白狼 白起伝

松井暁彦

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長平の闇

 一

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 白起はくきが膠着を破った。

 范雎はんしょは己の策謀が、大いに役立ったことに満足した。

「大王様。後は仕上げで御座います」
 昨夜も飽くまで、女を抱いていたのだろう。階の下から仰ぎ見る秦王の顔色は悪い。

「白起に万事委ねれば良かろう」
 熟柿じゅくかき臭い吐息が、欠伸に混じって運ばれる。

「そうは行きませぬ。今こそ大王様に御稜威みいつを天下に知らしめる時ですぞ。さすれば、白起亡き後も、天下万民は白起個人を懼れ従うのではなく、大王様に悦服えっぷくの意を示すのです」

「孤にか?」
「左様。此度の長平での戦。青史より遡っても、類を見ないほどの大戦。大王様が自ら、河内へと出陣され、長平一帯。更には邯鄲を制圧されれば、畢生ひっせいの大事業として、青史に刻まれることでしょう」
 黒く沈んだ顔に生気が戻る。

「其れは真か。ならば早速、出陣の用意をせよ。しかしー」
 喜面が一転。眉尻を下げ、項垂れる。

「孤は、戦はしとうない。斯様な血腥い場所は、孤の肌に合わぬ」

「万事お任せあれ。この不肖范雎。大王様に赫赫かくかくたる戦勝をお約束致しましょう」
 秦王の落ち窪んだ眼が輝く。

「流石、仲父ちゅうほじゃ。うむ。分かった。万事貴殿に委ねるとしよう」

「恐悦至極で御座います」
 全てが范雎の描いた通りに進んでいた。もう少しである。長平の戦を終結させ、後に白起を葬れば、内実全てが己のものとなる。

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