22 / 140
蒼き鎧
七
しおりを挟む
廉頗の視界を覆ったのは、大翼であった。舞い落ちる羽。肉眼で追えたのは、蒼い眼光の尾。
槍の穂先が、具足を貫き、己の脇腹の肉に達している。槍を握る楽毅が口端に微笑を湛えて、崩れ落ちていく。
滲みで出る、血の温もりに自失が解ける。
(風を味方にしやがった)
まるで空を悠揚と翔ける鳥のように。だがー。穂先は臓腑にまで達さず、肉の鎧に埋もれている。
(想像以上の器だったか)
気を失った、楽毅の躰を抱き上げ、肩に担ぎ上げる。肉を貫いた槍が、鈍い音を立てて、地に落ちる。
「待て!楽毅を何処に連れて行く気だ!?」
仲間の二人が、廉頗の前へ回り込む。
「言ったはずだ。俺が勝てば、楽毅は趙に降ってもらうと」
「行かせない」
二人が刃を向ける。
「殺されたいか。坊主共」
血走った眼で睨みつけると、二人は後ずさりながらも、険を放ち続ける。
「仲間の為なら、命を捨てる覚悟があるか。いいぜ。気に入った」
廉頗が顎をしゃくると、趙兵が彼等を瞬く間に拘束した。
「連れていけ。殺すなよ」
棒で打たれ、気を失った少年二人が本陣へと運ばれていく。
「廉頗とかいったな」
顔を向けると、金の具足を纏った公子董が立っていた。
「楽毅を解放してやってはくれないか。彼には未来がある。虜囚として終わらせるのは惜しい男だ。だから、私の命で賄えるのなら」
公子董は膝を降り、自身の喉元に剣尖を向けた。
「嫌だね」
「この通りだ。頼む」
「あんたの命を奪るつもりはねぇよ」
「何だと?」
公子董が眼を丸くする。
「こいつは死の領域に踏み込んでまで、あんたの為に戦った。楽毅の覚悟に免じて、俺はあんたの命を奪らないことに決めた。俺なりの誠意ってやつだ」
「だが、楽毅は」
「悪いようにはしないさ。大王様自身も、こいつにはご執心なんだ。これほどの才覚があれば、趙でも充分にやっていけるだろうよ。趙は尚武の国だ。そのへん、此処よりか融通が利くと思うぜ」
公子董の腕が垂れ、
「そうか」と小さく呟いた。必死に頭の中で、言葉を手繰り寄せようとしているのだろう。しかし、彼自身も理解しているはずだ。中山はやがて滅ぶ。
父王からも疎まれ、無意味な戦いに身を投じ続けなくてはならない。彼は塗炭の苦しみの中にいる。
「ふっ」公子董が幽かに微笑んだ。
「楽毅は中山と共に滅んでいい男ではない」
立ち上がると、剣を鞘に納め歩み寄る。
「信用して良いのだな。廉頗」
毅然とした、公子董の容貌からは純然たる王気が横溢している。
彼が中山君主であったならば、今の中山もこのような運命を辿らずに済んだのかもしれない。
(いや。よそう)
運命とは非情なものだ。分水嶺など其処には存在しない。
「ああ」
混じり気なく返す。
「之を楽毅に」
公子董は佩剣を抜き、廉頗に押し付けた。見事な剣であった。鞘には鵬の装飾。柄頭には翡翠が填め込まれている。
「韓の冥山で鍛え上げられた、宛馮という名の剣だ。楽毅に託してくれ。きっと彼の助けになる」
受け取って分かる。この剣は生きている。真の主を得ることが出来れば、千刃を両断するほどの絶剣となりうるだろう。
「しかと」
趙の陣営の方で、響めきが起こった。
破壊された城門の隙間から、趙軍へと猛撃を仕掛ける、楽の旗が翻っているのが見える。
「さらばだ。私の英雄」
廉頗は踵を返す。最後に一度だけ、薄弱の公子を振り返る。
彼は頬を涙で濡らし、天を仰いでいた。
空を埋める波状雲によって、蒼さを遮断された、空からは鳥達の姿が消えていた。
槍の穂先が、具足を貫き、己の脇腹の肉に達している。槍を握る楽毅が口端に微笑を湛えて、崩れ落ちていく。
滲みで出る、血の温もりに自失が解ける。
(風を味方にしやがった)
まるで空を悠揚と翔ける鳥のように。だがー。穂先は臓腑にまで達さず、肉の鎧に埋もれている。
(想像以上の器だったか)
気を失った、楽毅の躰を抱き上げ、肩に担ぎ上げる。肉を貫いた槍が、鈍い音を立てて、地に落ちる。
「待て!楽毅を何処に連れて行く気だ!?」
仲間の二人が、廉頗の前へ回り込む。
「言ったはずだ。俺が勝てば、楽毅は趙に降ってもらうと」
「行かせない」
二人が刃を向ける。
「殺されたいか。坊主共」
血走った眼で睨みつけると、二人は後ずさりながらも、険を放ち続ける。
「仲間の為なら、命を捨てる覚悟があるか。いいぜ。気に入った」
廉頗が顎をしゃくると、趙兵が彼等を瞬く間に拘束した。
「連れていけ。殺すなよ」
棒で打たれ、気を失った少年二人が本陣へと運ばれていく。
「廉頗とかいったな」
顔を向けると、金の具足を纏った公子董が立っていた。
「楽毅を解放してやってはくれないか。彼には未来がある。虜囚として終わらせるのは惜しい男だ。だから、私の命で賄えるのなら」
公子董は膝を降り、自身の喉元に剣尖を向けた。
「嫌だね」
「この通りだ。頼む」
「あんたの命を奪るつもりはねぇよ」
「何だと?」
公子董が眼を丸くする。
「こいつは死の領域に踏み込んでまで、あんたの為に戦った。楽毅の覚悟に免じて、俺はあんたの命を奪らないことに決めた。俺なりの誠意ってやつだ」
「だが、楽毅は」
「悪いようにはしないさ。大王様自身も、こいつにはご執心なんだ。これほどの才覚があれば、趙でも充分にやっていけるだろうよ。趙は尚武の国だ。そのへん、此処よりか融通が利くと思うぜ」
公子董の腕が垂れ、
「そうか」と小さく呟いた。必死に頭の中で、言葉を手繰り寄せようとしているのだろう。しかし、彼自身も理解しているはずだ。中山はやがて滅ぶ。
父王からも疎まれ、無意味な戦いに身を投じ続けなくてはならない。彼は塗炭の苦しみの中にいる。
「ふっ」公子董が幽かに微笑んだ。
「楽毅は中山と共に滅んでいい男ではない」
立ち上がると、剣を鞘に納め歩み寄る。
「信用して良いのだな。廉頗」
毅然とした、公子董の容貌からは純然たる王気が横溢している。
彼が中山君主であったならば、今の中山もこのような運命を辿らずに済んだのかもしれない。
(いや。よそう)
運命とは非情なものだ。分水嶺など其処には存在しない。
「ああ」
混じり気なく返す。
「之を楽毅に」
公子董は佩剣を抜き、廉頗に押し付けた。見事な剣であった。鞘には鵬の装飾。柄頭には翡翠が填め込まれている。
「韓の冥山で鍛え上げられた、宛馮という名の剣だ。楽毅に託してくれ。きっと彼の助けになる」
受け取って分かる。この剣は生きている。真の主を得ることが出来れば、千刃を両断するほどの絶剣となりうるだろう。
「しかと」
趙の陣営の方で、響めきが起こった。
破壊された城門の隙間から、趙軍へと猛撃を仕掛ける、楽の旗が翻っているのが見える。
「さらばだ。私の英雄」
廉頗は踵を返す。最後に一度だけ、薄弱の公子を振り返る。
彼は頬を涙で濡らし、天を仰いでいた。
空を埋める波状雲によって、蒼さを遮断された、空からは鳥達の姿が消えていた。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】
naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。
舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。
結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。
失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。
やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。
男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。
これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。
静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。
全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
影武者の天下盗り
井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる