国殤(こくしょう)

松井暁彦

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五章 陥穽

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 夜が明けても、雨がまだ勢いよく降り続いていた。

「そろそろか」
 まんじりもせず、暁を迎えた、王翦だが気分が頗る良かった。

 しんだいから起き上がり、具足の胸の風穴に触れる。もう過去の戦を回顧することはしない。宿敵は眼前におり、すぐに雪辱を晴らすことができる。まだ暗がりが残る、幕舎の中に、風が通った。

「黒華の者か」

「はい」
 いつの間にか、眼の前に黒衣の男が膝をついている。

「どうだ?」

「朱方は二万騎を率いて、北三里の位置まで迫っております」

「ほう。いよいよだな」
 王翦は込み上げて来る、笑みを噛み殺した。

「金子で雇った三人の楚人ですが、朱方に斬り殺されてしまいました」
 言った男の声には、抑揚がなく、極めて冷淡であった。

「構わん。金子の為に、我等に付いたような賤しい輩達だ。どうでもよい」
 男はちらりと、王翦を一瞥した。

 金子を無心している時の仕草である。虫唾が走ったが、冷静に「息子を訪ねよ」とだけ告げ、さがるように命じた。黒華の男が、足音もなく消える。

「さぁ、項燕よ。老いた竜は、我が陥穽かんせいから抜け出すことができるかな」
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