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導
四
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その青年は、館の中庭の隅でひっそりと朧月を見上げていた。
「よく堪えたな」
蘇代は縁側に腰を降ろしがてら、青年に声を掛ける。
青年が顔を向ける。眼を見開き、地に膝をつく。
「先ほどはとんだご無礼を」
手で制する。
「よしてくれ。あの程度で、激高するほど小さな男ではない」
青年は小さく謝辞を述べ立ち上がる。
「容易かろう」
では。と去ろうとする、青年が歩みを止める。
「君から溢れ出る気力を感じれば分かる。たとえ、宴席に居た全員が束になってかかっても、容易く打ち倒せるだろう」何故、それを?と眼を丸くしている。
「伊達に諸国を巡っていない。数多の諸侯や高官達、軍人達を眼にしていれば、自然と眼は養われる。君は孫家の門下生か。何処かうわの空だったな。孫家塾では、葬式が行われていると聞く」
「はい」
青年の返答は、歯切れが悪い。
「まぁ気持ちは分かる。くだらぬ饗応だ。黒い野心が渦巻いている」
「之は蘇代殿の為に、開かれた饗応なのでは」
何処か責難するような棘がある。
「心外だな。君は私を、あの薄汚い出世欲の塊共と同等に見ているのか」
「それは」
「私には奴等のような野心はない」
「しかし、孟嘗君が出奔された今、次の宰相は蘇代殿であるという声をよく耳にします」
青年の語尾に、含蓄される棘は鋭くなる。
「私はあくまで、説を以って、大王を諭す立場にある者。宰相など荷が重い」
「孟嘗君の代わりは、誰も務まりません」
「ああ。私もそう思う。彼以上に斉を想っている男は、この国にはいないだろう」
青年が向き直る。暈を纏った、蒼白い月光により、青年の輪郭が鮮明に映る。
「蘇代殿は、燕と通じておられぬのではありませんか?」
(鋭い子だ)
「何故、そう思う」
蘇代は不敵に笑んだ。
「蘇代殿の兄君蘇秦殿も、裏で燕と通じておられました」
「兄上と私は違う。それに根拠もない」
「そうでしょうか。蘇代殿は終始、饗応の場にいた者達、塵芥を見るような眼差しを向けておられました。あれは単純に卑しい官吏に向けるものではない。清明な悪意がありました」
単純な聡さではない。この子は気の流れに聡いのだ。奥深くに押し込んだ、斉への憎悪を感じ取っている。まるで憎悪を嫌う麒麟のような青年だ。
「名を訊こう」
この青年に、言い逃れは出来ない。
「田単と申します」
「田単、この国が好きか」
田単は勁い眼をして、頷いた。
「麒麟児、田単よ。忠告してやろう。燕の怨懣は深いぞ。斉を守りたいのなら、柱石となる男を閔王の傍に置くことだ。さもなくば、斉は内側から瓦解し、燕と同じ道を歩むことになるぞ」
蘇代は立ち上がり、蒼裙を翻した。
「やはり、貴方は」
田単が敵意を横溢させる。
「足掻いてみせろ。田単」
「何故、私に燕と通じていると明かしたのです」
蘇代は眼許に、皺を刻み笑む。
「老婆心とでも言っておこうか。何処か私の知る男に、君の真っ直ぐな眸が似ている。斉にもこのような男がいるのだと、清々しい気持ちになった」
蘇代は純朴な光を背に感じながら、その場を後にした。
「よく堪えたな」
蘇代は縁側に腰を降ろしがてら、青年に声を掛ける。
青年が顔を向ける。眼を見開き、地に膝をつく。
「先ほどはとんだご無礼を」
手で制する。
「よしてくれ。あの程度で、激高するほど小さな男ではない」
青年は小さく謝辞を述べ立ち上がる。
「容易かろう」
では。と去ろうとする、青年が歩みを止める。
「君から溢れ出る気力を感じれば分かる。たとえ、宴席に居た全員が束になってかかっても、容易く打ち倒せるだろう」何故、それを?と眼を丸くしている。
「伊達に諸国を巡っていない。数多の諸侯や高官達、軍人達を眼にしていれば、自然と眼は養われる。君は孫家の門下生か。何処かうわの空だったな。孫家塾では、葬式が行われていると聞く」
「はい」
青年の返答は、歯切れが悪い。
「まぁ気持ちは分かる。くだらぬ饗応だ。黒い野心が渦巻いている」
「之は蘇代殿の為に、開かれた饗応なのでは」
何処か責難するような棘がある。
「心外だな。君は私を、あの薄汚い出世欲の塊共と同等に見ているのか」
「それは」
「私には奴等のような野心はない」
「しかし、孟嘗君が出奔された今、次の宰相は蘇代殿であるという声をよく耳にします」
青年の語尾に、含蓄される棘は鋭くなる。
「私はあくまで、説を以って、大王を諭す立場にある者。宰相など荷が重い」
「孟嘗君の代わりは、誰も務まりません」
「ああ。私もそう思う。彼以上に斉を想っている男は、この国にはいないだろう」
青年が向き直る。暈を纏った、蒼白い月光により、青年の輪郭が鮮明に映る。
「蘇代殿は、燕と通じておられぬのではありませんか?」
(鋭い子だ)
「何故、そう思う」
蘇代は不敵に笑んだ。
「蘇代殿の兄君蘇秦殿も、裏で燕と通じておられました」
「兄上と私は違う。それに根拠もない」
「そうでしょうか。蘇代殿は終始、饗応の場にいた者達、塵芥を見るような眼差しを向けておられました。あれは単純に卑しい官吏に向けるものではない。清明な悪意がありました」
単純な聡さではない。この子は気の流れに聡いのだ。奥深くに押し込んだ、斉への憎悪を感じ取っている。まるで憎悪を嫌う麒麟のような青年だ。
「名を訊こう」
この青年に、言い逃れは出来ない。
「田単と申します」
「田単、この国が好きか」
田単は勁い眼をして、頷いた。
「麒麟児、田単よ。忠告してやろう。燕の怨懣は深いぞ。斉を守りたいのなら、柱石となる男を閔王の傍に置くことだ。さもなくば、斉は内側から瓦解し、燕と同じ道を歩むことになるぞ」
蘇代は立ち上がり、蒼裙を翻した。
「やはり、貴方は」
田単が敵意を横溢させる。
「足掻いてみせろ。田単」
「何故、私に燕と通じていると明かしたのです」
蘇代は眼許に、皺を刻み笑む。
「老婆心とでも言っておこうか。何処か私の知る男に、君の真っ直ぐな眸が似ている。斉にもこのような男がいるのだと、清々しい気持ちになった」
蘇代は純朴な光を背に感じながら、その場を後にした。
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