白狼 白起伝

松井暁彦

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廉頗

 四

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 白起は王齕だけを伴って陣営を出た。ゆっくりと馬を歩ませる。

「此処でいい」
 馬が脚を止める。

「王齕。強弓を」

「御意」
 白起に五人張りの強弓が手渡される。次いで槍の穂先の如く、やじりを持つ大矢。

「しかし、殿。廉頗の姿などー」
 王齕は慌てて口を噤んだ。既に白起は、瞼を閉じ、極限の集中状態にあった。
 
 可視化できるほどに、横溢する神気。王齕は知っている。無我の境地に達した、白起の感覚は自然と一体となっている。吹き付ける蒼風が廉頗の臭いを運び、足元に廻る地脈が、廉頗が放つ微量な熱を伝える。例え廉頗が櫓に居ようとも、白起に味方する地脈は、廉頗の熱を脈へと引き摺りこむ。

「居た」
 白眼が開いた。今の白起は全能であった。鞍上あんじょうに身を置いたまま、流麗な所作で矢を番える。鋼が縒り合された弦が、苦しそうに喘ぐ。

「行け」
 限界まで光輝を宿す弦が引き絞られた。
 烈風。逆巻く颶風ぐふうを纏った矢が、彗星の如く空へと飛んだ。
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