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アルファの本能

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 叱られたみゃーちゃんはあっさりと身を翻し、また部屋の奥に引っ込んでしまった。
 先にレックス様にもらってたなら、そんなにお腹が空いていたわけじゃないのだろう。

「みゃーちゃんを僕にくれたのは……レックス様だったんですね」

 あの頃の――今よりもっと人形のようだったリデルの記憶は、曖昧だけど。
 いつからか、いつもそばにみゃーちゃんがいた。その温もりに冷たく凍りついた心が溶かされていくような、そんな心地がしたことは、ぼんやりとだが覚えている。

「みゃーちゃんを拾ったのは確かにレックスだけど、もともと彼のものだったわけでもないわ。そもそも根っからの仕事人間で、独り身。さらに騎士団長になった今でも、王宮内のむさ苦しい騎士寮暮らし。寮には寝に帰るだけの彼に、猫なんて飼えるわけないでしょう。『くれた』と言うより、『もらってあげた』の方が正しいわね」

 そう眉を上げた王妃は、侍女の入れた紅茶の香りを確かめ、頷いた。リデル付きの侍女は、それを見てようやくホッとした顔をした。彼女たちは王妃が選定し教育した者たちだ。

「野鼠とか、小魚とか? そういうのを捕まえた時は時々あげているようね。今日もそう。だからそれは、あなたの分。ちゃんと全部食べなさい」

 ピシリとそう言われ、サンドイッチを手に持ったままぼうっとしていたリデルは、慌てて食べ始める。

「未だにみゃーちゃんが彼に懐いているのは、きっとそれもあるんじゃないかしら? しっかり餌付けされちゃってるから。まったく生真面目というか……。一途だこと。――まぁ、もともと給餌行動はアルファの本能だけど……猫にまでだなんて面倒見が良すぎるわね。あんな顔で」

 ミリアムはそう言って、くすくすと笑う。
「あんな顔」は余計です姉様。優しさにお顔は関係ありません。
 口にものを入れたまましゃべるわけにはいかないので、大人しくもぎゅもぎゅしながらそう思っていると、

「そういえばヘイゼルも、結婚した当初私に食べさせたくて仕方ない感じだったわね。最初は断れなくて……人生で一番太ってしまった黒歴史よ。こっそりダイエットするの大変だったんだから! ラルを妊娠したときも侍医たちにそれ以上は太っちゃダメ! って言われてたのに、食べろ食べろうるさくて……とうとう侍医長にキレられてたわ」

 ミリアムは思い出したように、そう愚痴りだす。ラルは二歳になったばかりの第一王子ラルーカのこと。まだ赤ちゃんの第二王子がベルーカ。二人とも兄様にそっくりの顔立ちと聖碧色の瞳。まだぷにぷもちもちで、とっても可愛い。

 ふふ。あの兄様ならありそう。姉様は不満げに口を尖らせてそう言うけれど。惚気ごちそうさまです。

「困ったことに、最近は自分の分まで私に食べさせようとするし……。アルファなんて、運命の番の前では情けなくも可愛いものね」

 国王であり、我が国最高位のアルファである兄様にそう言えてしまうのは、姉様だけだと思うよ?
 見た目は、強く逞しい美丈夫アルファと、そのアルファに大切に守られ愛される嫋やかで美しいオメガ。二人はまるで絵に描いたような『運命の番』だけれど――その力関係は圧倒的に姉様の方が強い。それだけ兄様は、姉様のことを愛してるってことだよね。と思う。

 アルファとオメガには、この世界のどこかに、必ず対となる運命の番がいるといわれている。
 一目見た瞬間に惹かれ合い、離れなくなる。生涯で唯一の相手だ。
 だが残念ながら、誰もが運命の相手と出会い、結ばれるとは限らない。それは恋愛小説や人気の演劇に出てくる夢物語に近く、実際には『運命』に出会えるアルファとオメガは、ほんの一握りだ言われている。
 この広い世界のどこにいるかも、年が釣り合うかもわからない上、もう他の誰かと番っているかもしれないし、出会う前に亡くなってしまっている可能性だってある。そんな見たこともない相手を探すより、身近にいる好ましい相手と番う方が現実的だ。そもそも見つからない確率の方が高いのだから。

 そんな中で、運命の相手を見つけることが出来た幸運な一握り――そのほとんどは、王族などの高位アルファやオメガだった。
 強いアルファであるほど、運命の相手を見つけ出す運と本能が強く、高貴なオメガであるほど運命を引き寄せる誘惑香フェロモンが強いとされている。

 ヘイゼルがアルファとして成人した16歳のとき、ミリアムはまだ10歳の子どもだった。王族の血を引く女性で、その容姿と気品からもおそらくオメガであろうと推測されていたが、まだ確定ではなく当然発情期も来ていなかった。
 だがヘイゼルは成人前からずっと、自分の親友であるトーリ王太子の血縁者に自分の運命がいるような、そんな気がしていたという。なぜかと問われても「勘」というか「そんな気がした」としか言いようのない、本能的なもの。

 そしてそれを聞いたトーリから、「伯母が嫁いだ公爵家に、まだ子どもだが、きっとオメガだろうと言われてる従姉妹姫がいる。それかな?」と言われて、その子だ!と直感的に分かったと。  
 だからヘイゼルは成人しても婚約者を決めず、彼女が成人するのを待って、サーベントまで会いに行った。そうして一目で恋に落ち、そのまま求婚して――今に至る。
 リデルは、ヘイゼルとミリアムが婚約を結んだばかりの頃に、兄から直接その運命の恋物語を聞きき、運命の番というものに強い憧れを抱くようになっていた。

 前王レイブンとその妃、リデルたちの父と母は運命の番ではなかった。
 それでも、政略結婚ではあったが父王は側室を置くこともなく、王妃として、後継たる王子を産んでくれた番のオメガとして、母を大切にしていたとは思う。だが父の情熱は、番よりも戦いや国を守ることへの方に大きく傾いていた。
 末子のリデルを産んだあと、王妃は病を得て儚くなった。その後、新たに王妃を娶ることもなかったから、父なりに番である母を愛してはいたのだろうけれど――。

 リデルは、兄のように自分も運命の相手に出会うのだと思っていた。絶対に運命の番を見つけて、妻に迎え、幸せにするのだと、そのために強く立派なアルファになるのだと――そう思っていた。
 
「兄様は――幸せだね。姉様と出会えて」
「ふふ。さぁ、それはどうかしらね? 出会えたのは、ただの幸運。その幸せを守り続けることの方が、きっとずっと大変なことよ」

 そう言って、リデルの口の端についたパン屑をハンカチーフで拭うと、

「全部食べられたわね。えらいわ」

 と頭を撫でた。
 王子がまだ幼いからか、なぜか彼女はリデルにも子どもたちと同じように接しがちだ。もう成人した義理の弟なのに。とは思うけど……彼女の手の温かさには、心を落ち着ける効果があった。

「でも……レックス様、いつ狩りになんて行ってるのかな」 

 レックス様が獲ってきた美味しいお肉や果実を食べられるのは嬉しいけど、休む暇もないのではと心配になる。いくらアルファが頑健に出来ていると言っても、不死身ではないのだ。

「朝早くに、直轄領の森に入ってるらしいわ。あそこなら王宮ここからも近いし、密猟者が入り込んでいないかの見回りも兼ねているとか」

「王家の森に、密猟者が?」
「いいえ、今のところその痕跡はないそうよ。まだ王家の森に勝手に入り込むような不埒な輩は出ていないようね」

 、と言うことは今後はその可能性もあると言うことだ。そこまで民は困窮を?
 表情を曇らせたリデルに、

「大丈夫よ、リデル。あくまでも可能性の話よ。常に最悪の事態を想定しておくことは必要だから」

 ミリアムは励ますように言う。

「どちらかというと、見回りはついで。王族以外の者が王家の森に入るための方便よ。そんなに深刻に受け止める必要はないわ。私たちは、騎士団長がとってきてくれる森の恵みを楽しみにしていればいいの。彼もそれを望んでる。……ちゃんと休めと言っても聞かないのよ。あの堅物は」

 彼女は最後に小さくため息をつくと、

「――いずれちゃんと彼の働きには報いるから、安心なさい」

 そう言ってまた、優しく頭を撫でてくれた。
 
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 ときどき何話か遡って読み返し、誤字脱字、文章の不備等気づいたものは訂正しています。(それでもまだある気がする……。毎話更新を追ってくださってる読者様、いろいろ不備だらけですみません(;ω;)) 何か変なとこがあればお知らせくださると嬉しいです。もちろん感想もv v v どうぞよろしくお願いいたします。
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