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解放
三
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安陽君は這這の態で、十里離れた、主父が宿泊する離宮へと入った。
平原君の読みは的中した。主父は安陽君を憐れみ、離宮で匿った。
公子成、平原君、廉頗の兵が、離宮を包囲する。
更には近隣の四邑から一万の兵を招集。離宮には、蟻が這い出る隙間すらない。
対して、離宮内には、主父が抱える、百名ばかりの衛兵のみ。
陣営は離宮の宮門前にあり、張られた大幕舎には、そうそうたる面子が居並んでいる。
総指揮官として、上座に公子成。公子成の補佐を務める、重臣李兌。趙王何を守護し、共に離宮から脱した、高信期。
そして、平原君。固く瞼を閉じる、廉頗。楽毅、司馬炎、魏竜と続く。
「大王の御様子は?」
公子成が低い声で問う。彼は先君粛候の弟にあたる。
老齢ではあるが矍鑠としていて、趙国内において海内奇士と称されるに、相応しい威厳を放っている。
「かなり動転しておられましたが、今は心安らかに眠っておられます」
実直そうな青年官吏、高信期が答える。
「無理もない。実の兄に刃を向けられ、博役の肥義殿も凶刃に斃れてしまったのだからな」
「うっ。肥義殿」
高信期の嗚咽が、静寂に吸い込まれていく。
「大叔父上」
平原君が水を向けた。
「ああ。分かっておる」
では。と公子成は立ち上がり、覇気の籠った眼を銘々に向けた。
「主父はあろうことか、謀反人である、安陽君を離宮にて匿った。仮に交渉の末、安陽君の身柄を確保したとしても、絶大な権力を有する、主父に遠からず、我等全員は誅殺されることになるだろう」
「では、主父は?」
廉頗の声は震えている。
「ここで安陽君と共に死んでもらう」
胡床を倒す勢いで、廉頗は立ち上がり、憤然と幕舎を後にする。
暫くの沈黙。
「但し、罪なき兵士達の命は保証してやることにする」
李兌が言った。
「各々の方、異論はないな?」
公子成の巨眼が、銘々を見遣る。
誰も異論を挟まない。平原君とて、全て覚悟の上だった。
「では、解散」
暫くして、李兌は宮の中の者に、
「遅れて宮を出た者は誅する」との声明を出した。
すると、宮の中の者は悉く、降伏の意を示し、宮を出た。 しかし、安陽君と主父は例外である。
両名だけを残した、離宮は死んだように、静まり返っていた。
廉頗は離宮が一望できる、小高い丘の上で、大木に凭れ掛かり、森閑とする、宮に眼を向けていた。
「此処にいたのか」
楽毅は、廉頗の隣に並んで座った。
「俺は主父を、父と思い定め生きてきた」
抑揚のない声だった。
「主父に鍛え上げられたからこそ、今の俺がある。主父には、返しきれないほどの恩義がある。なのにー。俺はー。父ではなく、国を選んだ」
言葉が途切れる。凝る闇で、彼の表情は定かではない。だが、泣いているのだと分かる。
「俺はとんだ不孝者だよ」
「違う。お前は不孝者などではない。主父は為政者として、階を転げ落ちるように、零落した。歳を重ね、いらぬ情に絆され続ける、主父にはもう為政者の資格は、もう残されていなかった。あのまま、主父が裏で実権を握り続けていれば、趙国内は乱れることになった。子のけじめは親が。親のけじめは子が。そういう意味では、お前と平原君は、しっかりと主父の子として、けじめをつけた。お前達二人は、主父にとって、何者にも代え難い、孝行息子だと、俺は思うよ」ふっと、楽毅は笑んだ。
「俺はー。俺はー」
「国と主を失うよりいい。お前は一つのものを、守り抜けたのだから」
堰を切るように、廉頗は泣きじゃくった。
彼の慟哭を耳にして、楽毅は静かに、空の白みに眼を向けた。
平原君の読みは的中した。主父は安陽君を憐れみ、離宮で匿った。
公子成、平原君、廉頗の兵が、離宮を包囲する。
更には近隣の四邑から一万の兵を招集。離宮には、蟻が這い出る隙間すらない。
対して、離宮内には、主父が抱える、百名ばかりの衛兵のみ。
陣営は離宮の宮門前にあり、張られた大幕舎には、そうそうたる面子が居並んでいる。
総指揮官として、上座に公子成。公子成の補佐を務める、重臣李兌。趙王何を守護し、共に離宮から脱した、高信期。
そして、平原君。固く瞼を閉じる、廉頗。楽毅、司馬炎、魏竜と続く。
「大王の御様子は?」
公子成が低い声で問う。彼は先君粛候の弟にあたる。
老齢ではあるが矍鑠としていて、趙国内において海内奇士と称されるに、相応しい威厳を放っている。
「かなり動転しておられましたが、今は心安らかに眠っておられます」
実直そうな青年官吏、高信期が答える。
「無理もない。実の兄に刃を向けられ、博役の肥義殿も凶刃に斃れてしまったのだからな」
「うっ。肥義殿」
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「大叔父上」
平原君が水を向けた。
「ああ。分かっておる」
では。と公子成は立ち上がり、覇気の籠った眼を銘々に向けた。
「主父はあろうことか、謀反人である、安陽君を離宮にて匿った。仮に交渉の末、安陽君の身柄を確保したとしても、絶大な権力を有する、主父に遠からず、我等全員は誅殺されることになるだろう」
「では、主父は?」
廉頗の声は震えている。
「ここで安陽君と共に死んでもらう」
胡床を倒す勢いで、廉頗は立ち上がり、憤然と幕舎を後にする。
暫くの沈黙。
「但し、罪なき兵士達の命は保証してやることにする」
李兌が言った。
「各々の方、異論はないな?」
公子成の巨眼が、銘々を見遣る。
誰も異論を挟まない。平原君とて、全て覚悟の上だった。
「では、解散」
暫くして、李兌は宮の中の者に、
「遅れて宮を出た者は誅する」との声明を出した。
すると、宮の中の者は悉く、降伏の意を示し、宮を出た。 しかし、安陽君と主父は例外である。
両名だけを残した、離宮は死んだように、静まり返っていた。
廉頗は離宮が一望できる、小高い丘の上で、大木に凭れ掛かり、森閑とする、宮に眼を向けていた。
「此処にいたのか」
楽毅は、廉頗の隣に並んで座った。
「俺は主父を、父と思い定め生きてきた」
抑揚のない声だった。
「主父に鍛え上げられたからこそ、今の俺がある。主父には、返しきれないほどの恩義がある。なのにー。俺はー。父ではなく、国を選んだ」
言葉が途切れる。凝る闇で、彼の表情は定かではない。だが、泣いているのだと分かる。
「俺はとんだ不孝者だよ」
「違う。お前は不孝者などではない。主父は為政者として、階を転げ落ちるように、零落した。歳を重ね、いらぬ情に絆され続ける、主父にはもう為政者の資格は、もう残されていなかった。あのまま、主父が裏で実権を握り続けていれば、趙国内は乱れることになった。子のけじめは親が。親のけじめは子が。そういう意味では、お前と平原君は、しっかりと主父の子として、けじめをつけた。お前達二人は、主父にとって、何者にも代え難い、孝行息子だと、俺は思うよ」ふっと、楽毅は笑んだ。
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