楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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空を求めて

 十四

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 その日の夜。楽毅は中庭の隅にある、古色蒼然こしょくそうぜんとした東屋あずまやで、一人夜空を仰いでいた。真円の月は暈を纏い、弱弱しい光を地上に落としている。

「旦那様」

「春櫂か」

「隣に座っても?」

「ああ」
 失礼しますといって、春櫂は隣に腰を落ち着かせた。

「お二人とお話は?」
 司馬炎と魏竜のことだ。

「してない」

「そうですかー」
 沈黙が流れる。強い風が吹く。冬の気配を孕んだ、冷たい風である。春櫂が冷えた両手に、息を吹きかけた。

「さぁ」
 かわごろもを脱ぎ、彼女の丸く細い肩にかけてやる。

「有難うございます」
 彼女の頬に朱が差す。

「蘇代という男に、燕に来ないかと誘われた」

「そうですか」
 春櫂は遠い目をして返した。気丈に振舞っているつもりなのだろうが、落胆は隠せていない。

「答えは決まっておられるのでしょう」
「なぁ。春櫂。俺と一緒に燕に来ないか?勿論、張順も一緒だ。仕官が決まるまでの間、蘇代が面倒を看てくれるという。お前達は故郷を離れることになる。だから、決断は難しいだろう。だけど、俺はお前にも、張順にも共に来てほしい」眼が合う。彼女の眸は涙で濡れていた。
 
 鼓動が高鳴る。手が自然と、流れている涙を拭った。顔を近づける。吐息が混ざり合う。春櫂が瞼を閉じた。
 唇を重ねた。桃の甘い香りが鼻を抜けていく。

「何処までも、旦那様について参ります」
 春櫂がはにかんだ。淡い想いで、心が満たされていく。抱きしめる。小さな躰を包み込む。
 
 空を覆っていた、厚い雲が風で流され、煌々と光る、満月が姿を見せる。風は熄むことなく吹き続ける。それでも、互いの火照りが、寒さを忘れさせた。

 
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