楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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麒麟立つ

 一

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  田単でんたんは姜氏党と共に、即墨そくぼくへと入った。各地に情報収集の為、散らばっていた姜氏の若者達も合流し、その数は十人となった。
 
 その間も傷が癒えた楽毅がくきは、燕の大軍勢を率いて、東進を続けた。燕の圧倒的軍事力を前に、残された城邑は悉く降伏した。
 
 臨淄りんしを神謀によって、僅かの間で陥落させた、楽毅の軍略を恐れ、中には「楽毅来る」
と聞いただけで、降伏してしまう城邑もあった。しかし、楽毅が軍人として優れているのは、軍略だけではない。彼は英雄でありながら、弱者に自然と寄り添うことができる、不思議な力がある。
 
 楽毅は軍人として、極めて稀有な存在だ。降伏した民を自国の民のように厚く遇し、斉王の圧政によって、危殆きたいに瀕していた城邑には、税を撤廃し、民の生活を保障した。楽毅の威光届く範囲では、狼藉はなく、敵将でありながら、斉の民衆は楽毅を敬愛した。
 
 
 田単が即墨に入って、ひと月が経過する頃には、七十余城を奪われ、残す所は即墨と斉王が逃げ込んだきょの二城のみとなっていた。
 だが、突如、事態は好転の兆しを見せた。
 
 楚が連合の約を反故にし、楚の将淖歯とうしが数万の兵を率いて、斉を助ける為に、莒へと入った。この報には、即墨で燕軍の猛攻に抗戦する、兵達がどっと沸いた。天はまだ斉を見捨ててはいなかった。
 
 今や即墨の兵は八千余り。それでも、楚の加勢が、彼等の萎えた鋭気に火をつけた。即墨を囲む、燕軍五万は、包囲三里の城邑がなかなかに陥とせないことに、苛立ちを募らせ始めていた。間断なく攻撃を仕掛けてくるも、いたずらに力押しに頼るばかりで、攻勢そのものに粗さが見え始めた。
 
 田単も一人の兵士として、歩墻ほしょうに立ち、寝る間もなく、城壁を侵す、燕兵と戦い続けていた。
 今、即墨は兵士、農民、工民の垣根を越えて、皆が独りの戦士として武器を振るっている。中には十五歳に満たない少年や老人の姿まであった。
 
 決死の想いは、男を強靭にする。つい最近まで、剣など手にしたことがなかった者達の顔が、今や歴戦の古強者のような凄味がある。
 そして、立ちはだかる巨大な艱難かんなんの前に、即墨の八千余りの混成軍の気持ちは、渾然一体となっていた。誰もがこの残された僅かな土地を守ろうと、命を懸けている。
 
 日々の死線で、疲弊の極みにあったが、この即墨という小さな城郭が、万乗の大国のような可能性を秘めていると田単は感じた。生きとし生ける者、全てが手を携え、存続というあるべき一つの道を突き進んでいく。
 
 田単は死闘の中で、国のあるべき姿を掴んだ。やはり、国も天下も思潮や想いを翕然きゅうぜんとすることで、より清廉された時代が到来する。
 
 たったの三里の城郭。八千の兵士の心であるが、確かに人は一つになれるのだ。総身は敵の血に塗れていたが、気持ちは奇妙な高揚感の中にあった。
 
 田単は寝る間も惜しんで、傷を庇い合う仲間達と共にあろうとした。
 座ればあじかを編んで、女子達の手仕事を助け、立てばすきを杖にして、土仕事を手伝った。たとえ戦場で剣を振るわなくとも、兵士を影で支える、女子達も仲間なのだ。
 
 また田単は傷いた兵士達を励ます為に歌って回った。


 いざ戦わんかな

 わが宗廟は滅びぬ

 死すべき日 久しく

 帰るべき郷もなければ

 いざ戦わんかな

 われら一つとなり

 さきで待つものは

 麒麟がみやる景色なり
 
 田単が歌うと、兵士達は総身を震わせ、ひじを振り上げた合唱した。
 大音声だいおんじょうへと変わり、即墨の皆が、この歌を口ずさんだ。
 
 
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