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運命の出会い 1

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 子を孕ったことに気が付かなかったのか、わざと黙っていたのか。母親は腹が膨らみ周囲に気づかれるまで何も言わず、テオを産み落としたあとそのまま産褥で死んだ。

 下働きの老女や子ども好きの娼婦たちに育てられ、利発で素直だったテオは、少し大きくなれば簡単なお使いや、下働きの下女な下男の手伝いをするようになった。王都の外れにある高級でも下級でもないその娼館には、幸い子ども虐めて喜ぶような輩はおらず、労働の対価として飯や寝床もきちんと与えられていた。
 感情の起伏に乏しい子どもではあったが、幼いながら役に立つ働き手として重宝されており、黙々と働くその様子が、そこを訪れていた客――王都でも有数の大商人、レックス商会の当主の目に留まり、テオはレックス商会の使用人として引き取られることとなった。

 そこでは、先輩の使用人から読み書きを教えられ、商館の用心棒や隊商の護衛たちから、体術や剣術を学んだ。十歳を超える頃にはすでに高位アルファとしての片鱗を見せており、主であるケント・レックスは、良い拾い物をしたと喜んでいた。
 そうしてテオは、成人したらこのままレックス商会の護衛となり、教育と仕事を与えてくれた商会に恩返しをするつもりだった。

 だが――いつしかテオは、王宮の騎士に強い憧れを抱くようになっていた。
 そこに何のきっかけも、理由も見当たらなかった。なぜかはわからない。だが、テオドールの胸にはいつしか、自分のいる場所はここではなく王宮であり、王家に使える王国騎士団員こそが自分の進むべき道なのだと、そんな確信に似た思いが芽生え――その思いは、日に日に大きくなっていった。


 ジャスリーガル王国騎士団団長は、このジャスリーガル王国の、その国王の――剣であり盾である。
 英雄王アレクの時代には弟のドレイクが、レイブン王には『不屈のマーテル』がいた。王国騎士団長は、常に王の傍らにあり、王と共にこの国を守る守護神だった。

 その騎士団長が率いる王国騎士団の一員になることは、この国の民にとってこの上ない名誉だ。騎士団は実力主義。狭き門ではあるが、実力さえあれば平民でもなれる。市井の少年が、王都や王宮を守る騎士に強い憧れを抱くことは、珍しいことではなかった。
 だが、その入団試験を受けるためには、しっかりした身元と後見人が必要だった。

 テオのその思いを知ったケントは、成人後の兵役で王国騎士団の入団試験を受けられるくらい頭角を表すことができたなら、家名すら持たない娼館生まれのテオを正式にレックス家の養子とし、その後見人になることを約束してくれた。

 一見して、立派なアルファに育つだろうと思わせる、頑丈そうな体と理知の光を宿した瞳をした子ども。ケント・レックスは、こんな娼館には勿体無いと、ほんの端金と引き換えにその子どもを連れ帰った。
 大陸中を行き来する隊商には危険が付きもので、腕が立ち信用できる護衛を雇う経費は馬鹿にならない。拾った孤児が、腕の立つ護衛として成長してくれれば儲けもの。そんな思いつきを実行してみただけのことだった。

 だが、ここまで武に秀で、王家への忠誠心も強い高位アルファであるならば――商会の護衛程度では勿体無い。王国騎士団に入団させる方が、ずっと益がある。ケントは商人らしくそう計算したのだ。

 15歳になったテオは、徴兵され辺境での兵役についた。何が何でも騎士団へ入るのだと――騎士団に入り、必ず。と、死に物狂いで鍛錬を積み、誰よりも強くなり、目覚ましい成果を上げた。

 そうして――娼館生まれの孤児だったテオは、大商人ケント・レックスの息子テオドール・レックスとなり、王国騎士団への入団が決まった。

 だがどんなに優秀な人材であっても、王国騎士団に入ってすぐの新人が、そのトップである騎士団長直属の王宮警護団に配属されることはない。貴族の子弟ならまだしも、当時はまだ、平民出の騎士団員が王宮警護団に入ることは難しかったのだ。

 だがちょうどその頃、王太子の王立学院入学を控え、騎士団内では学院内での彼の護衛候補に頭を悩ませていた。当時、学生として学ぶ王子の側近として、学院内で常に帯同できる同じ年頃の騎士団員は見当たらず、ましてや、英雄王の血を引く高位アルファの王族より強い騎士などどこにもいない。
 護衛など不要。そう言っていたはずのヘイゼルは、ちょうど同じ年頃であり、並いる貴族家のアルファを押しのけトップの成績で入団試験を潜り抜けたテオドールを、自身の護衛にと指名した。
 ジャスリーガルの王都にある王立学院には、諸外国の王侯貴族の子弟も数多く留学してきており、そこには隣国サーベントの王太子トーリもいた。そうしてテオドールは学院の生徒として入学することとなった。

 それまで学校に通ったこともなく、きちんとした教育を受けたことがなかったテオドールは、夜は寝る間も惜しんで必死に勉強し、昼は学業と王子の護衛としての任務を完璧にこなし、ただひたすらに、脇目もふらず、ジャスリーガル王家を、王族を守るため、王宮警護団に入る。ただそれだけを目指し邁進した。――その執念とも言える情熱の源に気付かぬまま。

 三年後――ヘイゼル王子らと共に学院を卒業したテオドールは、そのまま王都警護団に配属された。平民の出でありながら、入団後いきなり王子付きの護衛となり、その後王都警護団にやってきたテオドールは、仲間のやっかみと貴族の上官からの冷遇を受けることとなった。
 だが彼は、腐らず黙々と実直に勤め、地道に実績を積み上げ徐々に、信頼と人望を得ていった。
 その間にヘイゼルは王太子となり、サーべントの王族に連なる公爵家のオメガを娶った。そして彼が、若くしてジャスリーガルの王位に着いたその年――テオドールの、王宮警護団への配属が決まった。

 その年の、収穫祭の日。
 初めて王宮へと上がったテオドールは、沸き立つ高揚と感慨に胸が潰れそうだった。一歩、王宮の門を潜った瞬間に、ああ、ここだったのだ。と、。とわかった。
 何が――? そんな疑問さえ浮かばないほどに、テオドールは、身のうちから溢れ出るような、幸福感と達成感に満たされた。

「何をぼんやりしている! テオドール・レックス!」
「は! 申し訳ありません!」

 思わず立ち止まってしまっていたテオドールは、上官に怒鳴りつけられ、慌てて身を引き締めた。

「――ま、気持ちはわかるがな。陛下のご指名での王宮警護団入りだ。より一層身を引き締めて励めよ。いくら学院時代の護衛だったとはいえ、いきなりの『王族付き』だ。下手を打てば、足元を救われるぞ。陛下の期待を裏切るな」

 初めての登城に浮かれる新人騎士に一瞬ニヤリと笑みを浮かべ、貴族家の高位アルファである上官は、そう釘を刺した。
 王宮警備の中でも王と王妃、王子たち王族の護衛に当たる『王族付き』は、王の盾となる騎士団長を筆頭に、王国騎士団きっての精鋭で構成される。
 今この王宮に住む王族は、ヘイゼル王とミリアム王妃、おそらくアルファであろう王弟リデル殿下だけ。この王宮で一番に守られるべきは、唯一のオメガであるミリアム王妃で、当然王妃につく護衛の数が一番多い。運命の番である王妃を溺愛しているヘイゼル王は、さらにその護衛の数と層を厚くしようと、テオドールを引き抜いたのだ。

 『王族付き』となるには、その護衛騎士としての力量はもちろん、王家への揺るぎない忠誠心と、強固な自制心が求められる。
 高位のアルファほど威圧香気フェロモンが強いのと同様、高貴なオメガほど、極上の蜜のような抗いがたい誘惑香フェロモンを放つ。王族付きとなれば、最上級のオメガである「王家のオメガ」のそば近くに仕えることになるのだ。オメガの誘惑香フェロモンに耐性が強く、発情期のオメガを前にしても引きずられない自制心がなければ務まらない。

 そういう意味でも、堅物で意志の強いテオドールは適任だった。
 学院に在学中、一度ヘイゼル王子に懸想したオメガの生徒によるヒートテロがあった。その場にいたほとんどのアルファ生徒が、その濃厚な発情フェロモン引き摺られ、ラットを引き起こした者もいた中、テオドールは微塵も反応することなく、淡々とその女生徒を排除した。
 若く壮健なアルファでありながら、テオドールはついぞオメガにもベータ女性にも、欲望を覚えたことがなかった。

「は! 心して任務にあたります!」

 そう敬礼し、上官に遅れることなく足早に付き従う。
 
 年に一度の収穫祭は、その年の実りに感謝する国をあげての祝祭だ。
 王都でもそれぞれの領地でも、様々な催しが行われる。豊作だった今年は特に活気あふれたものとなるだろう。
 王国騎士団の面々にとっては、王都の警備に目を光らせて走り回る、気の抜けない一日となる。
 ただ、収穫祭は庶民のためのお祭りであるから、王宮内の行事としてはそう大々的なものではない。王族の方々は神への感謝を捧げる式典の後、ささやかに祝宴を囲むくらいのものだ。
 今日だけは、お祭りムードの喧騒に包まれている王都の警備に比べれば、王宮警護の方が楽かもしれない。誰もが――そう思っていた。

 テオドールらが会場に着くと、すでに王と王妃は並んで席につき、その傍らには王国騎士団長マーテルの姿もあった。その背後にずらりと並ぶ、王族付きの騎士たち。テオドールはその列の末端に加わった。
 司祭の到着を待つばかりの広間で、ぽつりと空いたままの王の隣の席。
 その席にちらりと視線を向け、

「リデルはどうした?」

 ヘイゼルがそう問えば、

「逃げられたようですな」

 平然とマーテルが答える。

「きっとこのあとの祝宴には、顔を出すでしょう。たくさんのご馳走が並びますからね」

 ミリアム王妃がくすくすと笑いながら言う。

 ジャスリーガル王家の末弟、リデル殿下は御年9歳になられるわんぱく盛りの王子だ。ジャスリーガル王家のアルファ特有の聖碧色の瞳と、夏の輝く日差しを集めたような淡い金色の髪を持つ彼は、この宮殿の中を自由に飛び回る小鳥のような少年だった。
 侍女や侍従を撒くのはお手のもの、選りすぐりの王族付きの護衛でさえ油断すると見失ってしまうくらいの身軽さで、追いかけてくる護衛との鬼ごっこを楽しんでいる。

 こうした堅苦しい式典は、子どもには退屈だろう。一応問いただしはするものの、王も王妃も、年の離れた王弟に甘い。王家にも物申す歴戦の猛者、騎士団長のマーテルですらそうだった。

 なぜだか、まだ会ったこともないその王子の名を聞くだけで、テオドールの胸が震えた。
 その空席が、今ここにいないその王子が気になると同時に――どこかから、自分を呼ぶ声……いや匂いを感じた。甘く清廉な、開き始めた花のようなその芳香は、ほんの微かに鼻腔をくすぐって――幻のように消えた。
 
 は、と我に帰ったテオドールはすぐに気を引き締め、そんな一瞬の白昼夢を意識から締め出した。いつの間にか司祭がこの広間に訪れ、神事は始まっていた。

 けれど――消えたかと思われた、その呼び声、香りは、今度はまるで縋るようにテオドールの意識を絡め取り、纏わりついてくる。
 すぐにでもその源を求めて駆け出したい衝動を、テオドールは鉄の意志で抑え込む。ようやく辿り着いた王宮。王族付きの護衛騎士の座を失うような失態を犯すわけにはいかなかった。この式典が終わるまでは、と、握り込んだ手のひらに血が滲むくらい強く拳を握って、耐える。

 だが――。

 (助けて……)

 そう脳裏に響いた微かな声に――。
 耐えきれず、テオドールは駆け出した。上官の制止も、驚いたヘイゼル王の自分を呼ぶ声も、何もかもを振り切り、ただその本能の指し示すまま、走った。

 王宮の奥深く、人気のない廊下の先。そこには地下へ続く階段があった。その先にあるのは、王家の宝物庫だ。テオドールの頭の中には、すでにこの王宮の配置図も、警護の騎士の配置も全て入っている。
 宝物庫へ続く階段の前に1人、宝物庫の重厚な扉の前には2人。昼夜を問わず常に警護の騎士が立っているはずだった。
 うなじがチリチリするような耐え難い焦燥と、嫌な予感に吐き気を覚えながら、誰もいないその階段を駆け下りる。辿り着いた宝物庫の扉の前にも、騎士の姿はなかった。

 テオドールは飛びつくようにその扉に手を掛け、身体ごと押し開ける。厳重に掛けられているはずのその鍵は――かかっていなかった。

 開いた扉の向こうから溢れ出す、むせ返るようなオメガの発情香フェロモン。そしてその甘い蜜のような香気に混ざった、血と、精液の匂い。

 薄暗い宝物庫の、冷たい床の上――。
 幾人もの男たちに組み敷かれ、引き裂かれ、壊れた人形のように揺さぶられている――テオドールの運命が、そこにいた。

 
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 ときどき何話か遡って読み返し、誤字脱字、文章の不備等気づいたものは訂正しています。(それでもまだある気がする……。毎話更新を追ってくださってる読者様、いろいろ不備だらけですみません(;ω;)) 何か変なとこがあればお知らせくださると嬉しいです。もちろん感想もv v v どうぞよろしくお願いいたします。
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