白狼 白起伝

松井暁彦

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序章

 二

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 蘇秦の活躍により、一度は対強秦に向けて、足並みを揃えた六国であるが、舌峰ぜつぼう鋭き張儀の擡頭だいとうと、秦の個別撃破策により、再び六国は取り合った手を解いた。

 歴代秦王の双眸は、天下に向いていた。
 いや。その実―。戦国七雄せんごくしちゆうと呼ばれる、巨大領域国家(楚・魏・斉・韓・趙・燕・秦)その全てが中原を始めとする、中華の全てを掌中に治めようと、虎視眈々と天下を狙っている。
 
 だが、数百年に亘って存続し続ける、東周の存在がある限り、その威光を完全に無視する訳にはいかない。故に、朝廷を第一とする、迂遠な戦いが幾星霜とも続いている。

 しかし、現今の朝廷は斜陽にある。三晋さんしん(韓・魏・趙が晋から派生した国からそう呼ぶ)の竜飛をさきがけとし、山東地方にある斉の躍進。そして、中原諸国に西方の蛮夷ばんいと卑下され続けてきた秦の雄飛が、周の権威に傷を付けた。

 今や東周は尾羽打ち枯らし、盛時の輝きで朝廷の形を保っているといってもいい。だが秦王は昔日の威光を、笠に着るだけの周宗室を本気で滅ぼそうと考えていた。

 しかし、障碍は果てしない。秦が朝廷に牙を剥ければ、秦の擡頭を快く思わない、諸国が官軍の旌旗せいきを掲げ、大義名分のもと合従し大軍勢を差し向けるだろう。合従軍の脅威は、恵文王の骨髄に至るまで沁みている。
 しかし、今上の恵文王は恐怖に慄然りつぜんとし、天下から眼を背けることはしなかった。天下を得ることー。即ちそれこそが恵文王の悲願なのである。

 夢を語る恵文王は、無垢な童のようであったが、政務、軍事に於いては苛烈な男であった。六か国連合が函谷関に迫った時には自らが督戦とくせんし、合従軍を撃破した後には、敵兵八万の首を斬った。 烈火の如き激しさを秘め、底知れぬ野心を内に抱いた王であるが、魏冄は義兄にあたる、恵文王を心から敬愛していた。
 
 恵文王は異父同母の姉を寵姫としている。姉の羋月びげつは自身の子である公子稷こうししょくが太子として、冊立されなかったことに憤りを感じているようだが、魏冄は姉の激情に同調することはなかった。
 
 太子として冊立された、嬴蕩には恵文王の血と魂が強く濃く受け継がれている。思慮の浅い所が多々見受けられるものの、立場が太子を何れ、成長させるものと踏んでいる。

 恵文王は今、病臥びょうがにある。医者の話ではもう長くはないらしい。
 年内で嬴蕩は正式に、王として践祚せんそするだろう。そして、国の混乱に乗じて、鎬を削り合う、諸国が胡乱うろんな動きを見せるはずだ。
 
 だが、不思議と憂いはない。何れ王となる若き猛者からは、豁然かつぜんとした王者の匂いが立ち込めている。
 何時しか、秦王が語る夢は魏冄の夢となっていた。思慕する王の現状に哀しみは覚えていれど、志を同じくする、太子の存在が萎えそうになる、心を奮い立たせてくれる。

 若き魏冄の脳裏には、蒼き夢が拡がっている。瞼を閉じれば、見える。英邁えいまいな太子が王となり、秦の黒旗を携え、諸侯を屈服させる光景が。そして、万民は漆黒の旌旗の元で、安寧を謳歌できるのだ。



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