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春篇 邂逅

5話 邂逅

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いくら春であっても、流石に夕刻にもなると冬服であっても少し肌寒い。波とともに運ばれてくる潮風からは、ツンとする磯の香りがした。冷たい空気を鼻から吸い込んだ時のような感覚に、思わず冬の名残を感じさせられる。
 あれだけ私達の頭上に輝いていた太陽も、ファミリア選考が終わり、結果が発表される頃にはその顔を半分、水に浸していた。
 窓越しにそれを見ながら、夕日に照らされた学生寮の廊下を進む。隣から聞こえるキャリーケースのコロコロとした音と、規則正しいリズムでコツコツと奏でる足音が心地よい。

「でも、まさか偶然倉實さんと同じファミリアになれるなんてね。嬉しいわぁ!」
「え、えぇ。私も貴澄さんと一緒で、安心した」

 そう言うと、心なしか貴澄さんの足音は嬉しそうに跳ねた。
 ――貴澄さんです
 あの時、モニカ教諭との面談で私が発した最後の言葉が頭の中に響き渡る。
 私は貴澄さんを選んだ。おそらくこのことを貴澄さんは知らない。これからも知ることはないだろう。
 私は東口さんを選ばなかった。おそらくこのことを東口さんは知らない。これからも知ることはないだろう。
 彼女の笑顔を見ていると、どこか自分の心が後ろめたい気持ちでいっぱいになってしまいそうになる。今はただ窓の外の夕景を見ることしかできなかった。

「そういえば、わたしたちと同じファミリアの先輩方ってどんな人なんでしょうね。ご挨拶の品とか何も用意してないけれど……大丈夫かしら」
「そんな重苦しく考えなくてもいいんじゃないかしら……あくまでも”ファミリア”なのだから」

(私ならともかく、貴澄さんには必要ないと思うけど……)
 続く言葉は思っただけで、口には出さなかった。おそらくこの私の軽口でも貴澄さんは重く受け止めてしまうからだ。
 笑えないジョークほど空気を悪くするものもなかなかない。ブラックジョークなんて特に。

「あまりかしこまりすぎてても、かえって先輩方を困らせてしまうかもしれないわ」

 実際のファミリアという関係が学院側の説明している通りであるならば、かえってかしこまりすぎた挨拶は悪手であるかもしれない。あくまでも同じ部屋で過ごすであるならば、握手くらいで済ませるようなものくらいが丁度良いだろう。昔読んだ本でも、そうして友達を作っていたわ。
 そんなことを考えていると、今まで小気味の良い音を立てていた足音がピタリと止んだ。振り返ると、そこには106と書かれた札の隣に長い年月を感じさせられる木製の扉があった。
 いざ扉の前に立ってみると、不思議といままでなかった緊張感が沸きあがる。

「ここが私たちの部屋ね……扉の前に立つと、やっぱり緊張してしまうわ」
「や、やっぱり、なにか挨拶の品でも持ってきた方がよかったかな……」
「ちょっと、倉實さんがそれを言う?」

 いざ扉の前に立つと、首の後ろからは嫌な汗が噴き出ている感覚があった。
 コン、と扉を打つ音をちょうど3回聞いた。その度に私の心臓は跳ね、息が苦しくなる。

 「どうぞ」

 扉一枚挟んで聞こえてきた声に、いよいよ覚悟を決めなければいけないと、そう思わせられた。

 「わ、私は貴澄さんの後ろからついていくから」
 「もう……しっかりついてきてよね」

「失礼します」言いながら貴澄さんが扉を開けると、続いて私も彼女の背中に隠れるようにして中に入った。

「し、失礼します……」

 中は思ったより広々としていた。部屋の両端にはそれぞれ二段ベッドが置かれ、窓際には人数分の机と、部屋の真ん中には大きな丸机が置かれている。暖色系の暖かい光が私たちを暖かく祝福した。
(これは……思っていたよりよりくつろげそうね)

「いらっしゃい。あなたたちがこれから私たちと一緒に暮らすファミリアさん?」

 貴澄さんの背中越しから声の主を見てみると、声から想像した通りの人だった。
    おっとりとしたたれ目、腰にまで届きそうなクリーム色の髪は頭の低い位置で2つにまとめられており、夕日に照らされてゆらゆらと煌いている。少女らしさを残しながらも大人らしい美しさが垣間見えた。

「はい、これからお世話になる、貴澄透子といいます。それとこちらが……」
「く、倉實。倉實礼です。これからお世話になります」

 いくら緊張しているといっても、自己紹介はさすがに自分でもできる。言葉は詰まるけど。

「ふふっ。緊張してる?」

 先輩の「小さな子供に対してかける笑顔」を受け、また貴澄さんの背中に隠れるように小さくなった。

「す、少しだけ……です」
「えぇ? 今日一番緊張しているように見えるけど」
「す、少しだけっ!……です」

 お二人のおかげで私は今猛烈に緊張しています。

「そうそう、まだこちらの自己紹介をしていなかったわね。私は渚 翡翠みぎわ ひすい。ナギ……相方は少し風に当たってくるって出て行ったけど、じきに帰ってくるわ」
「まだこの時期は冷えませんか?」
「寒いくらいがちょうどいいんだって。なんでも、孤独になれるからとか言ってたけど……まあ、ナギは不思議な……」

 ギィ、渚先輩が言い終えるのを待つことなく、私の後方からは金切り声にもよく似た音が聞こえた。

「そんなに私は不思議かい?」
「変人まではいかないけどね。それにしても、今日は新しい子達がくるから遅くならないでって言ったのに……」

 聞き覚えのある声だった。女性にしては少し低めの、大人びた声。岬で聞いた声だ。
 貴澄さんの背中に隠れていたことにより、私はその声の主に対してはまったくの無防備だった。背中越しからでも伝わる視線。かすかに香るレモンの芳香。振り向かなくても誰が後ろにいるかはわかった。

「おや? 今年の後輩君は恥ずかしがりやさんなのかい? 花も恥じらう乙女?」
「今、語感だけでその言葉選びましたよね……」

 完全に語感だけで引き合いに出してるわよね。それ。

「お、やっとこっちを向いてくれたね。……と、君は岬の……」

 今のが私を振り向かせるための巧妙な罠であったなら、私はまんまとハマってしまった。
    交わる視線。一瞬、私と彼女だけを残して世界が時を止めてしまったかのような感覚に陥った。そしてまた、動き出す。
 
「礼。倉實礼。です」
潮凪 満しおなぎ みつる。よろしくね。それにしても君は幸運だ、妖精と友達にだなんて、なったことないだろう?」
「ようこそ、私たちのファミリアへ」

 世界は狭い。私の思っていた以上に。
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