的だ。『不屈のマーテル』が護る馬車を襲うような命知らずはいないだろうしね。と納得する。
「サルファンからの物資が届いて、食糧が行き渡れば、きっとそれも落ち着くよ」
「は! 王族を人身御供に差し出して得た食糧で生き存えるなど、私ならごめんですがな」
「相変わらずだね。マーテルは」
「そもそも自領にはしっかりと溜め込んでおるくせに、王都への提供を渋る貴族たちの多さよ。まったく度し難い奴ら」
「マーテル卿」
不機嫌な調子で愚痴り出したマーテルを、侍女のライラが遮った。
彼女はマーテル領出身だけど……え、領主のマーテルにその口の利き方? てか、てかどこ出身でもアウトじゃない? 大丈夫? と、リデルが内心慌てていると、
「んん! いや、すまんなライラ。言っておくが、ただ愚痴っているわけではないぞ?」
そう、バツの悪そうな顔をした、マーテルが言い訳をする。え、知り合いなの? と首を傾けたリデルに、
「此奴は、私の姪なのですよ。頭でっかちの役人に嫁いだ末の妹が産んだ娘ですが、我がマーテルの血が色濃く出たようで、ベータでありながら女にしておくには惜しいくらいの身体能力でしてな。私が鍛えて王妃殿下に預けたのですよ。その隣のエリスらと一緒に。リデル殿下とは年も近うございますし、ちょうど良いかと」
……なるほど。それでか。となんか納得。そりゃ、いろいろと強いはずだよねー。と、リデルは改めていつもお世話になってるライラとエリスを見やる。一見しとやかで上品な侍女だけど……マーテルが仕込んで、ミリアム姉様が教育した侍女とか、最強じゃない?
「それはそうと、リデル殿下。――この馬車は今、誰に聞かれる心配のないことのない動く密室。せっかくですので、サルファンに着くまでの道中を、これまで掴んだ情報の共有と今後の作戦についての協議に当てたいと思うのですが……よろしゅうございますか?」
まるで悪巧みを持ちかけるようにわざと声を潜め、マーテルは、どこか楽しげにそう持ちかけてきた。
リデルは自分を、何も知らされない囮の兎だと、そう思っていた。ただ大人しく守られ、籠の中に隠れていれば良いのだと。
だがマーテルは――リデルを安全な籠の中に閉じ込めるつもりはないようだ。
「苦しゅうない」
リデルは期待に胸を膨らませ、そう顎を上げた。
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ときどき何話か遡って読み返し、誤字脱字、文章の不備等気づいたものは訂正しています。(それでもまだある気がする……。毎話更新を追ってくださってる読者様、いろいろ不備だらけですみません(;ω;)) 何か変なとこがあればお知らせくださると嬉しいです。もちろん感想もv v v どうぞよろしくお願いいたします。
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