白狼 白起伝

松井暁彦

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王の誕生

 三

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 両者は足を止めた。女から馥郁ふくいくとした香の臭気が漂う。女が纏う赤地に金の刺繍が施された、豪奢な装束は嬴蕩に負けず劣らず華やかなものだった。

「東宮」
 流れるような所作で女は頭を垂れた。

「姫様」
 張儀の時のように冷たい声ではなかったが、感情は伴っていなかった。

「姉上」
 魏冄が女に深く頭を下げる。

「あらま、冄。息災で」

「ええ。姉上も」
 白は二人の相貌を見比べたが、兄妹にしては似ていないと思った。

「大王様の容態は、よろしくないわね。医者は今日が峠だと」
 言葉とは裏腹に、女から溌剌とした気配が漂っている。唐突に女の真円の眸が白を捉えた。舐めるような視線に痛痒を覚える。

「あら。東宮はいよいよ、図体ばかり大きい男達の味に飽きたのかしら」
 嬴蕩が冷めた眼を向ける。

「そうよね。何時もの御連れは汗臭くして仕方ないもの」

「姉上。それ以上は」
 脂汗を顔中に滲ませ、魏冄が消え入りそうな声で告げる。

「兄弟への冒涜は看過できませんね」

「ご気分を害されたならごめんなさい。悪き気はなかったのよ」
 ほほと白々しく女は、手に持つ扇で煽る。

「俺は親父殿のように甘くないですよ。例え寵姫であろうと、罪があれば法に照らし罰する」
 白から嬴蕩の背しか視えない。それでも彼が言外に怒気を含ませているのが分かる。


「貴方に王が務まるかしら」
「心配ご無用。俺は優れた王になりますよ。真の意味で、天地に静謐せいひつを齎す、唯一無二の王に」

「おお。怖い。それは周宗室すらも併呑するということかしら」

「ご名答。周宗室など、ただのお飾りに過ぎないのですから」

「では、東宮の治世が未来永劫と続くことを祈念していますよ」

「それはどうも」
 慇懃いんぎんなやり取りであるが、二人の間には視えない火花が飛び散っている。

「失礼」
 女は軽く会釈すると、女官を連れて歩み去る。その最中、擦れ違った魏冄と白に囁いた。

「貴方達。今の内に主君と仰ぐ者を再考しておくことね」
 馥郁とした香気だけを残して、女官達は消えた。見遣った魏冄の眼は昏い。

「お前達はここで待て」
 重苦しい雰囲気漂う回廊に、白と魏冄を残し、嬴蕩は突き当りにある扉を開き、中へと身を滑り込ませた。

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