白狼 白起伝

松井暁彦

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澱み

 二十三

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 秦の本隊が到着すると共に、統率を失った趙軍は瓦解。併せて魏軍の混乱が生じる。秦軍が趙軍を押し込んだのを見遣って、籠城していた韓軍が討って出る。韓と秦の猛攻に晒され、魏は早々に引き揚げる。
 
 だが、魏を逃がす気は白起にない。胡傷と公孫胡易に八万の兵を与え、逃走した魏軍の後を追わせた。
 
 その数日後、魏領のかん蔡陽さいよう長社ちょうしゃで魏軍を討ち破ったという報せが入る。しかし、魏の総大将である芒卯は任を放棄して、何処かに行方を晦まし、それきり消息は掴めなかった。
 
 戦は秦と韓の勝利に終わったが、犠牲は大きかった。白起麾下の一万からなる天狼隊は凡そ七千を失った。また古参の将校であった、李莞りかんが重傷を負い、終戦後二日後に死んだ。
 
 彼の亡骸を目の当りにした、義父王齕と王騎はさめざめと涙を流していた。総帥の白起は、彼の額に掌をあて、祈るように瞼を閉じていた。李莞にながの別れを告げる、白起を見守るように傍らで控える王翦を呼ばわる声がした。

「翦‼」
 杖を放りだし、眼に涙を湛えて駆けてくる父魏冄の姿があった。

「魏冄殿‼」
 言い終わる前に、父の細い躰が王翦の躰を包んだ。

「良かった。無事で」
 父の声は震えていた。気が付くと父の躰に縋り、涙を流している自分がいた。

「お前を失えばー。わしは生きて行けぬ」
 温もりがあった。之が父の温もり。

「父上」
 人目を憚ることなく、父子は暫くの間、抱擁を交わした。
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