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人身御供
しおりを挟むヘイゼルはそのまま輸送隊襲撃事件の対応に向かい、リデルはミリアムともに部屋に戻った。
侍女がお茶の用意をしている間ずっと、ミリアムは黙って扇を弄び、何かを考え込んでいた。
いつも明るく穏やかな笑顔を絶やさない彼女の、憂いに満ちた横顔。貴族らしい豪奢な金の髪、サーベント王族に多く見られる菫色の瞳は、トーリ王太子よりも淡く透き通っている。オメガらしい嫋やかな容姿の下に、決して折れない意思の強さを秘めた義姉のそんな表情を、リデルは美しいと思う。
ミリアムの母は公爵家に降嫁した王女で、トーリ王太子の従姉妹に当たる。『知のサーベント』王家の血を引く彼女は、王家のオメガでヘイゼル王の運命の番であるだけではなく、聡明で才知に長けた理想の王妃だった。ヘイゼルが若くして国王の座を譲られ(押し付けられ)たのは、ミリアムが妃であったことも大きい。強いアルファがか弱いオメガを守り慈しむ。というのが一般的な番のイメージだが、ミリアムはただ守られているだけのオメガではなかった。
「リデルはどうして、輸送隊を襲った賊がサルファン公国だと思ったの?」
侍女が下がり、二人きりになってようやくミリアムが口を開いた。
紅茶に添えられていたのは、緋双樹の実の菓子だ。リデルはそっと、傍らに置いたままの瓶詰めが入った小袋に触れ――結局、レックス様には渡せなかったな。と、思う。
「サルファン公国に正式な軍隊はなく、傭兵を雇っているのだと聞いた覚えがあったし、侍女たちの、サルファンでは食糧が有り余っているというような話を小耳に挟んだから……本当に、賊はサルファンの手の者なの?」
「ええ、それは間違いないわ」
断言するミリアムにリデルは、
「それって何か証拠が……そうだ、向こうから証拠を差し出してくる。ってどう言う意味?」
証拠があるのかと尋ねようとして――確か最初に、ヘイゼルに証拠は? と問われ、ミリアムがそう答えていたのを思い出す。
「それに、どうしてサルファンはこんなことを……? 奪おうとするならともかく、最初から荷を駄目にするのが目的みたいな襲撃をしてくるなんて――そんなことをして、サルファンに何のメリットがあるの?」
姉様はいったい、何を知っているのだろう。
「サルファンの――エクデス大公の目的はあなたよ。リデル」
「僕……?」
意味がわからなくて、戸惑いながらそう返したリデルに、
「そう。彼は、我が王家の宝玉『雪の華』が欲しいのよ。あなたへの引きも切らない他国からの縁談の中には、もう何年も前からサルファンのエクデス公からの求婚もあったわ。だけど――あんな成り上がりの、親子ほども歳の違う下品な簒奪者に、うちの大事な大事なシルフィーちゃんを嫁がせるわけがないじゃない!」
ミリアムは腹立たしげにそう言って、リデルをぎゅっと抱きしめる。
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「でも……長引く食糧不足に苦しむ他国を嘲笑うように、彼の国だけがなぜかそれを免れ、私腹を肥やしていた。そうしてついには、食糧支援と引き換えに貴方との婚姻を申し込んできたの。それがこの夏の終わりのことよ。もちろん、ジャスリーガルはそれも無視したわ。自力で食糧をかき集め、サルファンなんかに頼らなくとも、どうにかこの冬を越せる最低限の見通しもたった」
「それが……サーベントからの輸送隊?」
「ええ、そうよ。サルファン側からすれば、あと少しで手に入るはずだった宝玉が、その輸送隊のせいで台無しになってしまう。それが許せなかったんでしょう。……ホント呆れるくらいわかりやすいわ。我がジャスリーガルも舐められたものね」
リデルは優雅な仕草でカップを手に取り、イライラする気持ちを飲み込むように、紅茶を飲む。
「断られた仕返し……腹いせってこと?」
そんなことで――王都の民を救う希望を、騎士たちの命を奪ったっていうの?
悔しくて、溢れそうになった涙を堪えたリデルに、
「それもあるけれど……言ったでしょう? 目的は貴方だって。見ていなさい、きっとすぐにサルファンから使者が来るわ。食糧支援をちらつかせながら、貴方を正妃に迎えたいとね。もう冬は目前に迫っている。今からでは、他に食糧を調達する当ても時間もない。今度こそ、今まで鼻であしらってきた自分に頼るしかなくなっただろうと、威丈高にね」
ミリアムはそう忌々しげにそう吐き捨てた。
本当に? 僕にそんな価値などないのに?
でも……姉様の言うとおり、本当にサルファンから使者がやってきたなら――。
「それなら行くよ、サルファンに! 僕でいいなら――僕がサルファン公国に嫁ぐことで、この冬を越すに十分な食糧を送ってくれるなら」
即答したリデルに、ミリアムは哀しげに表情を歪める。
「ヘイゼルに、叱られれるわね。あなたにこんな話をしてしまって。リデルならそう答えるって、わかっていたから――だから私たちは、あなたには何も知らせないでおこうと、そう決めていたのに……」
「教えてくれてありがとう、ミリアム姉様」
リデルは、そう目を伏せたミリアムの手を握りしめ明るく言う。
「王家のオメガに生まれた以上、政略でどこかの国の王室へ嫁ぐのは当たり前のことでしょう? でも僕はこんなだから……今まで兄様たちの役に立てなくて」
「リデル、そんなこと」
ミリアムは眉を顰めて口を挟もうとするが、
「でも卑怯なサルファン相手なら、逆に好都合だ。最初にふっかけるだけふっかけてやればいい。遠慮なく取れるだけ取ろうよ。そういう交渉は得意でしょ? 姉様」
それに構わず、頬を赤く上気させてそう言い募るリデルの表情は、どこか楽しげにさえ見えた。
他国からは、その容姿とジャスリーガル王の溺愛、高貴な血筋のオメガであることから『ジャスリーガルの宝玉』と称えられ、ぜひ我が国の王妃、王子妃にと求められてきた。
けれど本当は――発情期すら来ていない、出来損ないの傷物オメガなのにね。と、リデルはずっとそんなふうに自分を卑下してきた。
色を失くした白髪。日に当たらず引きこもっていたが故の、青白い肌と貧相な身体。オメガであるこの身には不似合いな、ジャスリーガルの聖碧眼。こんな紛い物を『雪の華』に喩えるだなんて――笑わせる。
正妃を置かず、数多くの寵妃を侍らせているという好色なエクデス公。その入れ替わりも激しく、その寵妃のうちには、金で買われたオメガも幾人かいるらしいが。
元は成り上がりの商人にすぎないエクデス公。だがリデルを正妃に迎えることで、彼はジャスリーガルと姻戚関係となり、さらに王家のオメガとの間に後継となるアルファが生まれれば、サルファン公国はジャスリーガル王国という大きな後ろ盾を得ることができる。そうすれば他の国々も表立っては成り上がりの新興国とサルファンを貶めることはできなくなるだろう。それを狙っての婚姻の申込みなのは明らかだ。
「ジャスリーガルの『雪の華』を娶るんだ。生半可な対価じゃ済まないことくらい、向こうもわかっているでしょう? ――うちに喧嘩を売った代償は、また後からゆっくり、ね」
リデルは、肩にかかるその雪のように白く輝く髪をふわりとかき上げ、口端を上げた。
発情期の来ていない、オメガとしては不完全なリデルにおそらく子は望めない。
それを知ったエクデス公は激怒するだろうが、後の祭りだ。それだけでも胸はすくが――。
サルファンは弱みにつけ込むだけでなく、輸送隊を襲い、我が国に直接刃に向けた。たとえどれだけの対価が積まれようが、それを水に流すジャスリーガルではない。
雪が溶け、長い冬が終われば――息を吹き返したジャスリーガルが、サルファン公国をこの大陸の地図から消し去るだろう。
うっとりとそれを夢想したリデルに、
「ふふ。貴方もやっぱりジャスリーガルの男子ね。でも、後からゆっくりだなんて……リデルは優しいのね」
ミリアムは目を細め、そう微笑む。
「でも――私は気が短いの。先手必勝がモットーよ。もちろん我が国の宝珠を、あんな下衆に売り渡したりはしない。絶対にね」
「ミリアム姉様……?」
でも、それ以外にやりようはないはずだった。
本来のジャスリーガルならサルファンごとき敵ではない。だが食糧に不安を抱え、冬を目前に控えたこの状況では勝算は低くなる。長引けば兵糧の乏しい我が国が圧倒的に不利だし、雪が降り始めればそれまでだ。
切り札を持っているのはサルファン。今は、それがどんなに屈辱的な条件であろうと呑むしかない。
――だからミリアム姉様は、僕にその話をしたのではなかったの?
「でも――そのためには、あなたの協力が必要なの。ヘイゼルは反対するでしょうけど……力を貸してくれる? リデル」
ミリアムはリデルの手をぎゅっと握り返し、そう頼んだ。
「もちろん。僕は、ミリアム姉様の考えに従うよ」
強くて頼りになる優秀な兄王。だが優しすぎるヘイゼルでは出来ない決断がある。
それがどんな結果になろうと――リデルは聡明な義姉の考える策に、喜んで自分の身を差し出すつもりだった。
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ときどき何話か遡って読み返し、誤字脱字、文章の不備等気づいたものは訂正しています。(それでもまだある気がする……。毎話更新を追ってくださってる読者様、いろいろ不備だらけですみません(;ω;)) 何か変なとこがあればお知らせくださると嬉しいです。もちろん感想もv v v どうぞよろしくお願いいたします。
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