楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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田斉

 八

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「之を」
 黒衣を払った、姜鵬牙が懐から、包みを取り出した。
 倉の中で、田単は其れを受け取り、開いた。

「孫師の」
 図上演習の際に、幾度も使用した、師の駒であった。裏面には孫と刻まれている。
 中山に訪れた折、荷物と共に失くしてしまったはずだが。

「何故、楽毅殿が」
 姜鵬牙は首を竦めただけだった。
 今度は失くすまいと、掌で強く駒を覆い、包みと共に懐深くに忍ばせた。

「気持ちの良い男だな。楽毅という男は」
 ぼそりと姜鵬牙が溢す。

「君もそう思うか」
 まるで自分のことのように胸が躍った。

よこしまなものがまるでない。彼はお前と良く似ている。もし、彼が此方側ならば、連合軍であったとしても、敵ではなかったはずだ」

「孫師は数多くの弟子の中で、楽毅殿が誰よりも優秀であったと語っていた。正直、僕は嫉妬した。でも、確かに楽毅殿の戦略眼は、天より下賜されたものだ。僕など足許には及ばない」

「どうだろうな。友だからこそ思うのかもしれない。お前には自身がまだ気づいていない才能の抽斗ひきだしがあるのだと。その抽斗を開くことができれば、楽毅と対等に分かり合える力がお前にはある」

「随分と過大評価をしてくれるじゃないか」
 田単は笑みで濁したが、姜鵬牙の眼差しは真っ直ぐだった。

「きっとその抽斗を開くには、お前が持つ善性をかなぐり捨てなくてはならないのかもしれない」

「善性を?」
 姜鵬牙の言葉が、妙に胸を衝いた。彼の声音に、予言めいたものを感じたからだ。

「田単。準備が整った」
 姜施が割って入り、重ねて問うことはできなかった。

「之を着ろ」
 手渡されたのは、夜の闇に溶け込む、黒衣であった。

「ささっと行くわよ」
 黒衣を纏った、姜音がぬっと陰から現れた。

「君も行くのか?」

「何か文句あんの」
 苛立っているのだろうか。姜音に右頬が吊っている。
「いや」

「音は後宮に潜入したことがある。恐らく斉王は、後宮で女としとねを共にしているはずだ」
 姜施の言に、姜音は大仰な鼻を鳴らした。

「殊勝な心掛けなこと」

「さぁ、行くぞ。払暁までには、宮廷を抜け出さなくてはならん」
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