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鵬程万里
四
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昔陽の砦。
「莫迦者」
雷鳴の如き、怒号が飛び交った。楽毅と魏竜は営舎にある、執務室で楽毅の父―。楽堅の説教を懇々と四刻もの間、受け続けている。
「魏竜よ。其方が付いていながら」
「申し訳ございません」
魏竜が深く頭を垂れる。
「まぁまぁ。叔父上。魏竜に落ち度はありませんよ。大方、毅の暴走に付き合わされた。いつも通りのことでしょ」
楽堅を諫める、楽毅の従兄にあたる、楽乗である。真面目一徹を体現したような、峻厳な貌で、楽毅を睨む。
二十代と年若いが才覚を見込まれ、宰相である父のもと、軍事を委ねられている。
「いえ。若様を諫止することができなかった、倅にも責任はあります」
団栗眼をぎらつかせる、小太りの男は魏竜の父―。魏曲閃。魏一族は、魏に仕えていた楽毅の先祖である、楽羊の代から仕えている一族である。
余談ではあるが、中山は魏によって一度滅ぼされている。後に中山の桓公によって再興され、今の中山がある。また、楽羊は中山攻略戦に於いて、都霊寿を陥落させるなど、赫赫たる功績を挙げた。
魏王は戦功として、楽羊に霊寿を賜り、それ以来楽氏は中山に根を張ることになる。
「お前達がどれほど危険な行いをしたのか分かっているのか?万の大軍に、たったの百人で斬りこむなど。お前は友人達を誑かし、命の危険に晒した。運が味方し、一人も欠けることはなかったが、一つ判断を間違っていれば、全員が趙兵に膾にされていたのかもしれんのだぞ」
怒りで棗色に変わった父の貌を見遣る。嘆息の後、矢継ぎ早に次の叱責が来る。
「それに、その姿は何だ。まるで略奪者共の成りではないか」
父の気位の高さには嫌になる。先祖の楽羊といえば、此処中山でも知らぬ者はいない。
中山にとって、楽氏は仇敵のはずであるが、中山に定住した後に、再興に尽力したことから、楽氏は格別の待遇を受けている。
「趙王は胡服騎射を取り入れているのです、ならば、俺たちもそれに対抗しなくては」
かっと父の眼が剥く。
「知ったような口を。お前はこの国を、白狄が支配していた時代のように、野蛮な文化に染め上げようというのか」
声音には明確な侮蔑が含まれている。父は心の何処かで、中山の民を侮っている節がある。というのも、中山国の前身とも呼べる、中原北部に建国されていた鮮虞は、白狄の国であった。白狄は匈奴と同様に、蛮狄の民族である
父には、魏を覇者の国へと押し上げた文候に仕え、中山攻略戦で名を馳せた、楽羊の子孫であるという誇りがある。
何代も前の貌も知らない、先祖の栄光にしがみつき、今や血の交合によって、同族と化した、中山の民を相容れない、野蛮人だと心の中で誹っている。
楽毅は父が好きではなかった。頭も固く、必要以上に体裁ばかりを気にする。単刀直入に反りが合わない。
「胡服と馬は何処で手に入れた?」
「胡地で盗みました」
楽毅に反省の色なく、むしろ不敵に笑った。
「なっ」
父が驚愕のあまり反り返る。
「莫迦者!お前はわしの嫡子なのだぞ!息子が蛮族の地で盗みを働くなど、わしは明日から宮廷の嗤い者ではないか!」
拳骨が頬を打った。錆臭い臭気が口腔に満ちる。楽毅は眉一つ動かさず、向かい合う。父が立ち眩みを起こす。それを横目に楽乗が長嘆息する。
「匈奴の馬は質が良いのです。大分が悍馬ですが、乗りこなせば、果敢に動いてくれます」
再び鉄拳が頬を打つ。
「わしが館に帰らぬこといいことに。お前は子分達を連れて、故地へ馬を奪いに行っていたというのか!」
口に溜まった血を吐き捨てる。
「奪っただけではありません。馬と兵士を鍛え上げました」
父の額に亀裂が走る。
(あと数発は覚悟するか)と決心した矢先。
「そのあたりで良いではありませんか」
鷹揚な声と共に、ゆるりと現れたのは、腰の曲がった白髪の翁。彼を支えるように、共に入ってきたのは、友の司馬炎だった。司馬炎は楽毅の腫れ上がった頬を見て目笑した。
「司馬熹殿」
一同が息を呑み、父の揖の礼にならって皆が続いた。楽毅も続く。揖の礼は、目下の者が目上の者に行う拝礼である。
宰相である父は、極官の地位にあるといってもいい。その父が礼を尽くすのは、司馬熹が、前任の宰相であったからである。
隠棲している今でも、諸公子の傅役を務め、宮廷に於いて多大な影響力を有している。
「愚息から話は聞いておりまする。宰相殿はちと、楽毅に厳しくあたり過ぎではありませんかな。胡地まで赴き、少年達だけで匈奴の馬と具足を見事奪い、更には楽毅が少年達と馬を鍛え上げた。しかも独力で。なおかつ楽毅は彼等を率い、趙の宿将趙与に深手を負わせた。その傷がもととなり、趙与軍は井陘攻略に苦心している」
司馬熹は穏やかに破顔するが、眼に苛烈な光輝が宿っている。
「それは」
「炎はわしが老いてから生まれた子ゆえ、どうしても甘い顔をしてしまう。これもどうかとは思うが、宰相殿はもう少し楽毅の才器に向き合ってみてやっても良いのではないかな」
父は沈黙を続ける。何かを告げようと、開口した矢先。
勢いよく執務室の扉が開いた。
「申し上げます。太子章率いる軍勢に、胡軍と代軍を率いた趙希軍が合流した模様」
銘々の顔から血の気が失せていく。
「何だと?数は?」
父が問う。
「太子章率いる軍勢と合わせると、十万はくだらないかと」
「十万―」
昔陽に詰める中山兵の数は一万五千。壮丁を無理矢理に駆り出しても、せいぜい二万と少し。
「なるほど。趙王は太子章の愚鈍さに痺れを切らしたか」
と呟いた、司馬熹に焦燥はない。父が司馬熹に眼配せする。
「行かれるがよい」
「では」と一礼し、父が楽乗達を引き連れ出て行った。
「さぁて」
司馬熹は残された、少年達に向き直る。
「あのさきほどは」
司馬熹が手で制する。炎と彼は息子の名を呼び、司馬炎は徐に懐へと手を入れ、小さく折りたたんだ帛の地図を床几に広げた。こちらへと。手招きされる。 困惑しながら、中山国が描かれた地図を見遣る。
「おぬしの考えを訊かせてほしい。此度の戦、勝てると思うか?」
かつて宰相を務め、宮廷の極にあった男が、真っ直ぐに楽毅を見据える。
言い淀む。何故、己に問うのか。楽毅にはお上が求めるような経験も地位もない。
「申すが良い」
優しい声で促される。
「では」と意を決して、言葉を続ける。
「此度の戦は敗けます」
「何故そう思う?」
「まず、兵力の差でしょう。趙は国境線に兵を残しているとはいえ、中山攻略に四十万を超える兵力を有しています。対して中山はせいぜい二十万が限度。更に軍の練度の差。趙王は胡服騎射を採用し、速力のある軍を造り上げています。それも匈奴達のような統率性に欠けるものではない。統率され明確な規律を有して騎馬隊です。正直、匈奴などより遥かに恐ろしい。現に鄗や房子などは一月も掛らない内に奪取されています」
うむ。と司馬熹が唸る。楽毅は続ける。
「それに問題は趙軍の精強さだけではありません。中山が抱える内憂の方が敗戦の要因となる比率は高いかと。中山王が情勢を顧みず、王を号したことで、斉との関係は破綻となりました」
かつて、魏の相である公孫衍は韓・趙・燕・中山を誘って、互いに王号を唱えることを推し進めた。狙いは、長大な領土を有し、破竹の勢いで国力を高める、秦と楚の連合に対する同盟である。
後に之を五国相王と呼ぶ。だが、中山は覇権を争う、七雄と比べると弱小国であり領土も狭い。
隣国の斉とは、細々とした交友は続いていたが、身の程を弁えず、王号と唱えた、諸侯に追随して、中山君サクが王を号したことに激怒。
中山にとっては、斉は友好国であったが、斉にとっては中山など隷属国程度にしか見ていなかった。中山王サクの死後、太子シシが王位を継承した後も、斉との断交は続いている。
趙が中山に軍勢を向けたおり、宰相である楽毅の父は、斉に援軍を乞うている。だが、斉王は之を一蹴。藁にも縋る想いで、北東にある燕に救援を乞うた。
しかし、燕が跡継ぎ争いで、国内が大いに乱れたおりに、斉の与国として中山は、燕に軍を差し向け、滅亡寸前にまで追い込んだ。
今でこそ、燕国内は平定し、力を取り戻してはいるが、燕の民は斉と同様に、中山を蛇蝎蛇蝎の如く嫌っている。つまり、近隣諸国に中山は援助を乞えない現状にあるのだ。
中山王サク。現今の王シシと暗君が続いている。中山が孤立無援の中にあるのは、身から出た錆だといえよう。
武霊王は、中山の包囲網を強固なものにしようと、北の東胡や匈奴にも手を伸ばしている。
「司馬熹殿。中山は数年の内に滅びることになります」
傍らに控える、魏竜は滅びという言葉に脅えている。
「ですが、父上も王も太平楽に構えておられる」
楽毅は中山王を嫌っている。
王の政治は暴悪で、自らの贅沢の為に、民から重い税を搾取している。王宮には、至る所に金の装飾が施されており、華やぎの極みにあるが、民は一様に困窮し痩せ細っている。
噂では、趙が攻めてきた今でも、王は危機感の募らせることなく、日々宴を開き、享楽に浸っているという。
万に一つ、シシが王を号することを取りやめれば、斉への援助を乞えるかもしれないが、中山王の頭の中に、その選択肢はない。中山国には、独力で趙と戦い抜ける力はない。
初めて司馬熹の表情が変わった。沈痛な面持ちで溜息交じりに息を吐く。
「王は形に憑りつかれておる。最早、わしの言も耳に入れぬ。斉や趙を万乗の国とするならば、中山は百乗の国よ。そもそもの骨子が違う」
白濁した昏い眼が地図を見下ろしている。
「やはり、わしの見立ては間違ってはいなかったな。炎に話を訊き、もしやとは思うたが、楽毅には並々ならぬ天器が備わっているようだ。楽毅よ。今のままでは中山は滅びる。だが、希望が残されていない訳ではない。数日後。炎や魏竜。おぬしを慕う少年達を連れて霊寿へ来てくれぬか」
一瞬、父の憤然とした顔が脳裏を過ったが、先ほどの様子では当分、己のことなど気にかけている暇はないだろう。
戸惑いながらも「分かりました」と素直に答えた。
「莫迦者」
雷鳴の如き、怒号が飛び交った。楽毅と魏竜は営舎にある、執務室で楽毅の父―。楽堅の説教を懇々と四刻もの間、受け続けている。
「魏竜よ。其方が付いていながら」
「申し訳ございません」
魏竜が深く頭を垂れる。
「まぁまぁ。叔父上。魏竜に落ち度はありませんよ。大方、毅の暴走に付き合わされた。いつも通りのことでしょ」
楽堅を諫める、楽毅の従兄にあたる、楽乗である。真面目一徹を体現したような、峻厳な貌で、楽毅を睨む。
二十代と年若いが才覚を見込まれ、宰相である父のもと、軍事を委ねられている。
「いえ。若様を諫止することができなかった、倅にも責任はあります」
団栗眼をぎらつかせる、小太りの男は魏竜の父―。魏曲閃。魏一族は、魏に仕えていた楽毅の先祖である、楽羊の代から仕えている一族である。
余談ではあるが、中山は魏によって一度滅ぼされている。後に中山の桓公によって再興され、今の中山がある。また、楽羊は中山攻略戦に於いて、都霊寿を陥落させるなど、赫赫たる功績を挙げた。
魏王は戦功として、楽羊に霊寿を賜り、それ以来楽氏は中山に根を張ることになる。
「お前達がどれほど危険な行いをしたのか分かっているのか?万の大軍に、たったの百人で斬りこむなど。お前は友人達を誑かし、命の危険に晒した。運が味方し、一人も欠けることはなかったが、一つ判断を間違っていれば、全員が趙兵に膾にされていたのかもしれんのだぞ」
怒りで棗色に変わった父の貌を見遣る。嘆息の後、矢継ぎ早に次の叱責が来る。
「それに、その姿は何だ。まるで略奪者共の成りではないか」
父の気位の高さには嫌になる。先祖の楽羊といえば、此処中山でも知らぬ者はいない。
中山にとって、楽氏は仇敵のはずであるが、中山に定住した後に、再興に尽力したことから、楽氏は格別の待遇を受けている。
「趙王は胡服騎射を取り入れているのです、ならば、俺たちもそれに対抗しなくては」
かっと父の眼が剥く。
「知ったような口を。お前はこの国を、白狄が支配していた時代のように、野蛮な文化に染め上げようというのか」
声音には明確な侮蔑が含まれている。父は心の何処かで、中山の民を侮っている節がある。というのも、中山国の前身とも呼べる、中原北部に建国されていた鮮虞は、白狄の国であった。白狄は匈奴と同様に、蛮狄の民族である
父には、魏を覇者の国へと押し上げた文候に仕え、中山攻略戦で名を馳せた、楽羊の子孫であるという誇りがある。
何代も前の貌も知らない、先祖の栄光にしがみつき、今や血の交合によって、同族と化した、中山の民を相容れない、野蛮人だと心の中で誹っている。
楽毅は父が好きではなかった。頭も固く、必要以上に体裁ばかりを気にする。単刀直入に反りが合わない。
「胡服と馬は何処で手に入れた?」
「胡地で盗みました」
楽毅に反省の色なく、むしろ不敵に笑った。
「なっ」
父が驚愕のあまり反り返る。
「莫迦者!お前はわしの嫡子なのだぞ!息子が蛮族の地で盗みを働くなど、わしは明日から宮廷の嗤い者ではないか!」
拳骨が頬を打った。錆臭い臭気が口腔に満ちる。楽毅は眉一つ動かさず、向かい合う。父が立ち眩みを起こす。それを横目に楽乗が長嘆息する。
「匈奴の馬は質が良いのです。大分が悍馬ですが、乗りこなせば、果敢に動いてくれます」
再び鉄拳が頬を打つ。
「わしが館に帰らぬこといいことに。お前は子分達を連れて、故地へ馬を奪いに行っていたというのか!」
口に溜まった血を吐き捨てる。
「奪っただけではありません。馬と兵士を鍛え上げました」
父の額に亀裂が走る。
(あと数発は覚悟するか)と決心した矢先。
「そのあたりで良いではありませんか」
鷹揚な声と共に、ゆるりと現れたのは、腰の曲がった白髪の翁。彼を支えるように、共に入ってきたのは、友の司馬炎だった。司馬炎は楽毅の腫れ上がった頬を見て目笑した。
「司馬熹殿」
一同が息を呑み、父の揖の礼にならって皆が続いた。楽毅も続く。揖の礼は、目下の者が目上の者に行う拝礼である。
宰相である父は、極官の地位にあるといってもいい。その父が礼を尽くすのは、司馬熹が、前任の宰相であったからである。
隠棲している今でも、諸公子の傅役を務め、宮廷に於いて多大な影響力を有している。
「愚息から話は聞いておりまする。宰相殿はちと、楽毅に厳しくあたり過ぎではありませんかな。胡地まで赴き、少年達だけで匈奴の馬と具足を見事奪い、更には楽毅が少年達と馬を鍛え上げた。しかも独力で。なおかつ楽毅は彼等を率い、趙の宿将趙与に深手を負わせた。その傷がもととなり、趙与軍は井陘攻略に苦心している」
司馬熹は穏やかに破顔するが、眼に苛烈な光輝が宿っている。
「それは」
「炎はわしが老いてから生まれた子ゆえ、どうしても甘い顔をしてしまう。これもどうかとは思うが、宰相殿はもう少し楽毅の才器に向き合ってみてやっても良いのではないかな」
父は沈黙を続ける。何かを告げようと、開口した矢先。
勢いよく執務室の扉が開いた。
「申し上げます。太子章率いる軍勢に、胡軍と代軍を率いた趙希軍が合流した模様」
銘々の顔から血の気が失せていく。
「何だと?数は?」
父が問う。
「太子章率いる軍勢と合わせると、十万はくだらないかと」
「十万―」
昔陽に詰める中山兵の数は一万五千。壮丁を無理矢理に駆り出しても、せいぜい二万と少し。
「なるほど。趙王は太子章の愚鈍さに痺れを切らしたか」
と呟いた、司馬熹に焦燥はない。父が司馬熹に眼配せする。
「行かれるがよい」
「では」と一礼し、父が楽乗達を引き連れ出て行った。
「さぁて」
司馬熹は残された、少年達に向き直る。
「あのさきほどは」
司馬熹が手で制する。炎と彼は息子の名を呼び、司馬炎は徐に懐へと手を入れ、小さく折りたたんだ帛の地図を床几に広げた。こちらへと。手招きされる。 困惑しながら、中山国が描かれた地図を見遣る。
「おぬしの考えを訊かせてほしい。此度の戦、勝てると思うか?」
かつて宰相を務め、宮廷の極にあった男が、真っ直ぐに楽毅を見据える。
言い淀む。何故、己に問うのか。楽毅にはお上が求めるような経験も地位もない。
「申すが良い」
優しい声で促される。
「では」と意を決して、言葉を続ける。
「此度の戦は敗けます」
「何故そう思う?」
「まず、兵力の差でしょう。趙は国境線に兵を残しているとはいえ、中山攻略に四十万を超える兵力を有しています。対して中山はせいぜい二十万が限度。更に軍の練度の差。趙王は胡服騎射を採用し、速力のある軍を造り上げています。それも匈奴達のような統率性に欠けるものではない。統率され明確な規律を有して騎馬隊です。正直、匈奴などより遥かに恐ろしい。現に鄗や房子などは一月も掛らない内に奪取されています」
うむ。と司馬熹が唸る。楽毅は続ける。
「それに問題は趙軍の精強さだけではありません。中山が抱える内憂の方が敗戦の要因となる比率は高いかと。中山王が情勢を顧みず、王を号したことで、斉との関係は破綻となりました」
かつて、魏の相である公孫衍は韓・趙・燕・中山を誘って、互いに王号を唱えることを推し進めた。狙いは、長大な領土を有し、破竹の勢いで国力を高める、秦と楚の連合に対する同盟である。
後に之を五国相王と呼ぶ。だが、中山は覇権を争う、七雄と比べると弱小国であり領土も狭い。
隣国の斉とは、細々とした交友は続いていたが、身の程を弁えず、王号と唱えた、諸侯に追随して、中山君サクが王を号したことに激怒。
中山にとっては、斉は友好国であったが、斉にとっては中山など隷属国程度にしか見ていなかった。中山王サクの死後、太子シシが王位を継承した後も、斉との断交は続いている。
趙が中山に軍勢を向けたおり、宰相である楽毅の父は、斉に援軍を乞うている。だが、斉王は之を一蹴。藁にも縋る想いで、北東にある燕に救援を乞うた。
しかし、燕が跡継ぎ争いで、国内が大いに乱れたおりに、斉の与国として中山は、燕に軍を差し向け、滅亡寸前にまで追い込んだ。
今でこそ、燕国内は平定し、力を取り戻してはいるが、燕の民は斉と同様に、中山を蛇蝎蛇蝎の如く嫌っている。つまり、近隣諸国に中山は援助を乞えない現状にあるのだ。
中山王サク。現今の王シシと暗君が続いている。中山が孤立無援の中にあるのは、身から出た錆だといえよう。
武霊王は、中山の包囲網を強固なものにしようと、北の東胡や匈奴にも手を伸ばしている。
「司馬熹殿。中山は数年の内に滅びることになります」
傍らに控える、魏竜は滅びという言葉に脅えている。
「ですが、父上も王も太平楽に構えておられる」
楽毅は中山王を嫌っている。
王の政治は暴悪で、自らの贅沢の為に、民から重い税を搾取している。王宮には、至る所に金の装飾が施されており、華やぎの極みにあるが、民は一様に困窮し痩せ細っている。
噂では、趙が攻めてきた今でも、王は危機感の募らせることなく、日々宴を開き、享楽に浸っているという。
万に一つ、シシが王を号することを取りやめれば、斉への援助を乞えるかもしれないが、中山王の頭の中に、その選択肢はない。中山国には、独力で趙と戦い抜ける力はない。
初めて司馬熹の表情が変わった。沈痛な面持ちで溜息交じりに息を吐く。
「王は形に憑りつかれておる。最早、わしの言も耳に入れぬ。斉や趙を万乗の国とするならば、中山は百乗の国よ。そもそもの骨子が違う」
白濁した昏い眼が地図を見下ろしている。
「やはり、わしの見立ては間違ってはいなかったな。炎に話を訊き、もしやとは思うたが、楽毅には並々ならぬ天器が備わっているようだ。楽毅よ。今のままでは中山は滅びる。だが、希望が残されていない訳ではない。数日後。炎や魏竜。おぬしを慕う少年達を連れて霊寿へ来てくれぬか」
一瞬、父の憤然とした顔が脳裏を過ったが、先ほどの様子では当分、己のことなど気にかけている暇はないだろう。
戸惑いながらも「分かりました」と素直に答えた。
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