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猿芝居

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 ミリアムと侍女たちの着せ替え人形と化して数時間。
 ようやくリデルの仕上がりに満足したミリアムが、にっこりと頷く。

 「完璧。じゃあ、後でね。――打ち合わせ通り、私がをしたら入ってくるのよ」
 「はい! ミリアム姉様!」

 拳を握りしめて、そう答えたリデルの緊張をほぐすように、

 「ふふ。大丈夫。綺麗よリデル。こうして立ってるだけで楽勝だわ」

 ふわりと結い上げた髪を乱さないように、いつものように頭を撫でるのではなく頬を両手で包みこんでそう微笑む。そんなミリアムの、大国の王妃然とした圧倒的な気品と美しさの方が眩しいと、リデルは思う。
 そうして彼女は、先にヘイゼル王と共に使者を迎える謁見の間に向かった。


 玉座へと続く王族用の扉は、舞台でいえば上手側にある。扉のこちら側にある小部屋で待機していたリデルは、始まった謁見の様子に耳をそば立てる。

 サルファンの使者としてやってきた男は、メテオ・ラグランと名乗った。彼はエグデス公がまだサルファンの大公となる前から仕えていた古参の臣下で、侯爵位を賜っている。きっと信頼できる数少ない腹心なのだろう。言い換えれば、同じ穴のむじなとも言える。

 扉で隔てられているのと、下座にいる使者の声は距離があるせいで聞き取りにくい。扉の隙間から様子を伺おうと、リデルは扉をほんの少しだけ開けた。
 途端、謁見の間からこちらに流れ込んできたのは――。

「食糧支援と引き換えに、我が国の宝珠をエグデス公へ差し出せと?」

 ヘイゼル王の地の底を這うような怒りに満ちた声だった。

 うわ、もうそんな話になってるんだ。と、リデルが開けた扉の隙間から恐る恐る広間の様子を覗けば、玉座よりも一段下の広間で、膝をつき頭を下げていたラグラン侯が、わざとらしく驚いたような表情を浮かべて見せた。

「滅相もない! そのようなつもりはさらさらございません。ただ――貴国に限らず、どこの国もここ数年に渡る深刻な食糧難で、飢餓に苦しむ民は増える一方。下々の民草は少ない糧を家族で分け合うのが精一杯。赤の他人に施す余裕などございません。それは国家間であっても同じこと。ですがもし、リデル殿下がエグデス大公の正妃となるのであれば……王弟殿下との婚姻により貴国と我が国は縁戚関係を結ばれる。――であれば、我が大公妃の祖国の為、この酷い食糧難を乗り切るべく我が国が支援を申し出るのは当然のこと。これまで大事に蓄えてきた我が国の糧食を差し出すことさえも吝かではないと。そう申し上げたかったのでございます。……王妃殿下の祖国であられるサーベント王国が貴国に手を差し伸べたように。――ですが残念ながら、その貴重な糧食は失われてしまったとか。誠に……お気の毒で痛ましいことです。長く厳しい冬はもう目の前だというのに」

 恩着せがましく芝居がかった口調で滔々と語る男は、中年の痩せぎすな猫背の男。
 手入れの行き届いた長い黒髪と、艶やかに整えられたこれまた長く伸ばした顎髭。上質な貴族らしい衣服を纏ってはいるが……抜け目の無さそうな目と歪んだ口元から溢れ落ちるじつのない言葉は、まるで詐欺師のようだった。
 
「――すでに、ユレクミア山脈は白く染まってきております。本来であれば、段階を踏んできちんとお迎えしたいところではありますが……本格的に雪が降り始めれば我がサルファン公国と貴国を結ぶ街道も閉ざされてしまう。そうなる前にと、早々の婚姻のお申し込みと援助の申し出に参った次第でございます。リデル殿下がサルファンにお輿入れになればすぐに、十分な食糧をお届けする用意があることをお伝えするために」

「突然やってきてそうせき立てられたところで、こちらの準備が整いませぬ。その方の申す通り、我が国も他国同様かつてない食糧難に陥っています。それが解決しないことには、とても王弟の輿入れの準備など……」

 押し黙ったままのヘイゼルに代わりに、ミリアムは困ったように言い淀んだが、

「ああ、そうだわ。ならば取り急ぎ婚約だけを済ませて、春になり雪解けを迎えてから嫁ぐ。ということにしては? いま貴国からの支援が得られれば、きっとこの国も大きな被害を出すことなく無事に春を迎えられましょう。それならば、冬の間にゆっくりと輿入れの準備を整えることもできますわ」

 良いことを思いついたと言うように、そうにっこりと微笑む。

「婚約など!」

 言いかけたヘイゼルの腕にそっと手を置き、ミリアムが小さく首を振る。口を出すなと、いうように。

「恐れながら王妃殿下、我がエグデス大公はジャスリーガルの宝珠、『雪の華』を心より望んでおられます。小なりとはいえ今やサルファンは大陸有数の富裕国。食糧とて充分に。仮に明日身一つで嫁いで来られても何一つ不自由はありませぬ。もちろん、リデル殿下がサルファン大公妃になった暁にはどのような贅沢も飽食もお望みのままに。我が国の至宝のオメガとして、丁重に、大切に、お守りいたす所存――ではありましたが」

 隠しきれない苛立ちを滲ませながらそう並べ立て、ラグラン侯は一旦言葉を切る。

「ご存知の通り、エグデス大公は自らの才で功をなし国を興した元は商人の成り上がり。空手形からてがたを切るつもりはありませぬ。――こちらとしては、精一杯の誠意を示したつもりなのですが……ご理解いただけず残念ですな」

 片頬を歪め、底意地の悪い笑みを浮かべそう続けた。
 ミリアムの申し出を空手形に例えるとは無礼千万だが……実際その通りで。とりあえず婚約して食糧だけ受け取って、春になったら婚約解消。という流れになるのは見え見えだった。
 サルファン側からすれば、食糧を取られるだけでなく、下手をすれば国力を取り戻したサージェントに潰されかねない。
 そりゃそんな話、受け入れるわけがないよね。姉様はわざと怒らせて本音を引き出したかったんだろうけど……。やりすぎじゃない? このまま怒って帰っちゃうんじゃ。
 と、リデルはハラハラしながら覗いていたが、でもまだ……僕が出るのは、早いんだよね。と、薄く開けた扉の取手をギュッと握って耐えた。

「――サージェントの王弟に、身一つで来いと?」

 一瞬の重い沈黙のあと、ミリアムがそう顎を上げた。
 まだ交渉は続いている。

「はい。その尊き御身にこそ、価値があるのです」
「ほう、ではその価値とは、具体的にはどれくらいのものだと?」
「もう良い!」
 
 ミリアムとラグラン侯の問答を、ヘイゼルが遮った。

 あああ、兄様! 演技忘れてない??? そこで口出しちゃだめ!!! と想定していた流れからどんどん外れていくやり取りに、リデルが扉の影でヤキモキしていると、

「我がジャスリーガルの宝珠と引き換えの支援とは、いったい如何ほどものなのか。それを聞いてから考えるわ」

 王であるヘイゼルの言葉を無視して、ミリアムがそう被せた。
 すると、

「さようですな。失われたサーベントからの輸送隊と同程度のご支援でしたら、すぐにでも」

 ……予想通りの答え。なんかミリアム姉様の読み通りすぎて怖いんだけど。
 確かに、いま他国からそれと同程度の食糧支援を受けることは難しいだろう。サーベントだからこそ用意できた量だった。だけど、

「自国も食糧不足の中、何の見返りもなく用意してくれたサーベントの支援と同程度とは……。その程度しか用意出来ぬ弱小国に、我が宝珠を渡すと思うてか!」

 激昂したヘイゼルが立ち上がる。その威圧香気に、一気に広間の空気が凍りついたが、番であるミリアムだけが悠然と構えていた。

 僕らは兄様の本気の威圧がこんなもんじゃないのは知ってるけど――。と、リデルがラグラン侯の方に視線を移せば、サルファンからの使者たち一行は真っ青な顔で膝を折っていた。
 ラグランは救いを求めるように、まだ交渉の余地のありそうだったミリアム王妃の方に目線を送ったが、

「話にならないわ」

 彼女はそう冷たく切り捨て、。誰が見ても、これで交渉は決裂。王と王妃が立ち上がれば、もうそれでこの謁見は終了となるはずだった。

 合図だ。

 リデルは詰めていた息を吐き――その扉を押し開けた。



 
 
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 ときどき何話か遡って読み返し、誤字脱字、文章の不備等気づいたものは訂正しています。(それでもまだある気がする……。毎話更新を追ってくださってる読者様、いろいろ不備だらけですみません(;ω;)) 何か変なとこがあればお知らせくださると嬉しいです。もちろん感想もv v v どうぞよろしくお願いいたします。
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