白狼 白起伝

松井暁彦

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銀の誓い

 一

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「糞塗れだな」
 獄舎の檻に放り込まれた、はくは気怠そうに頭を擡げた。透き通るほどに美しかった白髪は、埃や自らの糞尿に塗れ、薄汚れて鼻を覆いたくなるほどの臭気を放っている。

「あんたか」
 空疎な眼だ。白濁した眸は、鉄柵越しの魏冄ぎぜんを捉えているようで捉えていない。

「あんたが王を嵌めたのか?」
 虚ろな声には責難するような棘はない。

「そう思うか?」

「なら、何故あんたはそちら側にいる」
 白は汚穢おわいで濡れるせんの床で輾転てんてんと寝返りを打ち、背を向けた。

「白。釈放だ」

「放っといてくれ」

「汚穢に塗れて、孤独に死ぬつもりか」

「言っただろ。人の死に様など無様なものだと。俺には似合いの死に場所だ」
 丸まった白の背は、一段と細く小さく見えた。

「大王様はお前に名を与えた」

「・・・・・・・」

「遺書を遺しておられた。何故、お前の名が起と定められたのか、記されていたよ」
 白はまだ背を向けている。

「大王様はお前に生きる意味を見出して欲しかったのさ。例え、主に降りかかる艱難を払う剣としての人生だとしても。其処には意味があると。大王様の言葉を覚えているか?」
 声が上擦っていた。魏冄によって、嬴蕩えいとうは兄のようなものであった。思慕の念は実の姉より強い。今でも自分を責め続けている。敬愛する嬴蕩を謀略によって、死に追い込んだのは、血の繋がった姉なのである。

「お前の人としての物語は始まったばかりだ」
 不意に背を向けた白が、訥々と語った。

「ああ。その通りだ。大王様はお前に獣としてではなく、人として生きてもらいたかったのだ。だからこそ、お前に人としての名を与えた」

「だがもう終わった」

「まだ終わっていない。大王様に夢を託された俺達がいる。俺達が大王様の夢を実現させるのだ」
 一度だけ、白の足先が動いた気がした。

「俺の役目は終わった」

「いいや。まだだ。お前には役割が残されている」
 むくりと起き上がり、鉄柵越しに初めて顔を此方に向けた。松明の灯りだけが頼りの薄暗い檻の中で、銀の眸が真円となる。

「諸候を滅ぼし、お前と共に天下統一への道を切り拓く。そして、顕現させる。大王様が夢に見た、泰平の世を」

「泰平の世―」
 色を失くした唇が小さく動く。

「ああ。大王様は、お前の剣に夢を託したのだ」
 白は自分の震える掌を一心に見つめている。

「生きろ、白起はくき。俺とお前でこの腐った世界を断ち切ってやろう」
 白起が面を上げた。薄汚れている。だが、彼からは生きようとする活力が漲っていた。

 そして、彼は真剣な表情で問うた。

「天下の極悪人になる覚悟はあるか」と。
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