白狼 白起伝

松井暁彦

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銀の誓い

 六

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「本題に戻りましょう。坊やに妾は殺せない。守り手として妾の側に常に、かつての義渠の戦士が控えている」
 合点がいった。言葉の鈍り。そして、彼から漂う腥い臭気。同じな訳だ。

「義渠だと」
「こいつは義渠の王の子の一人だ。つまり、秦に入れられた質子ちしさ」
 魏冄が加える。

「なるほど。魂を秦に売り、あの年増にかどわかされた売国奴という訳か」
 年嵩の男女が、目顔で熱い相槌を打つ。女を知らない白起でも分かる。二人は私通している。故にこの男は、重用され続けているのだろう。
 
 白は戒王を煽るように貶めたつもりであったが、戒王は涼しい表情を保っている。だが、彼が纏う強戦士のそれだ。義渠に限らず、遊牧民は何よりも強きを尊ぶ。王の一族も同様に、強くなければ、数多の部族を服従させることはできない。刹那の間で、己の剣を奪ってみせた手際といい、この男の強さは相当なものだ。

「そして妾に手を出せば、坊やとお仲間の首も飛ぶ。武王が偽善で囲っていた孤児達の首もね」

「脅しのつもりか」

「そうかしら」
 ぱんっと、掌を打った扇が乾いた音を立てる。

「少なくとも、坊やは以前のような勝手は許されない」

「俺の何を知っている。おばさん」
 陶器に皹が入るように、宣太后の眉間に亀裂が刻まれる。

「口の減らない餓鬼だね」

「それがあんたの本性か」
 したりと白起は嗤う。

「仲間の命が惜しいなら、それ以上汚い口を開らかないことね」

「母上。こいつ生意気だよ。さっさと首を刎ねてしまおうよ」
 嬴稷がだだをこねる、童のように玉座で上体だけを跳ねさせた・

「ああ。私の愛おしい子」と言って、宣太后は我が子の頬に手をあてると、情夫じょうふに行う所作で愛撫した。とろんと目尻が下がり、嬴稷は恍惚とした表情を浮かべた。

「それはできないの。生まれは賤しくともこの坊やには力がある。貴方を敵の手から守る力が」

「必要ないよ。母上と戒王がいるじゃないか」
 

「もう貴方は王なのよ。敵は貴方の想像より遥かに多い。李順が千軍万馬の猛者であっても限界がある。信頼できる守り手が必要なの」

「嫌だよ。奴隷上がりの餓鬼なんて信頼できる訳ない」


「俺も乳離れも出来ていない、馬鹿餓鬼のお守りなんて御免だね」

「貴様‼」
 白面を棗色に染め上げた、嬴稷は怫然と立ち上がり、拳を振り上げた。

「よさんか‼」
 堪えろと魏冄の眼が訴えかけてくる。
(お前は、俺を敵の元へ連れて行くといった。そして眼の前にいる奴等は、大王様を死に追いやった敵だ)
 眼で反駁すると、魏冄は真一文字に唇を結び、静かに頷いた。

「後で説明してもらうからな」

「分かっている」
 囁き合い、湧き上がる黒い感情をぐっと飲み込んだ。

「大丈夫よ。あの坊やは貴方の狗なの。命に代えて、貴方を守ってくれるわ。妾の刺客から、武王を守ったようにね」
 邪悪な女だと思った。表情は絶えず動く。表面上は華やかだ。だが、聡い白起には無数の蟲が蠢動しゅんどうを繰り返しているよう見える。

「太后の聖言は、大王の王命と思い定めなさい。布衣の白起。今日より王の近衛に命じます。命に代えても、大王の御身を御守りしなさい」
 魏冄が深々と拝礼する傍らで、白起は暗然と色濃い瘴気を纏う、宣太后を殺意がこもった眼で睨み付けた。

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