白狼 白起伝

松井暁彦

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廉頗

 十四

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 翌日。宣言通り。白起は討って出た。
 
 趙括は櫓から、白銀の鎧を纏う、軍神の姿を睥睨する。翩翻へんぽんと翻る秦の黒旗。狼が描かれた天狼の旗。

「ほう。あれが軍神白起か」
 趙括は腕を組み、自信を横溢させていた。確かに尋常ならざる気配が、彼を取り巻いてはいるが、趙括は#__巌いわお__#のような男を想像していたので、拍子抜けであった。小柄で華奢。とても何十万も惨殺した、不敗の将には見えない。感興はそそられたが、怯懦は微塵もない。

(父上や廉頗の爺はやけに白起を警戒していたが、実際目の当りにしてみると何てことはない)趙括は父や廉頗。白起を時代遅れの老将として捉えている。

之ほどに大規模な戦は、趙括にとって初めての経験である。しかし、孫子・呉子などあらゆる兵法に通暁しているという自負がある。

幼少の頃より軍人である父から、将としての手解きを受けているのだ。成り上がりの白起や廉頗とは違う。

(所詮、奴等の戦は野蛮なものだ)

「奴隷上がりの白起に、本当の戦というものを教えてやるか」
 趙王より再三、戦を忌避することは許さぬと申しつけられている。廉頗の更迭は、趙王の意向を無視したことにもある。

(莫迦な男よ)
 内心で嘲笑すると、城塞の門を開かせた。

「白起め。痺れを切らして、自らが出てくるとは。皆の者、愚かなる敵の総大将を討ち取れ!」
 指揮刀を振るうと、喊声を上げて、趙兵が飛び出した。あくまで前進させるのは、泥濘の範囲まで。
 
敵の騎兵の脚を止めながら、城塞から弓兵による、万の援護射撃。一気呵成いっきかせいに飛び出してきた、白起率いる天狼隊。其れに追随する、幾万の歩兵が星散する。最早、その態は遁走とんそんに近い。

「何だ!この程度か。見ろ!軍神白起が背を向けて逃げてゆくぞ」
 趙括は呵々かかと哄笑する。

「見たか!之が俺の軍略だ!」
 嬉々と指揮刀を震わす中、思わぬ報せを副将が寄越してきた。

「何!?それは真か!?」
 報せによれば、白起は流れ矢を食らった負傷したという。成る程。ならば、あの大童の撤退も理解できる。

「秦は陣を引き払い、咸陽へ帰還する動きを見せています」
 秦にとって、白起を失うのは何よりの痛手である。

 趙括は満腔まんこうの笑みを浮かべた。

「今、此処で白起を討ち漏らす訳にはいかぬ。敵はおおいに算を乱しておるだろう」
 白起を討てば、賜る恩賞は莫大なはずだ。満腔の自信を以って。趙括は全軍に突撃命令を下した。
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