白狼 白起伝

松井暁彦

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雄飛

 二十一 

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「まさかお前と共闘することになるとはな。白き魔人」
 唐突に背後から声を掛けられ振り返ると、其処には二人の男が立っていた。声を掛けたのは、艶のある黒い髭を頬まで蓄えた偉丈夫。彼は豊かな髭の隙間から浮くように光る白い歯を覗かせた。彼に並んで立つ精悍な顔をした青年は、刃のように鋭い細長い眼を向けてくる。

「お前達は?」
 覚えがある気がする。何より二人から漏れ出している気は、肌にいぼが立つほどに鋭利で清廉されている。

「はは。負け知らず常勝将軍となれば、いちいち刃を交えた男達の顔など覚えておらんか」
 茶化すように黒い髭の男が嗤う。嫌味はない。屈託のない男である。

「俺は趙の廉頗れんぱだ」
 黒髭が名乗る。そして傍らの男を肘で小突く。

「かつては趙にいた。今は燕の楽毅がくきだ」
 憮然ぶぜんと楽毅が華やぎのある顔を歪め告げる。

「あの時の」
 孟嘗君率いる斉を骨子とした合従軍が函谷関まで迫った時、白起と刃を交えた強者だった。

「思い出したか。あの時はお前にいいようやられた。あの頃のお前は餓鬼だった。彗星のように現れた無名の餓鬼に、俺達の誇りは蹂躙されたのさ」
 廉頗はまるで他人事のように豪快に笑った。

「お前は俺の強弓を射返した」

「だが外した」

「俺の強弓を射返すものなど、この世にいないと思っていた」

「傲慢な野郎だな」
 楽毅が舌を打ち、剣呑な気配を放ちつつ言った。

「おいおい。楽毅。そう敵意を剥き出しにするな。少なくとも今の俺達は味方だ」

「ふん。何が味方だ。お前も知っているだろ。こいつは血も涙もない魔人だ。こいつの足元には、数十万の罪もない人々の屍が堆く積み重なっている」

「戦乱の世で殺人の罪を俺に問うのか。随分と殊勝の心がけだな。得物を手にした敵兵は幾ら屠っても構わないが、恐怖に竦み、得物を放擲ほうてきし戦う事をやめた臆病者は殺してはならないというのか」白起と楽毅が睨み合う。

「戦とは畢境、殺し合いだ。だが、戦にも道理はある。戦理に基わぬ、戦などただの虐殺だ」

「ふん。燕の英雄がこれほどお人好しとは。敵に善導感化ぜんどうかんかを促すつもりか。投降兵など所詮は裏切り者。機があれば必ず寝返ろうとする。俺は禍根を断っているだけだ。偽善は更なる戦乱を呼び起こす。必要とあれば無辜むこの民といえど、俺は何百万と首を刎ねるさ」

「大地を血で染め上げる気か」
 楽毅は忿怒ふんぬを露わにし、今にも掴みかかりそうな勢いである。

「言ったはずだ。必要なら万斛ばんこくの血を流すことも厭わない」

「そうやって全ての国を力で滅ぼすつもりか」

「そうだ。全てを滅ぼすまで俺は止まらない。お前達の息の根も。お前達の国も灰燼と帰してやる」

「貴様‼」
 胸倉を掴もうとする楽毅を廉頗が間に入ってとりなす。

「今すぐここで叩き斬ってやる‼」
 楽毅の手には佩剣の柄にある。

「あの時のように返り討ちにしてやる」

「この野郎‼」
 怒声が轟き周囲には黒山が成している。

「よせ。お前の気持ちは分かる。でも、今は俺達が揉めている場合じゃない」

「その通りだ」
 黒山を割ったのは、馴染みのある声だった。

「久しいな。白起」
 悠揚と現れたのは斉王の裏切りによって、魏へと出奔した孟嘗君田文もうしょうくんでんぶんだった。
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