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ひと房の葡萄 2
しおりを挟む「葡萄など、よく手に入りましたわね」
「ああ、森の奥で見つけたらしい。珍しいだろう? 子どもたちとおまえ達とで食べるがよい」
天候の乱れは森の恵みにも影響している。森の奥の木の実や果実なども、すでに人や動物に取り尽くされているという。普段なら子供や狩人のおやつとなる野葡萄なども、今はもう手に入らないと聞いた。
きっと一房しかなかったのだろう。いくつかに切り分けられたらしい野葡萄の小房は、ヘイゼルの前にはなかった。
「まぁ、それなら二人で半分こしましょう?」
ミリアムがそう言えば、「いや、私はよいから君が」「だめよ、私だけなんて」と、二人は朝っぱらからラブラブな甘いムードを醸し出している。そこへ自分までも、「よかったら私の分も……」と参戦すれば、余計に面倒くさくなりそうだったので、リデルは黙って目の前に置かれた葡萄に手を伸ばした。
リデルは元々食が細く食べ物にあまり執着はない方だが、果物や菓子などの甘いものは好きだった。特に葡萄は大好物だ。
そういえば子供の頃よく、追いかけてくる侍従を撒いて、野葡萄や木の実を採っては木の上で食べてたりしてたよなぁ。と懐かしく思う。
自生する野葡萄の実は小さく皮も厚いが、濃厚で甘味も強い。久々の甘味に思わずうっとりと頬に手を添えたリデルは、ふと視線を感じ、何気なくそちらに目を向けると――ほんの一瞬、テオドールと目が合った。
(え、あ? レ、レックス様がこっちを見てた??? え、嘘……もしかして今ボク、めっちゃ阿呆面してたとか?)
脳内では盛大にパニクっているが、見た目はただ視線を上げただけ。頬に添えられた手はそのままだが、少し首を傾げたせいで、肩にかかっていた白雪の髪がふわりと落ちた。
テオドールの目はすぐに逸らされたが、確かに一瞬だけ目が合った。……よね? と、固まるリデル。
傾けられた小さな顔、その頬に添えられた白魚のような美しい手と、袖口から覗いた華奢な手首。薔薇色に染まった頬と潤んだ瞳に、その部屋にいた給仕や護衛騎士たちの目が泳いでしまう。見てはいけないものを見た感がすごい。
「リデル? どうした? 口に合わなかったか?」
その場の微妙な空気に気付いたヘイゼルが戸惑いながら声を掛ける。
「あ、いえ! とても甘くて美味しくて、ついうっとりしてしまって……。どうぞ姉様も食べてみて? 兄様もぜひ」
慌ててそう取り繕うと、譲り合いしていた姉様たちも、それならと二人で野葡萄の実を摘まみ、まあ、本当に。と微笑み合う。
リデルがこっそりとテオドールの方を伺えば、すでに彼はいつもの定位置に戻っており、その暗く沈んだ海の底のような紺碧の瞳は、もうこちらに向けられることはなかった。
◇ ◇ ◇
朝食を終えた兄王はそのまま執務室に向かったが、ミリアムはなぜかそのままリデルを拉致し、ふかふかのクッションを並べた広いソファーに並んで座らされた。家族だし、同じオメガという気安さもあり、彼女との距離はいつもかなり近い。気がつけば王妃の部屋でのティータイムが始まっていた。
「ミリアム姉様、今日はこれからトーリ王太子との協議があるのでしょう? 出席しなくていいの?」
昨年から続く飢饉は我が国だけではなく諸外国も同様で、どこの国も同じく食糧不足であるから他国から食糧を輸入することも難しい。
トーリ王太子が我が国を訪れたのは、ヘイゼルとそれらの問題について協議を行うためだ。
本来あまり表に出ることはないオメガではあるが、王妃であるミリアムは聡明で見識も広く、王に対等な立場で助言できる優秀な参謀でもある。
「あら、トーリ兄様はジャスリーガル国王妃の従兄弟としてではなく、ヘイゼルの親友として友の苦境を救うべく訪ねてきたのだもの。渋い顔の大臣たちも顔を揃えているだろうし、私の出る幕はなくてよ」
ミリアムは優雅にティーカップを摘んで、澄ました顔でそう応えると、
「それより私は、さっきのあなたの反応の方が気になるわ。いったい何があったの?」
興味津々で、身を乗り出して尋ねる。
「別に何も……」
「何も?」
眉を上げ、そんなわけないでしょう? とじっと見つめてくるミリアム。これは話すまで解放してもらえないと、リデルは観念する。
「目が……合ったのような気がして……。あ、でも一瞬で逸らされたし、僕の勘違いかもだし……。その、たまたま偶然? ほんの一瞬の幻? みたいな……」
少し時間が経って冷静になると、あれは自分の勘違いというか夢か幻のような気がしてきた。
いつも一方的に、気付かれないように盗み見ていただけで、彼の方がリデルに視線を向けることはない。護衛は周囲を満遍なく注視しており、一見どこを見ているのかわからないものだが――彼の視線が自分の姿を捉えてるのを、リデルは見たことがなかった。
「誰と?」
「えっと、レックス騎士団長様……?」
そう、自分に向けられたあの澄んだ紺碧の瞳が、幻でなければ。
「もう、騎士団長に様をつけちゃダメって言ったでしょう?」
でもでも、推しを呼び捨てになんて出来ない。公の席では仕方がないが、私的な場では許して欲しい。と、目で訴えるリデルに、
「貴方は彼の主家にあたる王族の一員なのよ? なんならもっと気安くアゴで使ってよいくらいなのに」
ミリアムは呆れたようにそう応える。
リデルには、自分が兄である国王に溺愛されている王弟で、王国の至宝と呼ばれる尊きオメガだと自覚がまるでない。少しでも目立たないように、誰の目にも留まらないように、と王宮の奥深くで息を潜めるように生きているのだ。それが彼の自分を守るための手段なのだと分かってはいても、ミリアムは歯痒かった。
え、無理無理無理無理。拝み崇め奉ることはできても、顎で使うなんて死んでもできない! と青い顔でぷるぷる首を振るリデルに、ミリアムは苦笑する。
「まぁ、平民出でありながら騎士団長まで上り詰めた彼は、アルファとしてのランクは高位貴族にも劣らないしね。顔も怖いし、威圧感も半端ない『鉄仮面』相手じゃ萎縮しちゃうのもわかるけれど……彼は自らの全てを王家に捧げた正真正銘の『王家の騎士』よ。その忠誠心が揺らぐことは絶対にない。あれは貴方の言うことなら、きっとなんでも聞くわよ?」
「でも……レックス様は兄様の護衛でしょ? 僕のじゃない」
「……彼にとっては同じことなんだけどねぇ」
「え?」
「あ、そうだ! 今日の野葡萄。あれきっと、採ってきたのはレックスよ」
「え、そうなの?」
騎士団長様が自ら??? と、目を見開いたリデルに、
「ええ。ヘイゼルが『森の奥で見つけたらしい』って言った時、チラリと彼の方に目をやっていたもの。王族の口に入る食材は入手ルートまで厳しく管理されているから、信用できる人物の採ってきたものでなければ、私たちの食卓に上がることは絶対にないの。彼は時間を見つけては森に入って動物を仕留めてきたちもしてるそうだから。――騎士団長までもが狩人のマネをしなくてはならないなんて、困ったことだけれど」
そう、ため息を一つ落とす。
明るく前向きな王妃が泣き言を漏らすことなど滅多にない。それだけ深刻な状況なのだろうな。ということは、世情に疎いリデルにもわかる。
「姉様……」
王宮の奥深く守られ、何の役にもたたない自分。何だか申し訳ない気持ちで、思わずそっとミリアムの手を取ったリデルに、
「ま、でも、ありがたいことだけれど。おかげで、美味しいジビエや野葡萄までいただけるんですもの! 気位ばかり高くて使えない貴族出のアルファと違って、逞しくて頼りになる騎士団長『様』で、良かったわね?」
ミリアムはその手をぎゅっと握り返し、楽しそうにそう笑った。
「貴方が美味しそうに食べてくれて、きっと嬉しかったんでしょうね。――鉄仮面すぎて伝わらないけど」
ああ、そっか。自分が採ってきたものを食べていたから、きっと気になって見ていたんだな。と、リデルは納得した。
でも――。
(あああああ、レックス様が自ら獲ってきてくださった肉や果物なら、もっとしっかり味わって食べれば良かった~~~~!!!!)
心中悶絶しながらそっと目を伏せたリデルに、
「だからね、リデル。遠慮せずにしっかりと食べなくてはだめよ? あなた一人の食べる量なんてたかが知れているんだから」
元々食の細いリデルが最近はさらに食べる量が減っていることは、ミリアムにも気付かれていたらしい。
だからレックス様は――たいして腹の膨れない野葡萄まで探して採ってきてくれたのだろうか。食欲のないリデルの好物を。もちろんそれは小さな王子たちの為で、僕のためではないのかも知れないけれど。そう思いながらも、
「はい! 食べます、ちゃんと! しっかりじっくり味わって、感謝をしていただきます!」
気合いを入れてそう宣言したリデルに、ミリアムは「ふふ。効果抜群ね」と小さく呟く。
「え?」
「いいえ、何でも。元気が出て良かったわ」
ミリアムは微笑んで、リデルの髪を優しく撫でた。
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ときどき何話か遡って読み返し、誤字脱字、文章の不備等気づいたものは訂正しています。(それでもまだある気がする……。毎話更新を追ってくださってる読者様、いろいろ不備だらけですみません(;ω;)) 何か変なとこがあればお知らせくださると嬉しいです。もちろん感想もv v v どうぞよろしくお願いいたします。
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