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奪取
四
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蒼白い顔をした魏竜が、鞍上で戦況を見守る、楽毅のもとに馬を寄せた。
「どうした?」
魏竜の様子は尋常ではない。色のよい唇は、色を失くしている。
「手の者から急遽報せが届いた。楽毅、今すぐ此処を離れた方がいい」
楽毅は鼻を鳴らした。
「何を馬鹿なことを」
魏竜は眼を、眦が裂けんばかりに見開いている。
「何があった?」
楽毅は正面から、魏竜を見据えた。
「燕王はお前を謀反人と見做し、将校達に身柄を拘束するように、早馬を放った」
「何だと」
思わず鞍上から、ずれ落ちそうになる。
「意味が分からない」
「俺も詳細は分かっていない。だが、時は一刻を争う。今すぐ此処から」
その時だった。本陣を割って、物々しい一団が、眼前に現れた。
軍吏が従えた、百名余りの一団であった。
「今しがた、都より大王様の封書が届いた」
禿頭の軍吏は、朗々とした声で言った。
「封書ですと?」
楽毅は毅然と返した。
「昌国君楽毅に、叛心あり。速やかに拘束し、都に送還するべしと」
「叛心ありとは。根も葉もない」
「昌国君。之は王命である。大人しく縛につかれよ」
軍吏はいわば、軍の監察官のようなものである。この軍吏とは親しくはないが、それでも、三年間、同じ陣中で寝食を共にしている。多少の逡巡があってもよさそうなものだが、この軍吏にはそれがまるでない。
「私は先王より、悲願を託されている。今ここで戦場を離れる訳にはいかない」
軍吏が嘆息した。
「では。致し方あるまい。者共この謀叛人を捕えよ」
彼が率いる、一団が剣を抜き放つ。
「お前達もだ、何をぼさっとしている。之は王命だ!今すぐ謀叛人を捕えるのだ!」
楽毅を囲む、麾下に声を荒げる。だが、麾下は動かない。
すると、一人の男が馬を駆って、楽毅の前に馬をやった。
「宋吉」
単父で楽毅が麾下に加えた男である。宋吉は薄く笑んだ。
「苦衷はお察し致します。しかし、今は此処を離れて下さいませ。楽毅殿が、今軍吏殿に刃を向ければ、欺瞞が現実のものとなり、謀反人の汚名を着せられることになります」
「しかしー」
何故だ。何故、こうなる。俺が何をしたというのか。あと一歩で、先王の悲願を成就できるというのに。俺はまだ何一つ成し遂げていない。冷静という殻が破れ、激情が衝く。螺旋を描き、総身が苦悶に喘ぐ。
「落ち延びるのです。楽毅殿。生きてさえいれば、きっと嫌疑が晴れ、燕に戻る時が来ます」
にこりと愛嬌のある笑顔を、宋吉は向けた。
「お前はー」
「今が単父での御恩を返す時です」
吶喊と共に、楽毅が麾下に組み込んだ、宋の兵士達が、軍吏の一団に突っ込んだ。
「何をする!之は王に背く行為だぞ!誰か私を守れ!」
本陣は混迷を極めた。
「宋吉!」
叫んだが、宋吉の姿は乱戦の中にある。
「楽毅!此処を離れよう!」
魏竜が袖を掴む。
「しかし!」
一彪の軍場が躍り出る。
「楽毅殿。魏竜殿の言う通りです。今の燕は、先王が薨去なされてから、邪な者の坩堝と化している。かくゆう、私の父も濡れ衣を被せられ、国を去っている」
騎手は郭彪だった。面からは悔しさが滲み出ている。
「行って下さい。即墨は私が責任をもって、攻め落としてみせます」
郭彪の目尻に、光るものが見えた。
「行こう!」
魏竜を先頭に、楽毅は本陣を割った。鍛え上げた麾下は、後を追おうとしたが、必死に止めた。
彼等が己に付けば、同様に謀反人となり、故郷にいる家族に被害が及ぶかもしれない。
「すまない」
楽毅は歯を噛み締め、魏竜と二騎で、戦場を離脱した。
「趙へ向かう!平原君なら、匿ってくださるはずだ」
魏竜は懸命に訴えかけていたが、楽毅の思考は暈を纏ったように、鈍麻していた。
あと少しだった。あと少しでー。亡き昭王の悲願を成就し、天下泰平の世の一端に、手が届く所だった。
正面から乾いた風を受けながら、楽毅は隻眼に涙を湛えた。
二里ほど沃野を駆けた頃だろうか。不意に空を見上げると、悠揚と蒼を羽搏く白き鳥が、悲鳴のような啼く声と共に、地上へ無残に落ちていく様が、眼に映った。ただ心ここにあらずの状態で、眺め続けていた。その時。
「楽毅‼」
魏竜の竹を割るような吠声が轟いた。視界に飛び込んできたのは、黄塵を巻き上げ駆けてくる、燕の旗を掲げた一団。
「どうした?」
魏竜の様子は尋常ではない。色のよい唇は、色を失くしている。
「手の者から急遽報せが届いた。楽毅、今すぐ此処を離れた方がいい」
楽毅は鼻を鳴らした。
「何を馬鹿なことを」
魏竜は眼を、眦が裂けんばかりに見開いている。
「何があった?」
楽毅は正面から、魏竜を見据えた。
「燕王はお前を謀反人と見做し、将校達に身柄を拘束するように、早馬を放った」
「何だと」
思わず鞍上から、ずれ落ちそうになる。
「意味が分からない」
「俺も詳細は分かっていない。だが、時は一刻を争う。今すぐ此処から」
その時だった。本陣を割って、物々しい一団が、眼前に現れた。
軍吏が従えた、百名余りの一団であった。
「今しがた、都より大王様の封書が届いた」
禿頭の軍吏は、朗々とした声で言った。
「封書ですと?」
楽毅は毅然と返した。
「昌国君楽毅に、叛心あり。速やかに拘束し、都に送還するべしと」
「叛心ありとは。根も葉もない」
「昌国君。之は王命である。大人しく縛につかれよ」
軍吏はいわば、軍の監察官のようなものである。この軍吏とは親しくはないが、それでも、三年間、同じ陣中で寝食を共にしている。多少の逡巡があってもよさそうなものだが、この軍吏にはそれがまるでない。
「私は先王より、悲願を託されている。今ここで戦場を離れる訳にはいかない」
軍吏が嘆息した。
「では。致し方あるまい。者共この謀叛人を捕えよ」
彼が率いる、一団が剣を抜き放つ。
「お前達もだ、何をぼさっとしている。之は王命だ!今すぐ謀叛人を捕えるのだ!」
楽毅を囲む、麾下に声を荒げる。だが、麾下は動かない。
すると、一人の男が馬を駆って、楽毅の前に馬をやった。
「宋吉」
単父で楽毅が麾下に加えた男である。宋吉は薄く笑んだ。
「苦衷はお察し致します。しかし、今は此処を離れて下さいませ。楽毅殿が、今軍吏殿に刃を向ければ、欺瞞が現実のものとなり、謀反人の汚名を着せられることになります」
「しかしー」
何故だ。何故、こうなる。俺が何をしたというのか。あと一歩で、先王の悲願を成就できるというのに。俺はまだ何一つ成し遂げていない。冷静という殻が破れ、激情が衝く。螺旋を描き、総身が苦悶に喘ぐ。
「落ち延びるのです。楽毅殿。生きてさえいれば、きっと嫌疑が晴れ、燕に戻る時が来ます」
にこりと愛嬌のある笑顔を、宋吉は向けた。
「お前はー」
「今が単父での御恩を返す時です」
吶喊と共に、楽毅が麾下に組み込んだ、宋の兵士達が、軍吏の一団に突っ込んだ。
「何をする!之は王に背く行為だぞ!誰か私を守れ!」
本陣は混迷を極めた。
「宋吉!」
叫んだが、宋吉の姿は乱戦の中にある。
「楽毅!此処を離れよう!」
魏竜が袖を掴む。
「しかし!」
一彪の軍場が躍り出る。
「楽毅殿。魏竜殿の言う通りです。今の燕は、先王が薨去なされてから、邪な者の坩堝と化している。かくゆう、私の父も濡れ衣を被せられ、国を去っている」
騎手は郭彪だった。面からは悔しさが滲み出ている。
「行って下さい。即墨は私が責任をもって、攻め落としてみせます」
郭彪の目尻に、光るものが見えた。
「行こう!」
魏竜を先頭に、楽毅は本陣を割った。鍛え上げた麾下は、後を追おうとしたが、必死に止めた。
彼等が己に付けば、同様に謀反人となり、故郷にいる家族に被害が及ぶかもしれない。
「すまない」
楽毅は歯を噛み締め、魏竜と二騎で、戦場を離脱した。
「趙へ向かう!平原君なら、匿ってくださるはずだ」
魏竜は懸命に訴えかけていたが、楽毅の思考は暈を纏ったように、鈍麻していた。
あと少しだった。あと少しでー。亡き昭王の悲願を成就し、天下泰平の世の一端に、手が届く所だった。
正面から乾いた風を受けながら、楽毅は隻眼に涙を湛えた。
二里ほど沃野を駆けた頃だろうか。不意に空を見上げると、悠揚と蒼を羽搏く白き鳥が、悲鳴のような啼く声と共に、地上へ無残に落ちていく様が、眼に映った。ただ心ここにあらずの状態で、眺め続けていた。その時。
「楽毅‼」
魏竜の竹を割るような吠声が轟いた。視界に飛び込んできたのは、黄塵を巻き上げ駆けてくる、燕の旗を掲げた一団。
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