白狼 白起伝

松井暁彦

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怨讐

 四

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「あの御方がご存命であれば、今の世は一つに治まっていただろうな。わしと白起が行っていることは、あの御方の一端に過ぎない」

「それでも、魏冄殿も白起殿も懸命に未来を切り拓こうとしておられます」

「わしも白起も不器用な男じゃ。故に要らぬ犠牲を払い続けた」
 白起は力による支配しか知らない。だからこそ、ひたすらに覇力の道を歩み続ける。

「白起は本来、純粋な男だ。人としての心を欠いたが故に、奴の根底には善悪の那辺なへんがない。だが、迷いや苦しみはある。己の道が正しいのか。常に奴は迷っているはずだ。間違いではないと断言してやりたい。新たな世界を見せてやりたい。しかし、わしには時間がない。だからこそ、わしはお前に託したい。奴が血を以って勝ち取った世界に、お前が王として立ち、奴の生き方を肯定してやって欲しいのじゃ」
 魏冄の言葉が切れる。老いのせいか、涙がこもごもと流れ出す。

「魏冄殿?」

「でなければ、奴があまりにも報われぬ」
 王翦が丸くなった背中を擦ってくれる。

「魏冄殿。俺はー」
 彼が強い信念を以って、何か告げようとした矢先である。

 突如、どよめきが起こる。怒号と罵声が飛び交う。王翦が父を守るようにして、剣を抜く。
 近衛兵を押し倒して、黒い具足姿の男達が現れる。数にして五十。正規の秦兵であるが、あまりに物々しい。

「何事じゃ」
 杖を立て、魏冄は欄干から腰を上げる。
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