楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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決別

 十

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 合図を出すこともなく、一万騎が縦一直線に伸びる。最高速度を維持しながら、錐状の陣形で突っ込んでいく。
 
 歩兵が大分の斉軍は、横陣に構えていた。大将の田単は中軍で指示を送っているはずだった。
 突如、横陣の中央から、騎兵が飛び出した。その数数百。虚を突かれた。否応なしに速度が落ちる。
 
 先頭の男。煌めく白刃。馳せ違った。火花。散った。受けた手が痺れる。さっと数百の騎兵は、左右に別れ、背後に。瞬間。歩兵が動いた。左右から揉まれる。腹背からも衝撃。田単が背後を取った。

(くっ)舌を巻く。
 巧い。単なる巧拙こうせつの話ではない。度胸と柔軟な思考がある。

「うっとおしい」
 槍を翻す。白き槍纓そうえいが渦を巻く。

「来い」
 呼吸にして一呼吸。十の彗星が如き、突きが眼前の敵の喉元を貫いた。
 
 砂塵が円を描き、馬の脚に再び勢いが戻る。包囲を突き破る。後続は捉えられている。
 だが、構わない。反転。大きく弧を描き、田単の腹背をとる。
 
 騎兵三百が主戦場から逃れた。後を追う。付いてきているのは五百。この五百は精鋭中の精鋭である。
 田単が果敢に反転。再び交錯。撃ち落としたのは二十。練度の差が出ている。
 
 それでも即席の騎兵の力を此処まで引き出すとは。項に薄ら寒い感覚を覚える。
 
 損害をものともせず、田単が馬肚を蹴り、反転してくる。 飛矢の如き速さで擦れ違う。
 
 十騎討たれている。この刹那で、練度が上がっている。
 指揮官田単が一合重ねるごとに、武人として進化している。かつての田単とは違う。獣のような猛々しさがある。
 鞍上で全身が力んでいる。

(田単。お前はこれほどの力を内に秘めていたのか)
 
 槍を回し、手挟む。駆けた。
 一合、二合、三合。互角。瞠目に値する、進化の速さ。 
 裂帛の咆哮。次で決める。
 田単を討ち、斉王が東の要衝の地に入るまでに、決着を付けなくては、より多くの犠牲が出る。
 蒼き気魄が、槍の穂先を満たした。純然たる殺意が総身を満たす。
 もう迷いはない。

「参る」
 蒼光が大地を割った。目前に迫る、田単。両眼からは、暁を浴びた眼光が放たれる。
 指呼しこの間。槍が届く。斬ったのは眼光の尾。跳ね上がる穂先。

(何だと)
 ならばと憤激。回転を生んだ、左手で剣を抜き去る。
 刹那。田単も左に剣を握りしめる。田単の方が、僅かの差で動作が速い。縦一閃に白刃が走る。
 
 左の視界が朱に染まった。 

「楽毅!!」
 魏竜の叫び声。半呼吸。思考の時は止まっていた。
 友の渇いた叫びが、時を蘇らせる。 突如、顔の左半分に走る、灼熱感。
 
 残った右目が捉えた。田単が剣を振り上げている。
 迷いはない。殺の刃。
 袈裟への一撃。鮮血が舞う。
 
 弾かれるように、楽毅は馬から転げ落ちた。
 至る所が雷に打たれたように痛む。
 しかし、袈裟の傷はなかった。朦朧とする視界に、うつ伏せに転がる、魏竜の姿が映った。

(まさか)
 這這の態で、魏竜のもとへ。

「良かった。無事で」
 血砂に塗れた、顔で魏竜は力なく笑った。
 背には斜めの傷がある。出血は酷いが、深くはない。

「馬鹿なことを」
 戦闘の喧噪が遠ざかっていく。斉の旗が東へと去っていく。何故、とどめを刺さなかったのか。

(俺に情けをかけたのか)
 いや。違う。田単に迷いは微塵もなかった。奴には国を守るものとしての、金剛こんごうの決意が内で固まっていた。遠くの方で、司馬炎が呼ばわる声がする。

(だが、俺はどうか)
 田単のように、微塵の迷いもなかったと言い切れるのだろうか。
 あったのだろう。言い訳ではないが、僅かに槍を繰り出す、速度が鈍っていた。
 心の底で、田単を殺めたくないという想いがあったのだ。

「俺は甘い」
 左目に走る、強烈な痛み。全身を襲う鈍痛。そして、魏竜の負傷。
 全て、己の甘さが齎した。
 白起の言葉が、暈を纏う頭の中でも、鮮明に蘇る。
「せいぜい己の甘さを呪うことだ。お前のやり方では、何一つ成し遂げることはできない。お前は中山を失った時のように、何もかも失うのだ」白皙はくせきの嫌味な顔が思い浮かんでくる。

「くそ」
 楽毅は仰臥ぎょうがし、白み始めた空の上に浮かぶ、欠けた蒼白い月を眺めた。
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