白狼 白起伝

松井暁彦

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燻り

 五

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 己同様に奢侈の限りを尽くし、若い男の躰を貪り食う毎日で明晰であった思考力は奪われていた。久方ぶりに再会した母の姿は酷く醜いものなっていた。荒淫からなる寝不足により肌は黒ずみ、眼の下の隈は濃く、眼窩は落ち窪み、飽食によって四肢に蓄えられた脂肪が家畜を想起させた。
 
 母は五十を超えた頃から館に引き篭もるようになり、宮廷に顔を出すことも極端に減っていた。また情夫である、義渠ぎきょ戒王かいおうの間に子供ももうけていたが、母が毎日のように館に送られてくる若い男に溺れるようになってからは、二人の関係も冷え切ったものに変わっていた。
 
 だが、現状で頼れるのは太后である母しか居なかった。太后が蹶起けっきすれば、盛り返せる望みもある。

「母上‼白起は王座の簒奪を目論んでいます‼」
 母の寝所に通されると、涙目で寝台の上に座り込む母に訴えた。豪奢な金の絹の装束を纏った母であったが、醜い老婆と成り果てた今となっては、豚に着せているも同然だった。母は一部始終呆けたような顔をしており、虚ろな眼をゆっくりと息子へと向けた。

「あの白起が。まさかー。あれほど妾に従順な臣下は他におらぬわ」

「は?」
 耳を疑った。

「何を申されるのです!白起が従順な臣下など」
 かっと母が眼を剥いた。徐に立ち上がり、嬴稷のたるんだ頬を力いっぱい打った。

「母上―。何を!?」

「今すぐ出て行け!この馬鹿息子!」
 鬼の形相で追い立てられ這這の態で館から逃げ出した。後で分かったことだが、母の館に毎日絶えることなく男娼を送り込んでいたのは白起だった。

まるで秦の穆公ぼくこうが当時覇を競い合っていた、じゅう(遊牧民族)の王に女楽うたいめ十六人を送り堕落させたように。
 
 疑念から確信に変わった。白起は叔父魏冄を王として擁立しようとしている。そして、白起は狡猾かつ周到に数年前から外堀から埋め始めていたのだ。

王の居室に幼馴染で良き理解者である、向寿を密かに呼び寄せた。
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