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虚ろな影は少女と共に

6話 倉實礼は赤らめる

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 学院に入学して1ヶ月が過ぎた。学校特有の作法や新しい環境での授業には戸惑ったけれど、今はもうだいぶ慣れてきた。
 けど……

「さ、倉實さん。ばんざいして? ばんざい」

 布と布とが擦れ合う音に、今更ながら私は今、貴澄さんに衣服を脱がされているという事実を受け止めた。
 相変わらずお風呂の時間は慣れない。いくら隻腕でも衣服くらいは自分で脱げるけど……利き手が使えないとそれだけで時間がかかってしまう。ということでファミリアである貴澄さんに手伝ってもらっている。
(ここまで恥ずかしいとは思わなかったわ……!)
 他人に脱がされるというだけで、こうも恥ずかしくなるとは思わなかった。瑞々しさのある知らない指は私の表面をなぞるように駆け巡る。声が出てしまわないよう、その唇を固く結べば結ぶほど、内からは要らぬ緊張が源泉如く湧き上がった。
 貴澄さんは介助だと割り切っている為なのか、全く恥ずかしがるようなそぶりも見せなかった。私だけ勝手に恥ずかしがってるなんて、余計に恥ずかしい。
あまり人には見せたくない姿であるため、一番人の来ない時間を狙ってきたが、2人しかいないこの空間は、かえって私の胸の鼓動に拍車をかけた。

「倉實さんが恥ずかしがってると……その、なんだかいけないことをしてるみたいでわたしまで恥ずかしくなってくるわ……」

 背中越しに伝わってくる暖かみがより一層、私を桜色に染め上げる。

「おっと……ここは君たちだけの空間じゃないんだ。他の人に誤解されるような行動は慎むべきだと思うけど……」

 面白半分。半ば呆れたように私たちを見る東口さんの表情は、見なくても手に取るように分かった。

「ちょっと。茶化すようなことではないと思うけど。そういう冗談、おもしろくないわ」

 インナーのキャミソールを脱がされかけているせいで見えないけれど、貴澄さんが東口さんに向けて冷たい視線を送っている様子が思い浮かぶ。

「悪かったよ。2人と早く仲良くなりたくて、つい軽口がね」
「そんなことなら、もっとお湯につかりながらゆっくりお話しすればいいのに……」
「長風呂は得意じゃないんだ。……さ、あと15分もすれば2年生の入浴時間だ、そろそろ入ってしまおう」

 この学院の入浴システムは、始めに1年生、その後に2年生、最後に3年生といった具合に、学年によって入ることのできる時間帯が分けられている。あまりぎりぎりの時間にまで入っていると上級生と鉢合わせてしまうことがあるため、特に1年生は早い時間に入浴を済ませてしまうのが恒例らしい。だから私達はあえてこの同級生の寄り付かない時間に入浴している。
 衣服を脱ぎ貴澄さんがそれをきれいに畳むと、私たちは足早に浴場へと向かった。ペタペタ。という私たちの足音はまるでペンギンの様で、私たちをより一層、少女たらしめていた。



 お風呂は命の洗濯。という言葉を聞いたことがある。誰の言葉かはもう忘れてしまったけど、私の大好きな言葉の1つだ。
 嬉しいとき、悲しいとき、疲れたとき、元気なとき。どんな私でも平等に受け入れ、癒しを与えてくれるお風呂が大好きだった。
 お風呂は私にとって心の許せる相棒だった。これだけ安心して身を委ねられるものはないと言っても過言ではないだろう。

「おかゆいところはございませんか♪」

 貴澄さんの透き通る声が大浴場で乱反射して私の耳へと届けられる。
 私の左腕を貴澄さんの白い腕は踊るようにして白い泡で染め上げ、ついでに私の頬も赤く染め上げた。全身が紅潮しないように平静さを保っていたけれどこれは……身を委ねたら最後……ね。

「き、貴澄さん……その、もう大丈夫だから、ありがとう。あとは自分で」
「そんな遠慮しなくてもいいのよ? だって、わたしたちはもうファミリアなんだもの」

 私の背中に触れては避けを繰り返す二つの凹凸は、湯舟に入る前の私をたしかにのぼせようさせていた。

「透子もそれくらいにしてあげるといい。せっかく心と体を癒せる場所なんだ。倉實さんもきっと、洗えるところは1人でゆっくり洗いたいはずだよ」
「そ、そう! 左手と背中以外は自分でできるから、もう大丈夫よ。ありがとう」

 やはり他人に洗ってもらうのと自分で洗うのとではこうも勝手が違うものよね……くすぐったい。心も体も。
 そのむず痒さも一気に洗い流すようにしてシャワーを浴び、浴槽で待つ東口さんの元へと向かった。

「入学したてで忙しい日々の中だけど、こうして湯舟に浸かっている間だけは、礼法とか慌ただしさとかを忘れて落ち着くことができるよ」

 ふぅ、と全身から空気を抜いた東口さんは、まるで萎びた風船のようにして身を沈めた。

「つかの間の平穏ね」
「郷に入っては郷に従えとも言うし、やることはやるさ。その内、この生活が平穏そのものとなることを願って。乾杯」
 グラスを持つようにして差し出された彼女の右手に、軽く合わせるようにして
「平穏に、楽しく過ごせることを祈って、乾杯」

 杯を交わした。

「そういえば、君はどうなんだい透子。もう学院の生活には馴染めた?」

 いつの間にか体を洗い終えていた貴澄さんは、つかの間の井戸端会議に参加すべく、足早にこちらへ向かってきた。

「始めはキリスト教特有の礼法などには戸惑ったけれど……それ以外は前にいた学校とあまり変わらないし、何よりクラスのみんなが優しい人ばかりなおかげですっかり馴染めているわね」
「流石はモニカ教諭が委員長と見込んだ透子だよ。余裕があるし、周りを見渡せる視野もある」
「褒めても笑顔くらいしか出てこないわよ。はい」

 太陽のような笑みを浮かべている貴澄さんの笑顔は、天真爛漫の語源は彼女からきているのではないかと思わせるほどに無垢なものだった。
(遠くからじゃよくわからなかったけど、眼鏡をはずしているからより一層、ね)

「そういえば、東口さんと倉實さんは祭事委員? だったわよね。もう収穫祭の予定とかを考えたりしていて、そっちは大変だったりしないの?」
「私たち1年生が本格的に参入するのは秋の文化祭からなんだ。今はただ先輩方の紛糾した議論を眺めながらお茶を飲むだけの簡単なお仕事さ」
「居心地は最悪だけどね……」

 祭事委員。ここに来るまで聞いたことのないような名前だったが、文化祭以外のイベントも担当する文化祭実行委員という感覚が一番近いかもしれない。
 本当は図書委員とか飼育委員とかをやりたかったけど……なんとなく手を挙げずらくて、ただ座っていたら枠がそこしかなくなっていた。という次第。再選していただけないでしょうか。

「まあ、喧噪を御供に紅茶をいただけるのは今だけだって言ってたし、しばらくはそれに甘んじようとしようじゃないか」
「それでよく胃に穴が空かないわよね……」
「その時は、君が埋めてくれるんだろう? 先にお暇させていただくよ。長風呂は好きじゃないんだ」

 私の髪をなでると、最後の最後に爆弾を投下した東口さんは、そのまま浴場を後にした。

「空いた穴は倉實さんで埋めるって……その……私はね? 女の子同士でも別におかしいこととは思ってないから……安心してね?」
「私にその気はない……ですよ?」

 貴澄さん。その思考はね、それはそれで安心できないよ……
 今日のお湯加減はいつもよりも熱く。のぼせてしまいそうだった。
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