白狼 白起伝

松井暁彦

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終 白の章

 七

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「何だと!?」
 相府で驚愕の報せを范雎は耳にした。凡そ一万の軍勢が、咸陽に向けて進軍しているという。それだけではない。一万の騎馬隊を指揮しているのは、あの軍神白起なのである。

(莫迦な。奴の心は私が確かに毀した)

「まさかー」
 演技だったとでもいうのか。頭を抱える。有り得ない。日々、耐えられるはずのない痛みを与え続けたのだ。だがー。実際に白起は一万の騎馬を率いて向かって来ている。それも報告によると、猛烈な速さで。

「順次、地方軍で迎撃させよ」
 喚き立てるように、注進に来た官吏に告げる。

「それがー」
 官吏は顔を曇らせる。

「何だ!?」

「行く手を阻もうと試みた、地方軍は悉く白起軍に壊滅させられておりまして」
 更には、咸陽から西にあるようから北西二百里の地まで軍を進めているという。

「なっ」
 油然と沸き立つ恐怖。

「ふざけるな!敵はたったの一万だぞ!」

(まさか)
 白起はこの時期を狙っていたのか。

 秦の主力とも呼べる大軍勢は、邯鄲包囲戦に出払っている。地方に配された、地方軍の存在は勿論ある。だが、地方軍の殆どが、国境を接する韓や魏や楚の守りに配している。

今、秦国内に残された兵力は僅かであり、軍の練度は低い。白起率いる一万よりは各城邑に兵力はあるが、軍神白起と敢然と戦り合う、度胸のある将校や軍が残されているはずもなかった。

部下は地方軍が壊滅させられたと言ったが、蜘蛛の子を散らすように逃げた、遁走の間違いだろう。
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