白狼 白起伝

松井暁彦

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雄飛

 十六

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 不安が濃くなり、地図を丸めて閉じようとした矢先である。扉が勢いよく開いた。

「何事だ?」
 臣下の一人が血相を変えて、飛び込んできた。

「宋が斉に滅ぼされました」

「宋が滅びただと?」
 確かに宋は並び立つ諸国の中では楚・斉・魏などの大国に挟まれた不遇の土地柄、宋は僅かな領土しか持たない小国だった。また、宋王えん康王こうおう)の暴政は西地の秦にも轟いている。そもそも宋王は、正当な王位継承者であった兄に叛旗を翻し王位を簒奪した、悪王である。

 王となり間も無く、宋王は国内が飢饉に喘ぐにも関わらず軍を出師し、長年圧力をかけ続けられていた斉・魏に恨みを晴らすかのように侵攻し、三百里の地を得た。この件により斉・魏と宋との関係は著しく悪化した。
無謀ともいえる大国を相手の戦に勝利したことで、康王は簒奪者としてではなく、正当の王としての威名を国内に轟かせた。しかし、康王は王として持ち合わせてはならない残虐性を備えていた。
 
 内政では天地を祀る祠を灰燼かいじんと帰し、気に入った女が臣下の妻ならば、臣下を躊躇なく殺した後に、亭主の遺体の眼の前で妻を犯した。酒を好み宮廷に酒池肉林を顕現させた。宋国内の国庫は、康王の奢侈しゃしにより尽きかけ、不足を補う為に民は重税に喘いだ。
 康王の暴政に我慢ならず諫める臣下があれば、康王は彼等を文字通りの八つ裂きに処した。残虐非道な悪政によって、同じく夏の時代に悪政を布いたけつになぞらえて、宋王は宋の桀と評されるようになった。

 斉には明晰かつ義侠心ぎきょうしんの強い孟嘗君もうしょうくんがいる。幾ら敵国であるとは言え、宋王の蛮行を見てみぬふりはできないだろう。

「斉の孟嘗君が発起人となり、魏・楚を与国として攻め滅ぼしたようです」
 臣下は思案に耽る、魏冄の表情を窺いながら続けた。

「やはりか。ならば斉は宋を併呑したのであろうな」

「はい。宋の民は桀王の悪政に苦しんでいたこともあり、抵抗することもなく、斉に心服したようです。一応の形として宋の領土は、魏と楚にも割譲されたようですが、魏と楚に割譲されたのは包囲百里余りと僅かな土地に過ぎません」


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