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蒼き鎧
七
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廉頗の視界を覆ったのは、大翼であった。舞い落ちる羽。肉眼で追えたのは、蒼い眼光の尾。
槍の穂先が、具足を貫き、己の脇腹の肉に達している。槍を握る楽毅が口端に微笑を湛えて、崩れ落ちていく。
滲みで出る、血の温もりに自失が解ける。
(風を味方にしやがった)
まるで空を悠揚と翔ける鳥のように。だがー。穂先は臓腑にまで達さず、肉の鎧に埋もれている。
(想像以上の器だったか)
気を失った、楽毅の躰を抱き上げ、肩に担ぎ上げる。肉を貫いた槍が、鈍い音を立てて、地に落ちる。
「待て!楽毅を何処に連れて行く気だ!?」
仲間の二人が、廉頗の前へ回り込む。
「言ったはずだ。俺が勝てば、楽毅は趙に降ってもらうと」
「行かせない」
二人が刃を向ける。
「殺されたいか。坊主共」
血走った眼で睨みつけると、二人は後ずさりながらも、険を放ち続ける。
「仲間の為なら、命を捨てる覚悟があるか。いいぜ。気に入った」
廉頗が顎をしゃくると、趙兵が彼等を瞬く間に拘束した。
「連れていけ。殺すなよ」
棒で打たれ、気を失った少年二人が本陣へと運ばれていく。
「廉頗とかいったな」
顔を向けると、金の具足を纏った公子董が立っていた。
「楽毅を解放してやってはくれないか。彼には未来がある。虜囚として終わらせるのは惜しい男だ。だから、私の命で賄えるのなら」
公子董は膝を降り、自身の喉元に剣尖を向けた。
「嫌だね」
「この通りだ。頼む」
「あんたの命を奪るつもりはねぇよ」
「何だと?」
公子董が眼を丸くする。
「こいつは死の領域に踏み込んでまで、あんたの為に戦った。楽毅の覚悟に免じて、俺はあんたの命を奪らないことに決めた。俺なりの誠意ってやつだ」
「だが、楽毅は」
「悪いようにはしないさ。大王様自身も、こいつにはご執心なんだ。これほどの才覚があれば、趙でも充分にやっていけるだろうよ。趙は尚武の国だ。そのへん、此処よりか融通が利くと思うぜ」
公子董の腕が垂れ、
「そうか」と小さく呟いた。必死に頭の中で、言葉を手繰り寄せようとしているのだろう。しかし、彼自身も理解しているはずだ。中山はやがて滅ぶ。
父王からも疎まれ、無意味な戦いに身を投じ続けなくてはならない。彼は塗炭の苦しみの中にいる。
「ふっ」公子董が幽かに微笑んだ。
「楽毅は中山と共に滅んでいい男ではない」
立ち上がると、剣を鞘に納め歩み寄る。
「信用して良いのだな。廉頗」
毅然とした、公子董の容貌からは純然たる王気が横溢している。
彼が中山君主であったならば、今の中山もこのような運命を辿らずに済んだのかもしれない。
(いや。よそう)
運命とは非情なものだ。分水嶺など其処には存在しない。
「ああ」
混じり気なく返す。
「之を楽毅に」
公子董は佩剣を抜き、廉頗に押し付けた。見事な剣であった。鞘には鵬の装飾。柄頭には翡翠が填め込まれている。
「韓の冥山で鍛え上げられた、宛馮という名の剣だ。楽毅に託してくれ。きっと彼の助けになる」
受け取って分かる。この剣は生きている。真の主を得ることが出来れば、千刃を両断するほどの絶剣となりうるだろう。
「しかと」
趙の陣営の方で、響めきが起こった。
破壊された城門の隙間から、趙軍へと猛撃を仕掛ける、楽の旗が翻っているのが見える。
「さらばだ。私の英雄」
廉頗は踵を返す。最後に一度だけ、薄弱の公子を振り返る。
彼は頬を涙で濡らし、天を仰いでいた。
空を埋める波状雲によって、蒼さを遮断された、空からは鳥達の姿が消えていた。
槍の穂先が、具足を貫き、己の脇腹の肉に達している。槍を握る楽毅が口端に微笑を湛えて、崩れ落ちていく。
滲みで出る、血の温もりに自失が解ける。
(風を味方にしやがった)
まるで空を悠揚と翔ける鳥のように。だがー。穂先は臓腑にまで達さず、肉の鎧に埋もれている。
(想像以上の器だったか)
気を失った、楽毅の躰を抱き上げ、肩に担ぎ上げる。肉を貫いた槍が、鈍い音を立てて、地に落ちる。
「待て!楽毅を何処に連れて行く気だ!?」
仲間の二人が、廉頗の前へ回り込む。
「言ったはずだ。俺が勝てば、楽毅は趙に降ってもらうと」
「行かせない」
二人が刃を向ける。
「殺されたいか。坊主共」
血走った眼で睨みつけると、二人は後ずさりながらも、険を放ち続ける。
「仲間の為なら、命を捨てる覚悟があるか。いいぜ。気に入った」
廉頗が顎をしゃくると、趙兵が彼等を瞬く間に拘束した。
「連れていけ。殺すなよ」
棒で打たれ、気を失った少年二人が本陣へと運ばれていく。
「廉頗とかいったな」
顔を向けると、金の具足を纏った公子董が立っていた。
「楽毅を解放してやってはくれないか。彼には未来がある。虜囚として終わらせるのは惜しい男だ。だから、私の命で賄えるのなら」
公子董は膝を降り、自身の喉元に剣尖を向けた。
「嫌だね」
「この通りだ。頼む」
「あんたの命を奪るつもりはねぇよ」
「何だと?」
公子董が眼を丸くする。
「こいつは死の領域に踏み込んでまで、あんたの為に戦った。楽毅の覚悟に免じて、俺はあんたの命を奪らないことに決めた。俺なりの誠意ってやつだ」
「だが、楽毅は」
「悪いようにはしないさ。大王様自身も、こいつにはご執心なんだ。これほどの才覚があれば、趙でも充分にやっていけるだろうよ。趙は尚武の国だ。そのへん、此処よりか融通が利くと思うぜ」
公子董の腕が垂れ、
「そうか」と小さく呟いた。必死に頭の中で、言葉を手繰り寄せようとしているのだろう。しかし、彼自身も理解しているはずだ。中山はやがて滅ぶ。
父王からも疎まれ、無意味な戦いに身を投じ続けなくてはならない。彼は塗炭の苦しみの中にいる。
「ふっ」公子董が幽かに微笑んだ。
「楽毅は中山と共に滅んでいい男ではない」
立ち上がると、剣を鞘に納め歩み寄る。
「信用して良いのだな。廉頗」
毅然とした、公子董の容貌からは純然たる王気が横溢している。
彼が中山君主であったならば、今の中山もこのような運命を辿らずに済んだのかもしれない。
(いや。よそう)
運命とは非情なものだ。分水嶺など其処には存在しない。
「ああ」
混じり気なく返す。
「之を楽毅に」
公子董は佩剣を抜き、廉頗に押し付けた。見事な剣であった。鞘には鵬の装飾。柄頭には翡翠が填め込まれている。
「韓の冥山で鍛え上げられた、宛馮という名の剣だ。楽毅に託してくれ。きっと彼の助けになる」
受け取って分かる。この剣は生きている。真の主を得ることが出来れば、千刃を両断するほどの絶剣となりうるだろう。
「しかと」
趙の陣営の方で、響めきが起こった。
破壊された城門の隙間から、趙軍へと猛撃を仕掛ける、楽の旗が翻っているのが見える。
「さらばだ。私の英雄」
廉頗は踵を返す。最後に一度だけ、薄弱の公子を振り返る。
彼は頬を涙で濡らし、天を仰いでいた。
空を埋める波状雲によって、蒼さを遮断された、空からは鳥達の姿が消えていた。
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