白狼 白起伝

松井暁彦

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雄飛

 十五

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 西帝と東帝が宗室の威光を無視し、顕現したのも束の間だった。斉の湣王は蘇代そだいという遊説家の諫言により帝号を廃した。恐らく蘇代には、斉と秦を対立させる目論見があったのだろう。斉が帝を号さない以上、秦も帝を号することはできない。嬴稷は潮垂れた子供のように、帝位を破棄した。
 
 同年、しょくに封じていた任鄙にんぴが病で死んだ。彼もまた武王に拾われた孤児の一人であった。任鄙は魏冄とそう歳も離れていない。死は常に影に身を潜め、豺狼さいろうのように狡猾に機会を窺っているのだ。快癒へ向かった胃がまたしてもきりきりと不吉な音を立て痛み始めた。

 焦燥に駆られたまま、魏への侵攻を開始した。軍の指揮を命じたのは司馬錯しばさく。老将であるが積み上げてきた経験値は相当なもので、魏冄にとって白起の次に信任できる軍人である。
 
 司馬錯は魏の河内かだいを攻めた。悉く河内の地を攻略し、魏は軍の撤退の要求と共に、安邑あんゆうの地の地を秦に献じた。
 
 魏は蓄えていた贅肉を悉くそぎ落とされ、今や骨と皮のだけの状態になったといっても過言ではない。魏冄は卓の上に広げた帛の地図を静かに眺めた。隣接する魏の領土は抉られたように、大きな風穴が空いている。それでも依然として、秦を取り巻く情況に大きな変化はない。

魏・韓・宋・楚・趙・燕・斉がある。近年でいえば、中山国が趙と斉の侵攻を受け、趙に併呑されているが、大きな変化といえるのもその程度だろう。天下は遠い。茫洋としていたものが一歩一歩を近づくたびに、目指すべき地の全貌が澄明になる。如何に遠く寥郭りょうかくたるものなのか。そもそも階の先にある宿願は、人が触れて良いものなのか。無限に続く階。漠然とした不安が胸中に蟠る。

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