242 / 336
影王
十二
しおりを挟む
裏に何かはあると勘繰ってはいた。武王の死因にも曖昧模糊とした点が多い。武王は若くして散華したが、王としてはかなり有望視されていたようだった。
肝も太く、明晰で、豪傑でもある。未来への展望も確固たるものを持ち合わせ、天下統一に向かって血道を上げていたという。
だが死因は周へ向かう道中に、酒に酔った勢いで力士達と力比べをする為に、鼎を持ち上げた勢いで脛骨を折り、後に死んでいる。将来を嘱望された英雄王にしては、あまりにお粗末な最期だった。
武王の気風を顧みて史書が語る、武王の最期を寸毫の疑いを抱かぬ者などいるのだろうか。武王の記述には、何故か曖昧とした点が多い。之は現政権が都合の悪いことをひた隠しにしているとしか、范雎には思えなかった。
あえて范雎は己の内に燻る疑念を秦王に告げた。今や秦王には、己しか味方はいない。微塵の警戒心もなく、秦王は口を開いた。
「母上の謀だったのです」
秦王の母。宣太后は自身の息子に王位を継がせる為、密かに私兵を蓄え、当時王であった武王を弑逆したのだという。
大方、予想通りの話であった。今は隠棲した身に近い、宣太后も長きに亘る間、垂簾政治を行ってきた。
「なるほど」
別段、嫌悪感なども抱くこともない。権謀術数渦巻く宮廷内での闘争など、どの時代、どの国でも同じような血腥いことが平然と行われている。
「白起も叔父も、当時兄上に仕えておりました。私は燕に人質として出されていた為、兄とは面識がありませんが、知る者は兄が生きていれば、今頃天下は治まっていただろうと口々に申します」
「武王は天下泰平の世を築くことを望んでおられ、武王の薫陶(くんとう)を受けた穣候と武安君は宿願を果たす為に奔走しているということですかな?」
「ええ。恐らく。叔父上はともかく、白起は私のことを大層憎んでいるはずです」
「故に早々に始末してしまいたいと」
再び秦王の眼に戦慄が走る。
「白起に牙を剥ければ、奴は刺し違えてでも、私を亡き者にしようと考えるはずです」
「ふぅむ」
考える素振りを見せる。実際、白起を内に抱えている危険性は理解できる。獅子身中の虫とは正に彼のことであろう。だが、彼には国家として理由価値がある。
病み衰え今や権勢だけが拠り所となっている魏冄とは違う。巧く遣えば、范雎自身が天下の王となる足掛かりを築いてくれる。今の范雎には天下を睥睨したいという強い想いがある。それは決して天下万民の為などではない。
己が天下を睥睨する、万乗の王となれば、己に非情な仕打ちを与えた天下へと復讐できる。いずれはこの愚鈍な王を弑逆し、己が秦の王位を奪い、天下へ号令する。やがて連綿と続く東周を滅ぼし、天子として立つ。
天子を弑して、己が帝として中国を治めれば、天譴思想は滅ぶ。天に叛心を抱く、己が帝となるのだ。其処には、古代から信じられていた天命などない。
不敵に笑む。覗く欠けた歯。
「大王様の苦衷はお察し致します。ですが武安君にはまだ利用価値があります。大王様とて、天下を切望されておられるはず」六国を滅ぼし、天下を治めることが叶えば、中国全土の金銀財宝と美女が、大王様の物となるのです」と付け加えてやると、秦王はあからさまに頬を上気させ、鼻の下を伸ばした。
「天下の足掛かりを築くには、軍神白起の存在は不可欠。故に武安君を始末するならば、足掛かりを得た後でも遅くはありますまい」
「だがー」
白起への恐怖。天下が齎すであろう、無限の豊穣が秦王の内にある矮小な天秤を揺らす。
「では、こう致しましょう。次の戦が武安君の最期の戦となる」
「白起の最期―」
「左様です。最期に相応しい大舞台を与えてやるのです。願わくば、穣候等を放逐して直ぐに舞台を整えてやるのが賢明です。大王様自ら勅命で出陣を命じ、武安君に反旗を翻す間も与えないことです。そして帰還後。充分に疲弊した武安君を討つ」
「で、できるのか!?」
范雎は綽綽とした表情で、恭しく頭を垂れる。
「私めにお任せください。必ずや大王様の悲願を果たして見せましょう」
肝も太く、明晰で、豪傑でもある。未来への展望も確固たるものを持ち合わせ、天下統一に向かって血道を上げていたという。
だが死因は周へ向かう道中に、酒に酔った勢いで力士達と力比べをする為に、鼎を持ち上げた勢いで脛骨を折り、後に死んでいる。将来を嘱望された英雄王にしては、あまりにお粗末な最期だった。
武王の気風を顧みて史書が語る、武王の最期を寸毫の疑いを抱かぬ者などいるのだろうか。武王の記述には、何故か曖昧とした点が多い。之は現政権が都合の悪いことをひた隠しにしているとしか、范雎には思えなかった。
あえて范雎は己の内に燻る疑念を秦王に告げた。今や秦王には、己しか味方はいない。微塵の警戒心もなく、秦王は口を開いた。
「母上の謀だったのです」
秦王の母。宣太后は自身の息子に王位を継がせる為、密かに私兵を蓄え、当時王であった武王を弑逆したのだという。
大方、予想通りの話であった。今は隠棲した身に近い、宣太后も長きに亘る間、垂簾政治を行ってきた。
「なるほど」
別段、嫌悪感なども抱くこともない。権謀術数渦巻く宮廷内での闘争など、どの時代、どの国でも同じような血腥いことが平然と行われている。
「白起も叔父も、当時兄上に仕えておりました。私は燕に人質として出されていた為、兄とは面識がありませんが、知る者は兄が生きていれば、今頃天下は治まっていただろうと口々に申します」
「武王は天下泰平の世を築くことを望んでおられ、武王の薫陶(くんとう)を受けた穣候と武安君は宿願を果たす為に奔走しているということですかな?」
「ええ。恐らく。叔父上はともかく、白起は私のことを大層憎んでいるはずです」
「故に早々に始末してしまいたいと」
再び秦王の眼に戦慄が走る。
「白起に牙を剥ければ、奴は刺し違えてでも、私を亡き者にしようと考えるはずです」
「ふぅむ」
考える素振りを見せる。実際、白起を内に抱えている危険性は理解できる。獅子身中の虫とは正に彼のことであろう。だが、彼には国家として理由価値がある。
病み衰え今や権勢だけが拠り所となっている魏冄とは違う。巧く遣えば、范雎自身が天下の王となる足掛かりを築いてくれる。今の范雎には天下を睥睨したいという強い想いがある。それは決して天下万民の為などではない。
己が天下を睥睨する、万乗の王となれば、己に非情な仕打ちを与えた天下へと復讐できる。いずれはこの愚鈍な王を弑逆し、己が秦の王位を奪い、天下へ号令する。やがて連綿と続く東周を滅ぼし、天子として立つ。
天子を弑して、己が帝として中国を治めれば、天譴思想は滅ぶ。天に叛心を抱く、己が帝となるのだ。其処には、古代から信じられていた天命などない。
不敵に笑む。覗く欠けた歯。
「大王様の苦衷はお察し致します。ですが武安君にはまだ利用価値があります。大王様とて、天下を切望されておられるはず」六国を滅ぼし、天下を治めることが叶えば、中国全土の金銀財宝と美女が、大王様の物となるのです」と付け加えてやると、秦王はあからさまに頬を上気させ、鼻の下を伸ばした。
「天下の足掛かりを築くには、軍神白起の存在は不可欠。故に武安君を始末するならば、足掛かりを得た後でも遅くはありますまい」
「だがー」
白起への恐怖。天下が齎すであろう、無限の豊穣が秦王の内にある矮小な天秤を揺らす。
「では、こう致しましょう。次の戦が武安君の最期の戦となる」
「白起の最期―」
「左様です。最期に相応しい大舞台を与えてやるのです。願わくば、穣候等を放逐して直ぐに舞台を整えてやるのが賢明です。大王様自ら勅命で出陣を命じ、武安君に反旗を翻す間も与えないことです。そして帰還後。充分に疲弊した武安君を討つ」
「で、できるのか!?」
范雎は綽綽とした表情で、恭しく頭を垂れる。
「私めにお任せください。必ずや大王様の悲願を果たして見せましょう」
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
黄金の檻の高貴な囚人
せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。
ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。
仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。
ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。
※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129
※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません
https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html
※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?
俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。
この他、
「新訳 零戦戦記」
「総統戦記」もよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる