白狼 白起伝

松井暁彦

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合従軍戦

 二十

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 間違っていた。白起が引き出した力は、死の淵に立って引き出されるものではない。
 生来から、天によって与えられた特別な力。故にまだ、奴は更に向こう側の領域に踏み込んだ。
 
 眼光の尾が走る。後を追う、銀刃の光。
 死―。刃が迫る。瞬間―。ありえないことが起こった。
 
 白起が膝から崩れ落ちていく。地に両手をついた、白起の顔は死人のように蒼褪め、呼吸は荒く、頬を濡らすほどの汗を流していた。

「どうなっている」
 白起は訥々とつとつと、己に問い駆けるように呟いた。
 咄嗟に理解した。白起は人の器を超える力を引き出し、結果―。躰が悲鳴を上げ、その機能を停止させた。

(今なら首を奪える)
 だが、悲しき哉、廉頗、楽毅も限界を越えていた。最早、剣を執る力も残されていない。

「今ここでー。お前の首を」
 楽毅が地に転がる剣を執ろうと、手を伸ばす。しかし、彼は仰向けに倒れ、気を失った。二人とも血を失い過ぎていた。

「白起よ。口惜しいが、今日はここまでだ」

「黙れ。お前等、二人の首は俺が」
 白起は立ち上がろうとするが、赤子のようにうつ伏せに倒れた。

「滑稽な姿だな、白起。しかし、お前にとどめを刺してやれるだけの力は、俺にはない。麾下にやらせるのは、ちと違うしな。それは、お前とて同じだろ」
 白起は答えなかった。奴には武人としての誇りはあるようだ。

「次は生きて帰れると思うなよ」
 呻くような声で、砂を握りしめ、白起は悔しそうに言った。

「へっ。それはこっちの台詞だ」
 廉頗は麾下に命じて、気を失った楽毅を、馬の背に乗せさせた。

「じゃあな。白き狼。いずれ戦場で」

「必ず殺してやるからな。でかぶつ」

「可愛げのない餓鬼だぜ。あばよ」

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