楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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宋攻略戦

 六

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 事件が起こった。畦道で少女の惨殺死体が見つかった。白い布を被された、少女の屍が楽毅の前に運ばれた。
 
 司馬炎が無表情で、布を払う。

「これは」
 絶句する。少女は衣服を剥がれ、四肢をなますに切り刻まれている。

「凌辱の跡がある」
 魏竜の声は、怒りで震えていた。

「魏竜。犯人を捜せ」
 放った楽毅の声は、氷のように冷たい。軍の規律として、投降した宋の民及び兵士には、手を出さないように厳しく律しているつもりであった。軍規に違反すれば、即刻処断するというものである。

「このことは」
 主だった将校達も、同様に幕舎の中にいる。言ったのは、劇辛だった。

「伏せておく。宋の領民に広まれば、暴動の火種となる。これ以上、犠牲は増やしたくはない」
 己とて不本意である。同じ子を持つ、身の上として、この子の両親がいたたまれない。

「御意に」
 一日後。
 楽毅の幕舎に、沈痛な面持ちの魏竜が現れた。

「分かったか?」

「太子だ」

「何だと!?」
 瞠目する。

「当日、血の付いた剣を持って歩く、太子が目撃されている」
 楽毅は頭を抱え、怒息を吐いた。

「博役と共に、俺の元へ連れてこい。今すぐだ!」
 魏竜が退出する。

「くそ!」
 胡床を蹴り飛ばす。前々から太子は心中粗暴だとは耳にしていた。
 此度、太子が従軍したのは、燕王たっての願いであった。
 燕王は王としての責務に邁進まいしんし、子等と向かい合う時間を作ってこられなかった。故に太子や公子達は、博役が親代わりを務めているといってもいい。太子は郭蔵の元、気性が荒く、我儘に育った。太子の気性を耳にした、燕王は宋への攻略に乗り出す、楽毅の指揮下に置いた。
 
 なかば強制である。楽毅による善導感化ぜんそうかんかを、太子に期待したのだろう。だが、太子は陣中でも影で、散々に楽毅を悪罵した。
 
 太子でありながら、楽毅の指揮下に入ったことが悔しくて溜まらなかったのだろう。楽毅自身、根も葉もない誹りを受けることは馴れている。許容範囲だ。しかし、少女の件は違う。彼女の屍からは、人としての尊厳が感じられなかった。凌辱され、無残に殺されている。無抵抗の少女を、あろうことか一国の太子がー。やりきれない。そして、強い怒りが渦巻いている。

 
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