白狼 白起伝

松井暁彦

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光輝の兆し

 十六

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 支流に沿って張られた野営地は質素なものだが、軍の総帥である白起には専用の大幕舎が張られる。将軍位の者は天幕を。後の者は一様に野天で寝る。

「大将軍にお目通り願いたいと申す、怪しげな商人が野営地の前をうろついているのですが」若い兵士が困り顔で指示を仰ぐ。

「俺に商人の知り合いなどおらん」
 時刻は未明。わざわざ未明に訪ねてくる商人など如何にも怪しげだ。

「商人は奇妙なことを申しておりました。韓の冥山で鍛えられた剣がもう一本、自分の手元にあると伝えてもらえれば全て分かると」
 胡床に落ち着かせていた躰が浮かび上がる。

「男がそう言ったのか?」
 白起の反応を見て取って、若い兵士が怪訝な表情を浮かべる。

「はい。確かに。ですが、其れが何か?」

「通せ」

「承知しました」
 短い逡巡の後、兵士は退出し、入れ替わるように風貌立派な男がやってきた。

「白起大将軍。このようなお時間にー」
 ゆったりとした所作で、慣例通りの謝辞を慇懃いんぎんに述べようとする若い商人の言葉を手で遮った。

「退屈な挨拶など抜きだ。お前の名は」

「呂不韋と申します。大将軍。いや、今は武安君と御呼びした方が宜しいかな」
 福福とした満腔まんこうの笑みを呂不韋は浮かべる。

「なるほど。人当たりの良さそうな男だな。だが、俺の前でつまらぬ芝居はよせ。生皮ごと取り繕った仮面を引き剝がしてやるぞ」
 白起には分かる。一見して人畜無害そうな男だが、岩のように大きな巨眼の奥には、深遠と続く欲望の渦が渦巻いている。

「商人とは人と人との横の繋がりが重要でしてね。他者との繋がりを得る上で、最も頼りとなる武器が笑みなのですがー。武安君には通じぬようですが」
 福福とした笑みが引いていく。入れ代わりに呂不韋は虚無を体現したような無表情で白起を見た。彼はただ眼の前に佇んでいるだけだが、ぞっとする圧力を放ってくる。
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