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途切れた生命線
しおりを挟む翌朝リデルは、いつものようにヘイゼル王たちと一緒に朝食をとりながら、懐の中に隠すように持ってきた昨日の保存食の小瓶と、いつものように少し離れてヘイゼルの背後に立つレックス騎士団長に気を取られ、いつどのタイミングなら渡せるだろうかとそればかり考えていて、二人の話は全く耳に入っていなかった。
「――て、本当に助かったわ、ありがとう。リデル」
「え? あ、はい」
自分の名前が出てきて、思わず返事をしたものの、え? え? 何の話??? と、恐る恐るミリアムの方を伺うと、
「もう! 聞いてなかったわね、リデル。――大丈夫? 調子が悪い?」
「え、あ、 大丈夫! ちょっとぼうっとしてただけ」
呆れたように、でも少し心配の色の滲ませてそう訊かれ、慌てて首を振った。
「昨日の緋双樹の実菓子の話を聞いてね――柔軟な発想と創意工夫で、皆が力を合わせれば良い策はまだまだ生まれてくるものだな。という話をしていたのだ」
ヘイゼルはそう微笑むけれど――良い策とは? と思わず首を傾げたリデルに、ミリアムはくすくす笑いながら、聞き逃していた会話について教えてくれた。
さっそく今日の朝、王都の民に緋双樹の実を使った保存食の作り方を広めるように通達したこと。それと同時に、王都の街中にある木の実や植物で他に食用になりそうなものを調べさせ、民からも情報を募ることにしたらしいこと。
そのことから、リデルのおかげで良い事が知れた。と、お礼を言われたのだ。
「それは――僕じゃなくて、東方領出身の侍女のおかげだよ。彼女の故郷の村では、緋双樹の実で保存食を作るんだって。だから、王宮にある緋双樹の実が手付かずだったのがもったいないって」
「そうか……東方領は領地の半分以上が山脈の山肌にあるゆえ、作物もあまり取れず寒さも厳しい。その分そうした食糧の確保や保存の知恵は、今でもしっかり伝わっているのだろうな」
サージェント王国の版図は北を上にした地図で見ると、正方形から右肩を斜めに切り取りとったような形をしている。大陸の北西から南東に向かって伸びるユレクミア山脈の稜線が、そのままジャスリーガル王国の北方領から東方領側の国境となっていた。そしてその東方領の向こう側には、建国してまだ十年にも満たない新興国、サルファン公国がある。
領土の大部分を占めるユレクミア山脈には大きな鉄鉱脈があり、マーテル領では製鉄や鉄鋼業が盛んで、剣や盾、武具を始めとした様々な鉄製品が作られている。また国境の治安を守り国防を担う北方領と東方領には国家から手厚い対価も支払われている。戦乱の時代が終わり国政が安定し、昔に比べれば随分豊かになった東方領ではあるが――。
飢饉が続けば、外から食糧を買い入れている領から先に飢えてゆく。それは王都も同じだった。
「――マーテル領の知恵は、この王都でも役に立つね。他にも色々教わって、助け合わないと」
リデルがそう呟くと、
「ああ。良い子だな、リデル。おまえがそう言っていたと聞けば、マーテルは泣いて喜ぶぞ」
ヘイゼルは嬉しそうに笑って、リデルの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ふふ。そうね。あなたが野兎の肉を喜んで食べていたって言ったら、『なんと! 兎よりも穴熊の方が美味いですぞ! さっそく領地で狩って参ります!』 って息巻いていたから」
ミリアムは楽しそうに、マーテルの口真似をしてみせる。
「穴熊……?」
って、食べれるんだ。ってか、見たことないし、どんな動物か想像がつかないんだけど。と、リデルは首を捻る。
確か書物では、狐くらいの大きさで、手足が短くてずんぐりしてる。みたいな描写をされていた気がする。
「ベーコンにすると絶品なんですって。木の実や果実を食べている秋の穴熊は脂が乗っていて、臭みもなくとても美味しいそうよ」
なるほど。それはちょっと……食べてみたいかも。なんて思ってしまった。
――食糧難は大変だけど、いろいろ未知の食べ物があることを知れるのは面白い。
「気持ちはありがたいが……王都には、もうすぐサーベントからの輸送隊も届く。うちよりマーテル領の方が心配なのだがな。領内の獲物はちゃんと自領民で分け合わってもらわねば」
ヘイゼルはそう苦笑した。
そう、マーテル卿は王家至上主義なのが玉に瑕なんだよね。脳筋だけど誠実で公明正大な人柄だから、領民にとってもきっと良い領主だとは思うけれど――。
そんな話をしていると、急に食堂の外から、ざわめきと慌ただしく動く人々の気配がした。
何かあったのかと視線を扉の方へ移せば、礼を失しない程度に急いで入室してきた騎士団員がレックス騎士団長に耳打ちをする。
その囁きに、鉄仮面と評される騎士団長の表情がぴくりと動いた。
「何があった、テオ」
すぐさまヘイゼルがそう発し、一瞬躊躇したレックスに、命じる。
「構わぬ。申せ」
場に走った痛いような緊張に、身が強張る。
「サーベントからの輸送隊が、襲撃されました」
「襲撃だと? 荷を奪われたのか!?」
「いえ――ティグィ峠で襲撃を受け、荷を失った。と」
レックスは報告にきた顔面蒼白の騎士を見て、そう告げた。
「し、詳細はまだ……。輸送隊を警護していた護衛騎士の一人が、先ほど早馬で戻ったところでございます」
「直接話を聞こう。その者はどこに?」
騎士の言葉に、ヘイゼルはすぐさま席を立ち上がり歩き出す。
ミリアムがそれに続き、リデルも思わずその後を追っていた。
襲われた国境付近のティグィ峠から早馬で駆けてきたその騎士は負傷しており、救護室へと運ばれていた。王はそのまま騎士団長を伴い、直接話を聞くため救護室へと向かう。その後ろに、ミリアム王妃とリデルが続いた。
王宮の外れ、西門詰め所にある救護室へと早足で向かう一行。王家の護衛騎士がその周囲を固め、ミリアム王妃は、思わずついてきてしまったリデルの肩を抱くようにして、寄り添う。
到着したのは、屈強なアルファやベータの男たちばかりの、王宮護衛隊の詰め所。
あの事件以来、そんな場所には近づいたことのないリデルだったが、自身の恐怖や不安よりもサーベントの輸送隊が襲撃されたことの衝撃の方が大きかった。
奪われたのではなく失ったとは、いったい――。
サーベントからの輸送隊は、この冬を越えるために絶対必要な王都の民の生命線だ。
食糧が足りないのはどこの国でもどんな人々でも同じ。当然、荷を狙う盗賊団や暴徒の襲撃は想定の範囲内だった。輸送隊の護衛は王国騎士団選りすぐりの精鋭で構成され、輸送ルートも旅程も襲撃に備えて考え抜かれていた。もちろん、輸送隊が通るルートも日時も極秘事項だったはずだ。
仮に待ち伏せされていたとしても――あっけなく荷を奪われることなど、あり得ない。
救護室にいた護衛騎士は、左肩と腕を痛めていたようで、頭に巻かれた包帯にも血が滲んでいる。
その騎士の顔に、リデルは見覚えがあった。レックス騎士団長とともに、トーリ王太子とヘイゼル王の会談の間の護衛をしていた新人騎士だ。
ベッドを降りようとした騎士をそのままで良いと制し、ヘイゼルは、まずは何があったのかの報告をさせる。
「山岳地帯の街道から国境を越え、そのままティグィ峠の峡谷沿いを進行していたところ、いきなり崖の上から降り注ぐ落石に見舞われました。峠道は狭く、左右は切り立った崖と峡谷。荷馬車の隊列の前後と真ん中、護衛騎士隊を配置しておりましたが――上からの襲撃は想定しておらず……」
「だろうな。あの崖から人が降りてくることなど出来ない。だが、石や岩を落として攻撃したところで、どうやって荷を奪うというのだ。そのあと挟み撃ちにでもされたか?」
たとえ挟み撃ちにされたとしても、ジャスリーガルの戦士から荷を奪える盗賊などいるだろうか?
険しい顔で、そう問うヘイゼルに、
「いえ、賊が私たちの前に姿を見せることはありませんでした。私たちは、落石に驚いて暴れる馬を抑え、どうにか荷を守ろうとしたのですが……その後、上から油と火矢が降ってきて」
「火矢だと!? それでは荷は……」
「最初の落石で、暴れた馬とともに何台かの荷車が谷底に落ち、残った荷も油と火で瞬く間に燃え上がって……恐慌状態に陥った引き馬ごと、荷車はどんどん落ちて……なんとか馬の頸木を外すことが出来た荷車も、火の勢いが強くて消火もままならず――ほとんどの荷を……失いました」
込み上がるものに支えながら、騎士は無事だった側の拳を握り締め、そう報告した。
「騎士たちは、無事か……?」
絞り出すように言ったヘイゼルに、
「幾人かは、馬や荷を守ろうとして……一緒に落ちました。残った騎士は、落石による怪我や火傷は負いましたが、生きてはいます」
騎士は目を伏せたまま、そう言葉を濁した。
ティグィ峠の峡谷は、底が見えない。そこに落ちることはそのまま死を意味した。そしてそこに落ちたものを回収することも不可能だ。
油を被ってしまったところに火矢を射られたら、人も荷も、あっという間に燃え上がってしまう。思わず口元を押さえていたリデルを、気丈に唇を引き結んだミリアムが抱き寄せる。
「なぜ……」
ヘイゼルは呆然と頭を振り、診療台に手をついて体を支えた。
サーベントからの食糧は全て、谷底に沈んだか、燃え尽きたと言うのか。この冬の、王都の民の命綱が――。そして、それを護ろうとした騎士団員の命までも。
「荷が欲しくて、襲ってきたのではないのか!!!」
激昂した王の威圧香気が、溢れ出す。賊の目的も意図も分からず、ヘイゼルは苛立ちと怒りに目が眩みそうだった。
「陛下、お鎮まりを」
その威圧に怯むことなく立っていた唯一の人物。レックス騎士団長が静かに声をかけるまで、息詰まるような強烈な香気に、誰一人動くことすら出来なかった。
その強烈な威圧に、ぎゅっと目を閉じて耐えるリデルと青い顔のミリアム。我に帰ったヘイゼルは慌ててその香気を収め、
「すまぬ」
その両手で、愛しい番と弟を労るように抱き寄せた。
「平気ですわ」
本来、番や近しい親族のオメガにはあまり影響しないと言われるアルファの威圧だが、怒りに我を忘れた最高位アルファの威圧は、度がすぎていた。
「賊の姿は見たか?」
レックス騎士団長が、問う。
「……声は聞きました。短い掛け声と合図の口笛。そして最後に――笑い声」
「笑い声?」
「あれは、盗賊じゃありません。そもそも盗賊なら、たんまり積み込まれた食糧を谷底に落とさせるなんて、あり得ない。彼らの動きに無駄はなく、統制も取れていて、射手の狙いも的確。傭兵ですよ、ありゃ。金さえ積めば何でもやる。そういう人種だ。――そして奴らは、食糧に困ってない。だから、笑って食いもんを燃やせるんだ」
悔しげに顔を歪めた騎士、モンクスは王の御前であることも忘れそう吐き捨てた。
食糧に困っていない――と聞いて、リデルはふと昨日の庭園での侍女たちの会話を思い出す。
『ほんと、腹が立つわよね。隣国の私たちがこんなに困ってるって言うのに、サルファン大公の宮殿では毎日食べきれないほどのご馳走が並んでるんですって!』
『なんでも、大公お抱えの占い師が、昨年から続くこの大飢饉を予言していたとか』
『え、わかってて、自分たちだけ蓄えてたっていうの?』
『そう! ほんとひどいわよね! あの成り上がり大公。その上、宮殿の食糧庫には食糧が唸ってるのに、自国の民にも分け与えない上に、税の取り立ても厳しいらしくて……東方領の国境の村には食い詰めて逃げてくるサルファンの難民が後を経たないらしいわ』
サルファン公国は、前王室の後継者争いに乗じて国を掠め取り、自ら大公として名乗りをあげたエクデス大公の興した国だ。まだ建国して10年にも満たない新興国。
彼の国にはまだ軍隊がなく、寄せ集めの傭兵を雇ってそれらしく体面を保っているのだと聞いたことがある。張りぼての烏合の衆だと、マーテル卿らは鼻でせせら笑っていた。
まさかその傭兵って、
「サルファン公国……の?」
思わずそう呟いていたリデルに、部屋中の視線が集まった。
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ときどき何話か遡って読み返し、誤字脱字、文章の不備等気づいたものは訂正しています。(それでもまだある気がする……。毎話更新を追ってくださってる読者様、いろいろ不備だらけですみません(;ω;)) 何か変なとこがあればお知らせくださると嬉しいです。もちろん感想もv v v どうぞよろしくお願いいたします。
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