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騎士団長の決意

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 サーベントからの輸送隊の襲撃事件があった日から、三日目。

 騎士団員たちは、昼夜を問わずその後処理に追われていた。
 ようやく通常の仕事に戻れる見通しがたった朝――王宮警護隊の夜番と日番との交代時、王宮警備隊第二班長アラザンは、寝ずに働いていた騎士団長が官舎とは反対方向に向かうのを見かけた。

「団長! どちらへ?」

 今回の襲撃事件で、輸送隊の警護に当たっていた騎士たちから多くの死傷者を出し、ジャスリーガルは、サーベントからの食糧だけでなく、数多くの優秀な人材を失う結果となった。王宮警備隊から派遣された者たちも、そのほとんどが負傷し、彼らが怪我から回復し復帰するまでには時間がかかる。こんな事件が起こった後だ。当然王都の治安を守る騎士団員も、王宮警護の人員も増強すべきではあるが、人員はとても足りない。必然、残った騎士団員の負担は大きくなる。
 騎士団長であるレックスは、この三日間一睡もしていないのではないかと思われるほどの激務だった。

「――王家の森の巡回だ」

 そんなことより寝てください! と言いたくなるのをぐっと堪え、アラザンは続ける。

「森に一人で入るのはよしてください。誰か」
「ならば、お前がついて来い」

 連れて行ってください。と最後まで言い終わらないうちに、団長はそう言い捨て、さっさと背を向けた。

「……了解です」

 思わずため息が漏れそうになったが――アラザンは声をかけてしまった自分を恨みながらも、その後を追った。


 『王家の森』と呼ばれるその森は、は王都に点在する森の中で一番大きく、王宮にも近い。
 広大で豊かなその森には、熊や狼などの人にとって危険な動物もいる。森の奥深くにいる彼らが出てきて人を襲うことはないが、その森の奥に分け入れば運悪く出会って襲われてしまう可能性もあった。また、王家の狩場でもあるこの森に、王家の許しなく入り込むことは禁じられている。
 だ、王都の食糧不足が深刻化している今、森の恵みを求めて森に入ろうとする者が現れる可能性もある。それを危惧したレックス騎士師団長は王から森に入る許しを得、こうして一人、時々見回りを行っていた。
 だが本来、そこが街中であろうと森の中であろうと、騎士団員は常に複数人単位で動くことが基本だ。最低でも二人。団員にはそれを徹底させるくせに、騎士団長自身はこうして単独行動を取ることが多い。
 騎士団員が複数で動くのは、不正を防ぐという側面もあるが、団員同士がお互いの安全を守るためにある決まりだ。

「今後しばらく、騎士団員に交代で森の見回りをさせた方が良いかもしれませんね」

 巡回と言いながら、目的の場所があるかのように進んでゆく団長の後の追いながら、アラザンが提案する。
 頼みの綱であった輸送隊が襲われ荷を失ったことは、もう王都中に知れ渡っている。民の不安が膨らみ、王都の治安はより一層悪化するだろう。食糧を求め、危険を承知でこの森に侵入してくる民も出てくるかもしれない。

「この森の見回りにまで人員を割くことは出来ない。……冬になれば、もう誰も入れなくなるさ」

 レックスはもう何度も、巡回と称してこの森に入っていた。
 だがその本当の目的は、侵入者がいないかの見回りではなく、食糧を得るためだった。
 こんな状況では、ヘイゼルたち王族も自分たちだけが贅沢な食事をすることは出来ない。冬に備え、備蓄は多いに越したことはない。今は生きるのに必要な分だけを食べ、保存のきく物はなるべく取っておく時期だ。
 そんな質素な食卓に、王族の方々が不満を漏らすことはないけれど。

 番に腹一杯食べさせてやりたいと思うのは、アルファの本能の一つだ。
 レックスは、ただでさえ食の細いリデルのあまり食の進まない様子を見ているのが辛かった。彼の好む甘い菓子も、彼の好きな料理も久しく食卓に上がっていない。
 王宮の奥深く、ただ大人しく穏やかに暮らすリデルのささやかな楽しみになればと、木の実や果実を探し、森の動物を狩る。王族の食卓に上る分だけの森の恵みを分けてもらうために、レックスは王家の森に入るのだ。

「……見回りなら、王都側の外苑に向かった方が良いのでは?」

 真っ直ぐに奥へ奥へと進むレックスに、後ろからアラザンが声を掛けた。

「この先に、罠を仕掛けてある」
「罠?」

 何のために? という顔を向けるアラザン。

「穴熊だ」
「穴熊……ですか?」

 ますますわからないという顔をしたアラザンに、レックスが説明をする。

「東方領では犬を使って狩るらしいが……東方出身の騎士から、罠を使う方法もあると聞いた。仕掛けておけば夜の間にかかると」

 レックスは昨夜、一人森に入って罠を仕掛けてあった。穴熊は野兎よりは大きい。一匹でも掛かっていれば、リデルの口にも少しは入るだろう。

「食べるんですか?」

 怪訝な顔をするアラザン。彼は王都育ちだから、穴熊など食べたことがないのだろう。

「意外とうまいらしい。東方領では普通に食べると聞いた。――たまには新鮮で柔らかい肉も召し上がっていただかなくては」

 レックスが森で狩らなければ、保存食である干肉や、塩漬けの肉がほんの少し食卓に上るだけになる。
 そこまで言って、ようやくアラザンが納得した顔をする。

「王族の方々のため、ですか。――王宮の食材ですら、そこまで逼迫を?」
「節制しておられるだけだ。先のことを考えてな。だが、今ならまだ、この森のささやかな恵みは享受できる。今のうちに少しでも栄養をつけておいていただかねば」

 野兎や鹿、猪などの獲物に毎回出会えるとは限らないし、レックス自身、そう毎日この森に狩や採取に来ることも出来ない。木の実や果実を見つけるのは、森の動物たちの方が上手い。
 それでも、山葡萄の実を口にしたときの、穴熊の肉の話を聞いた時のリデルの顔を思い出せば、寝る間を惜しんででも、もっと栄養のある美味しいものを見つけたいとそう思う。

「あ、あれですか? 団長」

 前方の木陰に設置された小さな檻状の罠を見つけたアラザンが声を上げた。

「ああ。何ヶ所か設置しているうちの一つだ」

 アラザンはゆっくりと様子を伺いながら近づいて、

「いませんね」

 中を覗き込み、残念そうに言った。

「あー、餌は取られてますね。リスかネズミか、そういうちっこいのにやられたかな」
「ライヒ・アラザン第二班長」

 不意に役職付きフルネームで呼びかけられ、

「は!」

 アラザンは反射で立ち上がり、姿勢を正した。

「ミハエル・エヴァンスについて、いくつか聞きたいことがある」

 真っ直ぐに見据えて、問う。
 
 レックスは、ここに来ようとしたとき、アラザンが声を掛けてくれたちょうど良かったと思う。おかげで密かに呼び出す手間が省けた。エヴァンス家にはすで密偵を潜り込ませ、見張りもつけている。当然ミハエル個人にも。だが、騎士団内の彼の動向については、直属の上司であるアラザンが一番詳しいはずだった。

「エヴァンスが、また何か……?」

 アラザンは苦虫を噛み潰したような顔をする。
 年はレックスより三つ四つ上なだけだが、王宮警護部隊の中では古参のうちに入る。貴族ではあるが驕ったところのない気やすい性格で、勤勉だ。正義感も王家への忠誠心も揺るぎない。そうしたジャスリーガルの武人らしい彼の人柄を、レックスは信用していた。
 だから、色々と問題のあるミハエルを彼の班に入れたのだ。伯爵家のアルファである彼は貴族社会のめんどくささも熟知している。彼と他の団員との軋轢も、彼なら上手く調整してくれるだろうと。

 今回の輸送隊の警護も、本当はアラザンの班を向かわせたかったのだが――ミハエルがいるためダレン班にした。個人の力量以前に、高すぎる彼のプライドと我の強さのせいで統率が乱れてしまう。そんな重要な任務にはとても就かせられない。と言って同じ班の中で彼だけを外すわけにもいかない。
 本当に面倒な人事をしてくれたとうんざりはしたが、大貴族のゴリ押しにいちいち腹を立てたところでしょうがない。それも職務の一環だと流していた。それがまさかこんな事態を引き起こすとは、レックスは考えも及ばなかった。

「輸送隊を襲った賊に情報を流したのは、おそらくミハエル・エヴァンスだ。黒幕はサルファン公国」
「な――」

 目を見開いて言葉を失ったアラザン。

「誠に申し訳……」
「班長としての貴様の責任を問いたいわけではない。奴の断罪は後回しだ。まずは、本来知り得るはずのない極秘情報を彼に漏らしたのは誰なのか。それが知りたい」

 咄嗟に膝をつき、謝罪の言葉を口にしようとした彼の言葉を冷ややかに遮り問う。

「今の段階で、思い当たる者はいるか?」
「――彼の取り巻きの一人に、王都警護団の副団長、シーバー伯爵の次男がいます」

 一瞬の逡巡はあったが、険しい顔ですぐにそう答えたアラザン。
 輸送隊警護のメンバーで、王宮警護部隊から派遣されたのはダレン班の一小隊のみ。当日それを知らされたダレン班長が、すぐさまミハエルにそれを漏らして――とは考えにくい。
 そもそも輸送隊の警護は王都警護団の者をメインに構成されていたのだ。シーバー副団長ならルートの考案から関わっていただろう。
 シーバー伯爵かその次男が、どこまでの認識を持ってミハエルに情報を漏らしたかは定かではないが――たとえ相手が身内であろうと同僚であろうと、極秘事項の漏洩など、王国騎士団員としてあってはならない背信行為だ。
 どんなに守りを固めようと、内側から崩されてはどうしようもない。――あの時のように。
 騎士団長であるレックスは拳を握り締め、荒れ狂いそうな怒りの感情を押し殺した。裏切り者を許すつもりなど微塵もないが……今はまだ早い。

「わかった。――アラザン班長は、このまま本人には気づかれぬように、周囲を探り、彼を接触する者に注意を払え。今後も奴はサルファンの手の者と接触する可能性がある。目を離すな。このことは誰にも漏らさず、何か動きがあればすぐに私に知らせろ」
「は! 承知いたしました」

 レックスの言葉に一つ一つ頷き、アラザンは最敬礼でそれを引き受けた。
 
 この国に、王家に仇なす裏切り者を、赦しはしない。リデルを傷つけるもの、奪おうとするもの、軽んじるもの、その全てを排除するために、騎士団長になったのだ。
 
 全ては――リデルを守るため。
 ただそれだけのために、レックスはあの地獄を生きながらえたのだから。

 
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 ときどき何話か遡って読み返し、誤字脱字、文章の不備等気づいたものは訂正しています。(それでもまだある気がする……。毎話更新を追ってくださってる読者様、いろいろ不備だらけですみません(;ω;)) 何か変なとこがあればお知らせくださると嬉しいです。もちろん感想もv v v どうぞよろしくお願いいたします。
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