白狼 白起伝

松井暁彦

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怨讐

 十三

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 相府の地下。四肢を桎梏しつこくに繋がれた、かつての主は童のように泣きじゃくっていた。

「憐れなことだ」
 須賈は衣服を脱がされ皮膚は鞭によって、至る所が裂けている。

「何が憐れなのか、分かるか?」
 范雎は整えた髭を何故ながら、眼を細め尋ねる。
 須賈は涙を流し、大仰に首を横に振るう。

「私は質問しているのだ」
 やれと傍らに立つ、剛腕の士に促す。強烈な一撃が、無防備な須賈の顔面を捉える。

「ああ。鼻が折れてしまったか」
 須賈の鼻梁があらぬ方向を向いている。

「も、もう。やめてくれ。私が悪かった」
 鼻孔から流れたどす黒い血が、苔の生えた床に垂れていく。

「うむ。鼻が曲がってしまっている故、よく聞き取れぬ。戻して差し上げろ」

「御意」

「や、やめてくれ」
 剛腕の士の太い指が、鼻孔に突っ込まれる。
 ぼきっ。鈍い音。絶叫。

「うん。綺麗に戻った」
 折れた鼻は見事に元の位置に戻ったが、尋常ではない腫れ方をしている。

「も、もうお許しを。まさか、貴方様が秦の宰相とは思いも及びませんでした」

「まぁ、当然だ。当の本人も未だ信じられない境遇にある。師に売られ、母を殺され、辱めの限りを受けた、この私が」
 信じられるか?と須賈の萎えた男根を指で弾く。

「問おう。須賈。お前の罪とは如何のものか」

「私の頭髪を全て抜き、紡ごうとも、私が犯した罪の長さには及びません」
 何でもします。だからどうかお慈悲と続ける。

「うん。見事な言い回しだ。流石、我が師であった男だ」
 范雎は腰で手を組み、こつこつくつを鳴らし、闇が蠢く拷問室を練り歩く。

あだはあろうとも、以前は師であった男だ。私も鬼ではない。命までは奪ろうとは思ってはおらぬ」
 須賈が腫れた顔に、喜色を浮かべる。

「かの孔子こうしも讎を讎で返すのではなく、讎はちょく(筋)を以って報いよと申しておられる。では貴様でいう、直とは何か?」
 范雎の歩みが止まる。

「范雎殿にお仕えすることでは」
 須賈の双眸からは、期待の色が滲み出ている。

「違う。痛みだ」
 范雎の眦が裂ける。

「おい」
 と促すと扉が開き、胡乱うろんな風体をした黒衣の男が二人入ってくる。
 各々の手には、鋸状のこぎりじょうの刃物。

「男根を断って差し上げろ」
 須賈の眼が絶望に染まる。繋がれた創痍そういをわなわなと震えさせる。

「お願いです!それだけは!どうか!」
 鎖がけたたましい音を立てる。

 范雎はつらつらと萎えた男根を眺める。

「これぞ直である。私が受けた痛みと辱めを返すぞ。須賈」
 剛腕の士が、須賈の創痍を羽交い締めにする。

 黒衣の男が刃物をあてる。

「やめてくれ!お願いだ!それだけは!」

「ぎゃああああああああああああああ」
 耳をろうするほどの悲鳴。舞う鮮血。
 
 范雎は薄ら嗤いを浮かべながら、須賈が男でも人でもなくなる瞬間を瞬き一つすることなく刮目かつもくしていた。
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