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影王
九
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瀕死の状態にあった范雎を庇護してくれたのは、鄭安平という若者だった。
彼は武門の子で、宮廷内ではそれなりに名の知れた高貴な生まれである。面識は一度か二度。文官である須賈は、武官を目の敵にしていたので、話をする機会はなかった。鄭安平は襤褸のようになり意識を失った、范雎を館へ密かに連れ帰り、医者まで寄越してくれた。
彼は気持ちのいい爽やかな青年で、見返りも求めず、范雎を匿ってくれた。范雎は最良の友を得たのだ。
傷が癒えると、鄭安平は秦の謁者王稽と范雎を引き合わせた。この頃、范雎は張禄と名を変えている。綺麗に剃り上げていた髭も、咽仏の辺りまで蓄えている。折れた歯が良い働きをし、当時二十五歳であったが、相貌からとてもそう若くは見えない。四十代半ばがいい所だ。
王稽は賢者を求めていた。何やら秦では、秦王を蔑ろにし、外戚が力を振るっているのだという。彼は秦の現状に憂いていた。
范雎は王稽の内憂を吐き出せ、彼の意向に合わせるように、徹底的に秦王を取り巻く外戚を糾弾した。無論、自らの意志ではない。彼を遣い秦へと高飛びする為に、取り入ろうとしたのであろう。
王稽は大層范雎を気に入り、秦王へ引き合わせることを決めた。かつて范雎は秦を憎んでいた。だが今は秦への憎しみなど消え、矛先は魏斉と自らを貶めた須賈に向いている。
いや。それだけではない。只誠実に生きた己に讎を以って報いた、天まで憎んでいる。懸命に生きることに何の価値もない。この非情な世界で勝ち抜くには、権を欲しいままにし、弱者を圧倒するほどの富を得ることである。その為には何だってする。
他者を踏みにじり、天命を享けた王であろうとも利用してやる。
(魏斉、須賈。天よ。待っていろ。讎は讎で報いてやる)
双の眼に消えぬ、絶炎を灯し、范雎は秦の地へ足を踏み入れた。
彼は武門の子で、宮廷内ではそれなりに名の知れた高貴な生まれである。面識は一度か二度。文官である須賈は、武官を目の敵にしていたので、話をする機会はなかった。鄭安平は襤褸のようになり意識を失った、范雎を館へ密かに連れ帰り、医者まで寄越してくれた。
彼は気持ちのいい爽やかな青年で、見返りも求めず、范雎を匿ってくれた。范雎は最良の友を得たのだ。
傷が癒えると、鄭安平は秦の謁者王稽と范雎を引き合わせた。この頃、范雎は張禄と名を変えている。綺麗に剃り上げていた髭も、咽仏の辺りまで蓄えている。折れた歯が良い働きをし、当時二十五歳であったが、相貌からとてもそう若くは見えない。四十代半ばがいい所だ。
王稽は賢者を求めていた。何やら秦では、秦王を蔑ろにし、外戚が力を振るっているのだという。彼は秦の現状に憂いていた。
范雎は王稽の内憂を吐き出せ、彼の意向に合わせるように、徹底的に秦王を取り巻く外戚を糾弾した。無論、自らの意志ではない。彼を遣い秦へと高飛びする為に、取り入ろうとしたのであろう。
王稽は大層范雎を気に入り、秦王へ引き合わせることを決めた。かつて范雎は秦を憎んでいた。だが今は秦への憎しみなど消え、矛先は魏斉と自らを貶めた須賈に向いている。
いや。それだけではない。只誠実に生きた己に讎を以って報いた、天まで憎んでいる。懸命に生きることに何の価値もない。この非情な世界で勝ち抜くには、権を欲しいままにし、弱者を圧倒するほどの富を得ることである。その為には何だってする。
他者を踏みにじり、天命を享けた王であろうとも利用してやる。
(魏斉、須賈。天よ。待っていろ。讎は讎で報いてやる)
双の眼に消えぬ、絶炎を灯し、范雎は秦の地へ足を踏み入れた。
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また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。
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