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魔剣争奪戦編

第105話 ハエたたき

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 タマコが顔を上げると、愛しい人がそこには居た。

「主殿……」

 フラフラでまともに立っていられないタマコはしっかりと抱きとめる腕に体重を預けた。
 ここまで弱った彼女を見るのが初めてで、タローは戦闘の激しさを噛みしめた。

「わるい。遅れた」
「いいさ……遅れるの何て日常茶飯事じゃろ?」
「あぁ、そうだな……」

 声が弱っていくのがわかった。
 もうすぐ転移の光に包まれるだろう。

(もう少し、役に立ちたかった……)

 心半ばでの脱落に申し訳なさを感じ、自己嫌悪に陥りそうになる。
 そんな彼女にタローはそっと口を開いた。

「なんか、腹減ったなぁ」
「?」
「今日はご馳走頼むぜ――100億持って凱旋してやるからさ」

 その言葉にタマコは思わずフッと笑みをこぼした。

("夕飯作って待ってろ"……か――)

 だったらそう言えばいいのに、とタローのぶっきらぼうな優しさに包まれた。

「うん。好きな物作って待っておくよ」
「……頼むわ」

 その言葉を最後にタマコは強制転移の光に包まれ、姿を消していった。

「――別れは済んだか?」

 タマコが消えてすぐ、地面にめり込んだハザードが勢いよく飛び上がった。
 首を鳴らしてタローを見やる瞳には燃え盛る炎のような闘志が宿っていた。

「待ってたんだぜ俺ァ……テメェと殺し合うのをよぉ!」
「……あっそ」

 闘志と殺意をむき出しにしているハザードに対し、タローはいたって冷静。いつも通りだった。

 いつも通りのダルダルのTシャツ。
 いつも通りの直していない寝ぐせ。
 いつも通りの死んだ魚の――

炎心エンジン、スタートッッ!!」

 ハザードが叫ぶと身体に赤い魔力が纏われる。
 目に見えて迸る赤。燃え滾る熱量。
 これがハザードの戦闘態勢だ。

「エレクトリック、帯電!」

 拳に高出力の雷が纏われる。
 その拳を容赦なくタローへと振り下ろした。

「ビリビリはもううんざりだ」

 タローは怠惰の魔剣ベルフェゴールの魔力を左腕に纏わせると、ハザードの拳を受け止めた。
 雷が感電しようとするが、魔力をコントロールしてそれを逃がした。

「へっ、やるじゃねぇか!」

 ハザードは拳を離しタローから距離を取ると、クラウチングスタートのようなポーズで構える。

「アクセル、全開!」

 唱えたのち、ハザードは勢いよくダッシュ。
 タマコの音速移動ソニックにも引けを取らないどころか、それ以上のスピードで突進した。
 シンプルにただ猛スピードで突っ込むだけだが、その威力は計り知れない。

(さぁ、どう動くタロー!)

 いくら真っすぐとはいえ、この速度を見切るのはまず不可能である。
 タローまで残り0.0000……――

 ドゴォォッッ!!

 ハザードが最初に認識したのは、その音だった。
 それをきっかけとして、ようやく自分が地面にもう一度叩きつけられたのだと知覚した。

(マジかよコイツ。見切りやがった……)

 頭に強烈な痛みが走る。
 どうやら頭部を上から叩かれたようだ。
 が、それにしては痛みが少ないようにも思える。
 いったい何で殴ったのか確認するため、無理やり体を起こした。

「…………………………は?」

 ハザードは目を点にした。
 目の前にいたのはタローなのだが、持っている武器に釘付けとなってしまったのだ。
 間違いなく怠惰の魔剣ベルフェゴールではあるものの、気になったのはその形状。
 飛んでいる虫を叩く、いわゆるアレだった。

「……お前、それなんだよ?」

 理解わかっていはいるものの、一応訊いておく。

「得意なんだよ、

 タローの言葉にハザードは目を伏せた。
 究極的な速さで突進する魔王を、タローはわざわざ怠惰の魔剣ベルフェゴールをハエたたきに変化させ、尚且つあれだけの威力で叩き潰したのだ。
 つまり、それは――

「この俺が、虫と同程度だとでも……ッ?」

 明らかに怒気を含んでいる。
 身体を覆う魔力がさらに膨れ上がるのに対し、タローはニヤリと片方の口角を上げた。

「なんか違うの?」

 いかる魔王へ、タローは喧嘩を売った。
 そしてそれが、ハザードのスイッチを切り替えることとなる。

「お前、触れちゃいけないモノに触れたなぁ――」

 青筋を額に浮かび上がらせ、ハザードは完全にキレたのだった。




 魔王タイラント=マリア=コバルト 脱落
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