白狼 白起伝

松井暁彦

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合従軍戦 弐

 六

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 廉頗は斉水の渡河を終え趙軍十万を率いて東進した。既に戦端は開かれ、燕軍二十万を率いる楽毅が一気呵成いっきかせいに斉軍を押し込んでいく。
数として軍が合従軍が圧倒的に優勢。だが斉軍は地の利を得ている。更に斉軍は隆盛期と断言して良いほどの練度を誇っている。

 斉は孫武そんぶの子孫である、孫臏そんびんの薫陶を受けた兵家が未だ多く存在する。また孫臏が斉に仕えた頃より、の数を充実させている。保有数ではいえば、戦国七雄随一と断言できるだろう。

 斉王は、狷介孤高な王であるが凡愚ではない。軍事力は屈指である。それでも楽毅は精強な斉軍を鬼神の如き強さで撃ち払った。先行して次々に城邑を陥落させ、泰山たいざんに至る頃には約三十城を奪った。何より楽毅の宣撫は見事だった。斉の民は徹底して保護し、民に対する狼藉を決して看過はしなかった。更に投降兵は手厚く迎え入れ、瞬く間に連合軍の戦力と変えた。

元々、楽毅は殺戮を好まない清廉の勇士である。また斉の民には、斉王に反心を抱いている者も多かった。最大の功労者である孟嘗君の暗殺を画策し、孟嘗君を失ってからは政治が乱れ、斉王は奢侈を尽くすようになり民は重税に喘いだ。合従軍総大将楽毅が清廉の勇士であることはすぐさま斉全土に轟いた。民は進んで心服を選び、抵抗なく開城した城邑も相当数であった。
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