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大切な約束
しおりを挟む――そうして正式に、リデルのサルファン公国への輿入れは決まった。
サルファンに向かうリデルの旅程と支援物資の輸送にかかる日程を考えると、少しでも早いほうが良い。そのため慌ただしくはあったが、リデルの出立は三日後となり、サルファンからの使者もすぐに嫁いでくるリデルを迎える準備とそれと引き換えに贈られる物資の準備のため、すぐさま婚姻に関する細かい条件を記した書面にして契約を交わし帰国の途についた。
「すごいや、姉様! あのドケチなサルファンから、予定の倍の食糧支援を約束させるなんて」
謁見の翌日。
輿入れの準備と打ち合わせにと部屋にやってきたミリアムを、リデルはキラキラした目で迎えた。
「あら、それはあなたのお陰よ。本物の『王家のオメガ』を目の前にして、みみっちく値切れっこないものね」
「これで、安心して冬を迎えられるね。――ちゃんと約束通りに届けてくれたら。だけど」
サルファン公国も、あの狡賢そうな男も、本当に信じていいのかどうかは若干不安が残るけど……まぁ、しっかり文書でも契約を交わしてるしね。うん。
「なに言ってるの、リデル。昨日のは、あくまで相手を油断させるためのお芝居でしょう?『不幸にもサーベントからの荷を失ったジャスリーガル王家は、サルファンからの申し出に縋るしかなくなった』と、信じさせるためのね。あの調子なら、サルファンの食糧には意外と余裕がありそうな感じだし。 ――攻め込んではみたものの、穀倉は空でした。じゃ目も当てられないもの」
ひと安心ね、と笑う。
「でも、姉様――あれだけの対価を払ってくれるなら、わざわざ事を荒立てる必要ないんじゃ……?」
確かにあのお芝居の目的は、僕が食糧と引き換えに泣く泣くサルファンにお嫁に行く。と見せかけるためだったけど……。
サルファの提示した支援は、僕一人と引き換えにそんなに大放出していいの? っていうくらいの量だった。逆に自分たちの分足りなくならない? って心配になるくらいの。それだけあれば、この冬は十分に越せるよ?
僕がサルファンに行けば、それだけで十分な食糧は手に入るんだし……何もこの大変な時期に戦いを仕掛けなくてもよくない? そりゃ、あっちがもし約束を破ったら致し方ないけど。
そうリデルは思う。
サルファンの援助に頼らねばならないのは悔しいが、それでしっかり英気を養い、サルファンが輸送隊襲撃に関与した証拠を揃えて、雪解け後に一気に攻め込む。という策の方が堅実な気がした。
「本当に……あなたは、もう……!」
不思議そうに首を傾げたリデルに、ミリアムは思わず抱きついていた。泣きそうになった顔を隠すように。
リデルは自分の事を、少しも大切にしない。あってもなくても良いものの様に扱う。まるでそれが当然の事だという様に、無自覚にそう言ってのける。それは、自己犠牲や献身ですらなかった。
この婚姻が成れば、サルファンはこの上ない『人質』を手にすることになる。そんなこと――許せるはずがない。もし何か事が起これば、リデルは人質になる前にと、さっさとその命を絶ってしまうだろう。
リデルにとってその身は、路傍の石ほどの価値もないのだ。ミリアムがそれが悲しくて、腹立たしかった。
「ミリアム姉様?」
「ちょろすぎるわよ、リデル。ちょっと色つけられたくらいで、丸め込まれるんじゃないの!」
ミリアムはそう言って体を離し、リデルの額にデコピンをお見舞いする。
「姉様、痛いです」
いい音がしたおでこを押さえ、涙目のリデルが唇を尖らせると、
「我が国の宝珠を、あんな国にくれてやるわけないじゃない。あなたは私たちの大事な弟よ。それだけは――どこへ行っても、何があっても、決して忘れないで」
サーベント王族の菫の瞳が、リデルの聖碧瞳を覗き込む。
賢くて優しくて、頼りになる姉様。
「はい、姉様」
ごめんなさいも、ありがとうも違う気がして、リデルはただそう頷いた。
ミリアムもヘイゼルも、自分のことをとても大切に思ってくれていることは、痛いほどわかっている。リデルはただ、少しでもそんな二人の役に立ちたかっただけだ。ミリアムがそう言うのなら――今は素直に自分に与えられた役割を果たそうと、そう思う。
「三日後にはもう、サルファンに向けて王都を立つことになるけれど……リデルがサルファンの王宮に入ってから婚儀までには、幾許かの猶予がある。それまでには必ず助け出すから安心しなさい。貴方には、ジャスリーガル最強の護衛をつけるから」
「最強の護衛?」
「ええ。サルファンへの道中も、到着してからもずっと貴方のそばに。ね。彼ならきっと――いいえ、必ず。貴方の髪一筋も傷付けることなく連れ帰ってくれるわ」
それって……まさか。え、うそ。でも、この国で最強の騎士って、レックス様だよね? 王国騎士団長であるレックス様より強い騎士なんてどこにもいないよね?! レックス騎士団長こそが、最強の護衛で、さらに最高にカッコいいこの国一の、いや世界一の騎士だよね???
え、でも待って。王国騎士団長はジャスリーガル王の盾だ。王であるヘイゼル兄様のそばを離れるなんてあり得なくない? それも、王都どころかこの国から離れるなんて……。
一見ただぼんやりと首を傾けているように見えるリデルが、脳内でオタク語りな自問自答で疑問符を溢れさせていると、
「もちろん、今あなたに付いている侍女も護衛騎士も、医女も同行させ、そして全員そのままサルファンに留まることは嫁ぐ条件に織り込み済みだから。そして、そのネックガードも」
ミリアムは、昨日からリデルがつけているネックガードを指差した。
番のいない未婚のオメガは、万が一の望まない番契約を避けるためネックガードをつける。身分の上下に関わらず、それが普通ではあった。
だが、これまでヘイゼルたちはリデルにそれをつけさせようとはしなかった。この王宮で厳重に守っている限り、万が一など起こらない。決して起こさせない――もう二度と。
そう心に固く誓っていたヘイゼルとミリアムは、あの事件のあとのリデルに、自分がオメガであることを突きつけるようなそれを、つけさせようとは思わなかった。
そもそも――発情期のオメガの頸をアルファが性交中に噛むことによって成立するのが番契約だ。リデル自身は、発情期の来ない自分にはそんなの関係のない話だと、そう思っていた。
「この王宮の中でなら、こんなものなくても良かったのだけれど――。これから先は、決して外してはダメよ」
「はい」
そう、サルファン公国の人たちは、自分がそんな出来損ないのオメガだとは知らないから――。
リデルは、そうバレないように、『王家のオメガ』としてきちんと振る舞わなくては。と思う。
ミリアムはこの王宮を出るリデルを守るために、最強の護衛や侍女たちを付け、そしてその最後の砦として、このネックガードを嵌めてくれたのだ。この作戦が成功するように、与えられた役割をちゃんと全うしてみせようと。
見た目はベルベットのような光沢のある美しい布地に見えるけれど、実際は金属の糸を織り込んで作られた恐ろしく頑丈なこのネックガード。これにはアルファの犬歯も通らないし、伸縮性もあって首筋にぴったりと沿うから、肌を傷つけずに切ることは難しい。そもそも生半可な刃物じゃ切れないし。
『鍵』はなく、決められた順番通りに編むように結びつけているから、外す時はきちんとその逆の手順を踏まないと外れない複雑なパズルのような作りになっている。
これは元々、ミリアムがヘイゼルと番になるまで身につけていたネックガードで、『知のサーベント』らしい知恵を絞った最上級の代物だった。
だからこれを外せるのは、元々の持ち主でこれをリデルにつけてくれたミリアムだけ。ということになる。一応ミリアムは、リデルにもその付け外しの仕方を教えはしたが。
……すごく複雑だったし、忘れそう。てか自分の首筋って見えないし。自分で外すなら、手探りでってことだよね? 自慢じゃないけど、手先は不器用なんだ。心配しなくても、自力で外すなんて絶対無理です。
そう思ったリデルの心を読んだのか、
「ふふ、大丈夫よ。帰ってきたら、ちゃんと外してあげるから」
ミリアムはそう、安心させるように笑った。
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ときどき何話か遡って読み返し、誤字脱字、文章の不備等気づいたものは訂正しています。(それでもまだある気がする……。毎話更新を追ってくださってる読者様、いろいろ不備だらけですみません(;ω;)) 何か変なとこがあればお知らせくださると嬉しいです。もちろん感想もv v v どうぞよろしくお願いいたします。
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