白狼 白起伝

松井暁彦

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燻り

 二

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 後日明らかになったことだが、楽毅は斉包囲戦の最中趙へと出奔していた。というのも、斉包囲戦が継続される中、楽毅を信頼し寵愛していた燕王(昭王)が薨去こうきょした。
 
 代わって太子であった戎人じゅうと(後の恵王)が践祚した。新たに燕王として玉座に就いた戎人は、先王より実の息子以上に可愛がられていた楽毅を快く思っていなかった。燕国内での楽毅の声望は、彼が羇旅きりょの人であるに関わらず王を凌ぐほどであった。

 田単は斉に以前から間諜を潜ませており、即位したばかりの燕王が楽毅を嫌っているのを知っていた。田単は間者を燕王に近づけ、耳語させた。
 
楽毅が斉の残り二城の攻略に数年費やしているのは、長きに亘る遠征費で燕の国力を削ぎ、疲弊した後に、南面して斉の王となる野心があるからであると。
 
 白起は楽毅の人なりを知っている。犬猿の仲であるが、彼は生来からの戦士である。貪官汚吏どんかんおりのような賤しい野心は微塵も抱かない男だ。
 
 だが楽毅を疎ましく思っていた燕王は、田単によって齎された偽の情報を盲信し、楽毅を都へと召喚した。新たに斉包囲戦の指揮官として派遣されたのが、燕王子飼いの軍人騎劫ききようである。楽毅も莫迦ではない。燕王はあらぬ嫌疑で楽毅を処断するつもりであろうことは見抜いていた。

  故に楽毅は旧友を頼って趙へと出奔したのである。そして肝心の斉包囲戦では、詭計により楽毅の排除に成功した田単が総力戦を仕掛け、燕軍を悉く敗走させた。結局の所、燕軍が楽毅の存在無しでは成り立たなかったということだ。領土を回復させ都まで取り返した斉は、斉王を都へ入れ再び戦国七雄へと返り咲いた。
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