白狼 白起伝

松井暁彦

文字の大きさ
上 下
129 / 336
雄飛

 十一

しおりを挟む
 白起は久方ぶりに相府を訪れた。

「来たか」
 相府の執務室では、相国として返り咲いた魏冄が待っていた。鼻歌まじりで束ねた髪にかんざしを差す。瀟洒しょうしゃな装束を纏った、魏冄は悠揚と椅子に腰を下ろした。

 疑念が渦巻いている。どのようにして、無位無官の身となった、魏冄が燭寿を蹴落とし相国に返り咲いたのか。明らかに魏冄の洛陽行きが起因しているが、白起には五里霧中ごりむちゅうである。

「気になるか?」
 懐かしむように竹簡と墨の匂いが漂う無機質な空間を見渡すと問うた。
 首肯で返す。

「天子に会ったよ」

「だろうな」

「韓領にある穣という土地を知っているか?」
 穣は韓領にあり、韓に重要な拠点となりうる肥沃な大地を有する領土である。近年、秦が攻め一度奪っているが猛烈な韓の反撃の末、再び韓領に戻っている。しかし、穣の地を渇望するのは秦だけでなく,楚も虎視眈々と狙っており、穣周辺では絶えず小競り合いが勃発している。
 
 白起の答えを待たず、魏冄は続ける。

「穣一帯の複雑な情況はお前も理解しているようだな。穣は韓にとって、重要な拠点に成り得る訳だが、秦と楚と距離が近いばかりに繰り返し侵されている。韓は何として、穣を守り抜きたい訳だが、宗室にとってはそうではない。俺は天子とやらに会ったと言ったな。単刀直入に言おう。謁見して思った。天子など糞くらえだと。最早、宗室の威厳などありはしない。宗室は七国の脅威に怯える、臆病者の巣窟だ。いや、七国の朝貢を活計たっきとしている以上、更に太刀が悪い」
 憚らず宗室を悪罵あくばする、魏冄の表情は嬴稷を悪罵する時と同様のものだ。最大限の嫌悪感が含まれている。

「俺は天子に交換条件を提示した。穣の地を俺に与えれば一帯を秦が宣撫し、決して宗室に匕首あいくちを向けず、楚の侵攻からも宗室を守ってみせると。つまり、穣の地と引き換えに宗室の安寧を守ってやると、天子に提示した。張りぼての威厳を振りかざして飛びついてきたよ」
 なるほど。魏冄は舌峰の鋭さのみで、宗室から穣の地を勝ち取った訳か。確かに七雄の脅威に怯える宗室からすれば、強秦が守護を確約してくれるのだから承諾する理由も分かる。
しかし、この群雄割拠で反故にされない盟約などあるのだろうか。宗室の腐敗とは言い得て妙だ。宗室は己達を取り巻く現状を遥か異国の地の出来事のように傍観しているのだろう。連綿と受け継がれてきた、天子を戴く万乗ばんじょうの大国に実際の所、戦火は届かぬと。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

皇国の栄光

ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。 日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。 激動の昭和時代。 皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか? それとも47の星が照らす夜だろうか? 趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。 こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです

【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?

俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。 この他、 「新訳 零戦戦記」 「総統戦記」もよろしくお願いします。

日は沈まず

ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。 また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

奇妙丸

0002
歴史・時代
信忠が本能寺の変から甲州征伐の前に戻り歴史を変えていく。登場人物の名前は通称、時には新しい名前、また年月日は現代のものに。if満載、本能寺の変は黒幕説、作者のご都合主義のお話。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

処理中です...